♯276 勝負だ!

 聖女ソフィアが、一歩足を踏み出す。

 フィオナが見るその横顔は、『妹』のものではなかった。


「お母様に、謝罪なさい」

「謝罪? この私が? お前は何を言っているの?」

「仰るとおり、お母様はお身体が強くありませんでした。けれど、そのお身体で人々のため献身的に尽くしてこられた。女神シャーレ様の神子として生きることを誇りとしていた。誰よりも気高く強く、何より、分け隔てないお優しい心をお持ちでした。歴代の聖女様に劣らぬ、素晴らしい方だったのです。わたくしは、そんなお母様の子に生まれたことを誇りに思っております」


 女神を相手に一切怯むことなく、聖女ソフィアはさらに歩を進める。

 そしてシャーレの眼前まで来ると、強い口調でこう言った。


「たとえ女神シャーレ様といえど……ミネットお母様を侮辱すること、私が許しません」


 聖女ソフィアも女神シャーレも、お互いに目をそらさない。聖女と女神の一触即発な雰囲気に、フィオナは何も出来ずにただ呆然としているしかなかった。


 シャーレは平然と返す。


「許さない? ならどうすると言うの? ミネット以上に何の役目も果たしていないお前のような子供に、一体何が出来る」


 挑発するようなシャーレの言葉と場の緊張感に、フィオナは息を呑む。今までソフィアに何の興味も示していなかったシャーレが、初めてソフィアをしっかりと“認識”したように思えた。


 沈黙が訪れる。

 しばらくして、『ソフィア』がつぶやく。



「――勝負だ」



 その一言に、フィオナは唖然とした。


 まったく表情も顔色も変えない女神シャーレに向けて、その鼻先に触れそうな距離で、ソフィアはビシッと人差し指を突きつけた。


 そして大きく口を開く。


「何でもいいから勝負しろっ! 私が勝ったらお母様に謝って! 負けたら素直に引き下がって天星するからそれでいいでしょっ!」


 それはもう、いつもの『ソフィア』の声だった。

 だからフィオナは一瞬ホッとしたのだが、すぐにハッと慌ててソフィアの元へ駆け寄る。


「ソ、ソ、ソフィアちゃん? しょ、勝負? シャーレ様と!?」

「そうだよ! お姉ちゃんだってムカついたでしょ? 自分のことならいいけどお母様をあんな風に言われてガマンなんて出来ないもん! だからなんかで勝負する! それで私が勝って、ぜぇっっったいに謝ってもらうから!」

「え、え~~~!?」


 確かにフィオナも先ほどのシャーレの発言には思うところがあった。しかし、まさか女神相手に妹が勝負を挑むとは思わなかった。鼻息の荒いソフィアはもう完全にやる気のようであり、今さら止めることも難しいようにフィオナには思えた。


 対する女神シャーレは、つまらなさそうに返答する。


「論外。この私がお前と勝負などする必要も意味もない。私の勝利で何が変わるわけもなく、メリットがない」

「いいえ! シャーレ様が勝ったらうるさい私は黙らせられるのでメリットあると思います! 勝負を受けてくれないなら、魂が溶けきるまで永遠にシャーレ様に勝負しろ勝負しろって毎日毎日ずぅ~っとしつこくつきまとうから! 私が天星してここから消えても幻が残って消えないくらい私のこと頭に刻みつけてやるから!」


 間髪入れずにそう断言したソフィアに、さすがの女神も言葉を失う。

 フィオナもあっけにとられていたが、やがておかしくなって笑えてきた。ソフィアが、もう完全に元のソフィアに戻っていたからである。


 しかし女神の反応はよろしくなかった。


「勝手になさい。私がお前に姿を見せなければ済むこと」


 やはり、女神シャーレはまともに取り合おうとはしてくれなかった。そもそも彼女にとってフィオナやソフィアは対等な相手ではない。ソフィアが無茶なことをしているのは、ソフィア自身にもフィオナにもわかっていた。


 するとソフィアは、突然瞳を潤ませながら祈るように両手を組み合わせた。


「どうしても……いけませんか?」


 か細い声に、フィオナとシャーレが反応を変える。


わたくしは……未熟な聖女です。けれど、ミレーニア様の血を引く聖女です。魂が溶けきる前に、最期に、少しでも良いところをシャーレ様にご披露したかった……。そのチャンスすら、いただけませんか……?」

「…………」

「そう……ですか。仕方ないことですよね。だって、こんなにも完全で美しい女神のシャーレ様が、不完全な人間の私に万が一にでも敗北するようなことがあれば、もう、シャーレ様は完全ではなくなってしまいます……。それは、怖いことですよね」

「…………何を言ってる?」

「失礼を申し上げてすみません。けれど……完全とは、難しいものですよね。だって私には、シャーレ様よりもお姉様の方がお綺麗に思えますし……あっ」


 口が滑ったとばかりに口元を押さえる聖女ソフィア。

 刹那。女神シャーレの鋭い視線が自分の方にキッと向いて、フィオナは「ふぇっ!?」と固まった。

 ソフィアは女神に背を向けると、固まったままのフィオナの手を取って歩き出す。


「出過ぎた真似をしちゃった……。行こう? お姉ちゃん」

「え、え? ソフィアちゃん?」

「そうだ。また後で一緒にお風呂いこうねっ。女神シャーレ様よりもずぅっとキレイなお姉ちゃんの身体、私がキレイに洗ってあげるね♪」

「え、え、えっ!」


 困惑して足をもつれさせながら歩き出すフィオナ。ソフィアはスタスタと歩いたまま止まらない。



「――待ちなさい」



 女神シャーレが呼び止め、二人は足を止めた。

 逆さまだったシャーレはふわりと回転して頭を上にし、聖女ミレーニアのぬいぐるみを抱きかかえながら言う。


「勝負とやらには何の興味もない。けれど、完全なるこの私よりも美しいなどということは認めない。良いでしょう。その安い挑発を受けます」


 背を向けたままのソフィアが、わずかに笑みを浮かべて「よっしゃ!」と小声でガッツポーズを取る。

 ソフィアはくるっと振り返り、ワンピースを裾をドレスのようにつまんで礼をする。そしてまた『聖女』らしい綺麗な微笑みを見せた。


「申し出を受けていただき光栄です、シャーレ様。それでは……場外乱闘ばりに激しいバトルでばっちり決着つけさせてもらいますからねッ!」

「不完全な聖女が、まるで百面相ね。――聖女フィオナ。これの責任はお前の責任です。お前も参加なさい」

「えっ!?」

「えっお姉ちゃんもいいの!? さっすがシャーレ様話がわかるぅ! お姉ちゃん一緒に頑張ろうね! 二人であの腹立つ女神様ぼっこぼこにしちゃうぞー!」

「え、え!? ええ~~~~~~っ!?」


 こうして連帯責任で巻き込まれたフィオナも一緒になり、聖女の姉妹と完全なる女神とのガチンコバトルが幕を開けることになるのだった!

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