♯283 幼き頃に願った夢

 それから二人は、少女エステルの案内で彼女の暮らすクライアット家に到着。やはりここも木と石で造られた温かみのある民家で、雪を払って中へ入れば、ストーブの温もりと共に熱烈な歓迎が待っていた。


『いらっしゃいませーっ!!』


 ぱんぱんと小さなクラッカーが鳴り響き、フィオナとソフィアが驚きの声を上げる。

 真っ先にクラッカーを鳴らしたのは、髪の色や瞳がエステルによく似たポニーテールの少女。その背はエステルよりもちょっぴり高い。彼女はキラキラした目で二人の前にやってきて、ぴょんぴょんと跳ねて髪を揺らした。


『わーほんとに歌劇団のひとたちきたぁ! せまいおうちですがゆっくりしてってください! ママパパごはんおねがいね! うわーどうしよ何はなそう! とにかくおねえすごいよっ! お歌、お歌ききたいな!』

『もう、ダメだよアリン。おふたりを困らせないの』

『だってだってさー! あのヴェインスの歌姫さんたちだよ! おねえの手紙できてくれるなんておもわなかった! おねがいします! なにかお歌きかせてくださーい!』


 そう言う少女――アリンに詰め寄られ、フィオナとソフィアが揃ってうろたえる。無垢な少女の瞳に見上げられては逃げ場がなかった。


『――アリン?』


 エステルの呼びかけに、アリンが背筋を伸ばしてびくっとなった。


『おふたりを困らせたらダメだって、言ったよね。“姉さん”の言うことが聞けないの? 教育が、たりないかな?』

『ひゃっ……ご、ご、ごめんなさいっ! おね――ね、ねえさん!』


 さささーっと後方に下がり、両親の影に隠れてぶるぶる震えるアリン。両親が苦笑と共に頭を下げ、フィオナとソフィアも会釈をしておいた。


 一瞬冷たい気配を纏っていたエステルが、ふぅと小さなため息をついて微笑する。


『妹のアリンです。おつかれなのに、いきなりごめんなさい。あの子も歌が好きなんです。あ、まずはどうぞゆっくりお休みください。一週間後の演奏会までは、この家を我が家と思って自由に使ってくださいね。食事や衣服もご用意します! あ、それじゃあお部屋にご案内しますね!』


 笑顔で二人を案内してくれた彼女に、フィオナとソフィアは同じことを考えていた。


 ――やっぱり彼女はエステル本物みたいだと。



 それから、エステルの家族と共に温かい食事をいただいたフィオナとソフィアは、二人のためにと用意された部屋に通された。ベッドは二つ用意されていたが、二人一部屋ということをエステルは申し訳ないと頭を下げた。しかしフィオナもソフィアも何ら気にすることなく、ありがたく使わせてもらうことになった。

 また、エルンストンには古くから『蒸し風呂サウナ』文化が根付いており、冷えた身体を十分に温めることが出来たのは風呂好きの二人にとっては嬉しいことだった。エステルが風呂を好きなのだと教えてくれたのも、彼女が本物と確信出来た理由の一つだ。


 ――その蒸し風呂にエステルと一緒に入っていたとき、彼女がこんな話をしてくれた。


『おふたりは、やっぱり声がとってもおきれいですよね。立派な歌手のかたなのに……魔術までつかえるなんて、ほんとうにすごいです。あこがれます!』


 フィオナとソフィアが二人だけでこの国にやってきたこと。魔術が使えるので道中もあまり危険はなかったことなどを話したら、エステルがそう言って目を輝かせたのである。


 しかし、急に顔をうつむけるエステル。熱気のこもる狭い室内で、その額から汗がしたたり落ちた。


『……学校で、魔術をならいはじめているのですが、よく先生にほめてもらえるんです。才能があるねって。……でも、歌をならっている先生には、声が繊細で弱々しいっていわれるんです。どちらも生まれついてのものだし、自分に合った生かし方を見つけようっておそわるのですが、歌には向いていないのかなって。両親も、しょうらいは魔術師になってもいいんじゃないかって。妹のアリンだけが、絶対一緒に歌手になろうね、約束だからねっていうのですが、あの子は私よりも体が大きくて、声がしっかりいるから、きっと大丈夫だと思うんです。……でも、私には、むずかしいのでしょうか。わたしも、おふたりみたいになりたいです』


 そう話すエステルの横顔は、子供ながらに自分のコンプレックスや将来と真剣に向き合っていることがわかるもので、フィオナもソフィアも真剣に話を聞き、出来る限りのアドバイスをした。エステルはそれを喜んでくれた。


『このあたりは雪深いへんぴな土地なので、まだほとんど戦争のひがいもありません。けれど、内地のほうは大変なんですよね? 国と国でも争っているのに、人と魔族とでも戦って……たくさんのひとが、なくなっているんですよね。そう思うと、魔術の勉強もしっかりしておいたほうがいいのかなって思う気持ちがあります。第一王女さまだって、ひょっとしたら争いにまきこまれたんじゃって言う人もいて……。それは、とっても、悲しいです』


 この過去の世界はまだ戦争が激しかった頃であり、一刻も早く魔族を――その頂点たる魔王を討伐することが望まれていた。

 勇者クレスがその悲願を果たすまで、まだ、先は長い。


『でも、だから私は、せめて歌でみんなを元気づけたいんです。歌は、言葉がつうじなくても、どんな国の人にでも、きっと、魔族にだって届くものだと思うから。歌でつながれば、争いなんていつかなくなるかもって、ヴェインスの歌をきいて、そう思ったんです。私……ゆめを、あきらめたくなくて』


 エステルが顔を上げ、胸元できゅっと手を握りしめた。

 彼女は蒸し風呂で全身に汗をかきながら、美しい瞳で未来を見ていた。


『いつか妹と、いろんな国のひとと、人と魔族と、みんなで、平和な世界で歌をうたっていたいです。そんな日がくるように、学校の勉強も、歌もがんばりたいって思います。よくばりかもしれませんが……私、妹のお願いに弱いんです』


 そう宣言してはにかむエステルの表情は、とても純粋な想いに溢れていた。



 用意されていたパジャマに着替えたフィオナとソフィア。後は寝るだけ、といった状態で部屋に戻ってくる。

 ソフィアがベッドにうつ伏せでダイブした。窓から差し込む月明かりに照らされる彼女は、しばらくしてからごろっと仰向けになり、天井を見ながら言う。


「フィオナちゃん。歌、自信あります?」

「う、うぅん。あんまり……」

「そっかぁ。私はたくさん聖歌を歌ってきたからある程度の自信はあるけど……でも、子供の期待がずしっとのしかかると違うねぇ」

「うん……」


 フィオナはベッドに腰掛けて、乾ききっていない髪の水分をタオルで優しく取りながら今日のことを思い返しつつ、つぶやく。


「……エルンストンの王女様も、やっぱり、戦争に巻き込まれたの……かな?」

「わかんない。けど聞いたことあるよ。エルンストンって女系国家だから、姉妹が生まれちゃうと面倒なことになるんだって。別にここに限ったことじゃないけど、王族や貴族に双子や兄弟姉妹が生まれると困る人が出てくるの。あーほんと、そういうのやだやだ!」


 実感たっぷりに不満げな声を発しながらベッドの上でばたつくソフィア。その気持ちはフィオナにもわかるから、穏やかに微笑みながらソフィアをなだめた。


 話をまとめる。


「わたしたちは、ヴェインスの歌劇団として、この街の人に歌を届ける……。たぶん、それが今回やるべきこと、なんだよね」

「んっ。けど、ただ歌うだけじゃダメ。あの神様のことだから、完璧に、完全にやらなきゃいけない。じゃないとエステルさ……エステルちゃんに申し訳ないもん。そして、私たちに残されたのはたったの一週間! さてさて、それまでに――」


 身を起こしたソフィアは、ベッドサイドに置かれていた一枚の紙を手に取る。フィオナも今持っているその紙には、ある曲の歌詞が載せられていた。


「私たち、本物にならないとだね」


 フィオナは、決意の表情でうなずいた。

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