♯288 ソフィア・セルフィ
◇◆◇◆◇◆◇
「――聖女ソフィア。お前の『愛』は、お前を超えられる?」
それだけ告げて、女神シャーレは消えた。
神域の聖堂。ソフィアの眼前に立つのは、自分自身。己の現し身。
ソフィアの理解は早かった。
「なるほどねっ、最後は自分と戦わなきゃいけないわけか。ちょーっと気味が悪いけど、わかりやすくていいじゃん! さっさと倒してお姉ちゃんと合流しなきゃ!」
屈伸しながら『星の杖』を握りしめ、やる気を見せるソフィア。
『……
もう一人の自分――《ソフィア・セルフィ》がささやいた。
『覚えていますか? 幼き日の自分を』
目の前に立つのは、穢れなき聖女の自分。
聖女だけが着ることを許された聖なる衣。プリズムに煌めく髪と、神聖な魔力を秘めたその慈愛の眼差し、淑やかな姿と口ぶりは、まさに聖女たる者。
心を失った幼き日。母のような理想の聖女にと願った自分の姿。自分の中で作り上げた理想。いつしかそれは、ソフィアの中で当たり前に存在する意識となっていた。
セルフィは胸元にそっと手を当てて言う。
『私は、あなた。あなたの理想の姿。お母様のため、周囲の期待に応えるために作り上げた、偽りの自分。お母様を失い、聖女の大任に押しつぶされて心をなくしたあの頃に生まれた私』
自身の声でありながら、それは別人の声のようにも聞こえた。心地よい声色は母のようですらあり、ソフィアに幼き日の情景を呼び起こさせた。
『完璧な“聖女”でいれば、他に何も考えずに済むから楽だった。お母様のいなくなった世界で他に生きていく方法がなかった。聖女になる覚悟なんてまだなかったのに。母に愛されて育ち、街に出て友達と遊び、恋人を作り、結婚して、子供を産んで、普通の幸せが欲しかった。そんな自分の心を殺して、神の人形になるしかなかった』
セルフィは、すべてを知る切ない瞳でソフィアを見つめる。
『私は私ですから。わかっていますよ。勇者クレス様があのとき世界を救ってくださらなかったら、フィオナちゃん……お姉ちゃんが私の前に現れてくれなかったら、私はもう、限界だった。全部を捨てていたかもしれない。そうですよね?』
ソフィアは、何も応えない。
セルフィの持つ杖の宝石が光を増した。
『それでも必死に生き続けたから、大切な家族が見つかった。お姉ちゃんが生きていて、幸せになってくれることが私の幸せだった。自分の幸せを姉に重ねた。なのに、私がいるからその幸せを壊してしまう……。苦しい。怖い。こんなのは……もう、嫌……』
セルフィが頭を抱えて首を振る。苦しげな声が絞り出されていた。
『私は私が好きじゃない。本当の自分なんてわからない。そんなものいない』
「…………」
『どうして私だけこんなにがんばらなきゃいけないの? もうやめたいよ。普通の女の子になりたい』
「…………」
『私だけが私の苦しみをわかってあげられる。だからね、もうやめていいんだよ。私は私が救ってあげる。それが出来るのは、私だけだから』
セルフィの杖に集められた高濃度の魔力が、爆発する直前の星のように強く輝く。
『安心してください。
セルフィの向ける微笑みは、心からソフィアを想う美しいものだった。
彼女の杖が魔力を爆発させようとしたそのとき――ソフィアは笑った。
「……あははっ。私って優しい!」
セルフィが、『え……?』と固まった。
ソフィアは目元を指で拭う。
「自分から言われるって、なんだか不思議だね。でも安心する。そっか、私ってそうなんだね。そういう顔で、笑うんだね。ありがとう、私のことをわかってくれて。でも、そういうのばっかりじゃなかったから」
『……どういうことですか?』
「あなたが言ったのは全部本当のことだよ。私は生きていくために
セルフィは、ふるふると首を横に振った。
『どうして笑えるでしょう。空っぽのあなたを、誰もわかってくれなかった。私だけがわかります。苦しいことばかりだったじゃないですか』
「そうだね。楽になれるならなりたい。でも、そうなりたいわけじゃない。矛盾だよね。嘘と本当が混じり合って出来てる。私もさ、私のことなんてよくわからないよ。ただ、なんとか毎日を過ごしてきただけ」
『その日々の中でどれだけの重荷を背負ってきましたか? どれだけ苦しい思いをしてきましたか? この先もずっと続くのですよ? 私にはわかります! だからもうやめましょう!』
「やめないよ」
ソフィアの断言と、真っ直ぐなその視線に、セルフィは唖然とした。
「やめたくてもやめない。あなただって私なんだから、そんなのわかってるんだよね」
『でも……でも!』
「それにね、やっぱり私は私にしか務まらないんだよ。だって――」
ソフィアがスッと手を上げ、セルフィの首元を指した。
「そのペンダントには、お母様の
『――っ!!』
セルフィが驚愕に目を見開き、固まった。
今度は、ソフィアが自身の胸元に手を当てる。
「あなたはきっと本当の私。でも、そのペンダントは本物じゃない。私の魂は写せても、お母様の想いはここにしか宿らない』
『あ……あっ、あ……!』
ソフィアは母のペンダントを握る。背中に、温かく優しい想いを感じた。
今、自分が背負っているもの。それを、振り返ることが出来ない自分自身に教えてあげたかった。
だから、ソフィアは微笑むことが出来た。
「私は、この愛があるだけでがんばれる。お姉ちゃんがいてくれるだけでがんばれる。たくさんの人がわたしを愛してくれていることがわかる今だから、もう少しがんばれる。もう、十分だよ」
『ああっ……お、おかあ、さま…………あっ、ああああああ――っ!』
集められていたセルフィの魔力が不安定に揺れて解ける。その膨大な力は杖から、身体から溢れ出し、暴走を始める。
セルフィはプリズムヘアーを揺らし、濃い魔力の瞳でソフィアを見据えた。
『それでも、それでも私は私を助けたいのです……! 私がそのペンダントで本物の私になりますから! だからっ!』
「……そっか。わかった。じゃあ決着つけよう! 私たちの、最大の魔術で!」
セルフィに合わせる形で、ソフィアもまた既に練り終えていた魔力を解放する。
二つの『星の杖』から生まれた二つの光点が、弾けた。
『【
まったく同じ魔力の量。質。タイミングから威力まですべてが同等。
にもかかわらず、ソフィアの力はセルフィを凌駕した。
辺りが光に包まれる。
破壊ではなく、安らぎの力。浄化の光。
そんな光の中で、もう一人のソフィアは優しい瞳で笑った――。
――魔力の爆発が収まったとき、ソフィアはもう一人だった。
ゆっくりと歩く。
しゃがみ込んだそこで、砕けた木偶がステンドグラスから降り注ぐ柔らかな光を受けながら粒子となって消えていく。ただの木の感触しかないそれを、ソフィアは慈しむように撫でた。
「……ありがとね、ソフィア。これからも一緒にがんばろう。辛く苦しい、私だけの人生をさ!」
すべてが粒子となって溶けていき、神域に還る。
しばらくその場で彼女を見送っていたソフィアは、少ししてから立ち上がった。
「さぁって、それじゃあお姉ちゃんを探しに――ってうきゃあっ!?」
ぎょっとして腰を抜かしそうになるソフィア。
頭上で、女神シャーレが逆さまにぷかぷかと浮いていた。
「ちょ、な、なんで無言でそんなとこいるんですか!? もーさすがにびっくりしたじゃん! ほんと毎回毎回驚かせようと…………あれ? シャ、シャーレ様?」
何も応えないシャーレは、無表情ながらどこかふて腐れた子供のようにも見えた。
やがて、ようやく口を開く。
『…………仮にも、ミレーニアの子孫ということね……』
「へ?」
『いいわ……お前の
「え? じゃあ私はクリアでいいの? やったねー! あ、でもお姉ちゃんはまだってことか」
「そのようね。あちらはお前と違ってだいぶ苦難しているようだけれど……さて、どうなるかしら」
女神シャーレは再び消える。
一人になった教会で、ソフィアは握った拳を胸元に押し当てた。
「――大丈夫だよ。お姉ちゃん、自分を信じて!」
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