♯269 勇気のジャンプ
◇◆◇◆◇◆◇
「――ふぁっ」
フィオナが目を開けたとき――その瞳に映ったのは美しい光だった。
視線を固定したまま、ゆっくりと上半身を起こす。
目の前にあるのは、たくさんの光をため込むように輝く大きなステンドグラス。煌びやかな着色ガラスに描かれるのは、羽衣を纏う女神。そして女神に向かって祈る一人の少女。
「……きれい…………」
その美しく静謐な光景に、フィオナはしばし我を忘れた。
それから漫然と周りを見渡す。
淡い光に照らされる祭壇。赤い絨毯の引かれた身廊。連なる柱には女性たちの彫刻が施されており、一人一人がとても精巧な造りをしていた。見上げれば、星を象った美しいアーチを持つリブ・ヴォールト造りの天井が見る者を吸い込むように広がっている。これは聖都の大聖堂と同じ構造であり、神の意匠と呼ばれる。
すべてが神秘的かつ完全な調和の整った美しさを持っており、人の手で造られたと思えないほどの完成度に、フィオナは感動していた。不意に、涙が出てくるほどに。
やがてフィオナは自分が泣いていたことに気づいて、ようやく我を取り戻す。
「あ、あれ。わたし…………えっと、ここ、どこ……だろう……? どうして、わたし……」
フィオナは、自分が何をしているのかよくわからなかった。純白のワンピースだけを身につけており、裸足のまま靴さえ履いていない。頭がぼんやりとしていて、上手く思考がまとまらない。なんだか、夢を見ているような気がした。
ふらふらしながら身廊を歩いていると、一体の彫刻柱に目がいった。
「……あ」
見覚えのある女性の像。
近づいたフィオナは、そっと像に触れた。冷たい石の感触が、手に伝わる。
「……ミネット、様……?」
その像は、間違いなく先代の聖女ミネットのものだった。街の催し物などで何度か見かけたことのある彼女の優しい表情は、像になっても変わらない。像の足下には、ちゃんとミネットの名が刻まれたプレートもあった。
そのとき、フィオナがずっと握っていた手の中で何か温かな光が漏れた。
「――え?」
手を開くフィオナ。そこに、大切なペンダントがあった。
その光を見た途端に、フィオナは思い出した。
「……そう。そうだよっ! わたし、ソフィアちゃんを迎えに来たんだ……!」
頭の中に掛かっていたもやのようなものが晴れ、意識がとてもクリアになったように感じられた。それが“彼女”のおかげに思えて、フィオナは像を見つめながら言った。
「ミネット様……ありがとうございます!」
お礼を言ったフィオナは出口へ向けて駆け出す。
そんなフィオナを見送るミネットの像の隣に、まだ削られていない柱があった。その柱のプレートには、ソフィアのフルネームが既に刻まれていたことにフィオナは気付かなかった――。
教会の大きな扉を両手で押して、フィオナは外へ出る。
――そこに広がっていたのは、星々の世界だ。
視界の半分を煌めく星空が占め、その明かりだけで世界が照らされている。大小の綺羅星は思わず吐息が漏れてしまうほど美しい。
それから徐々に視線を下げていくフィオナ。
どうやらこの教会はずいぶんと高い所に建てられているようで、フィオナは段々畑のような土地の最上段にいた。近くの泉から湧き出た水は川となってサラサラと流れていき、やがて滝になり下へ下へと落ちていく。水の音や流れは、見ているだけで心が洗われるようだった。
ペンダントを首に掛けたフィオナは、両手で川の水をすくってみる。手のひらからこぼれ落ちていく水は冷たく気持ちが良い。そしてあまりにも透明度が高く、そこに存在することがわからないほどだった。そんな川辺には色とりどりの花々が咲き誇っており、落ち着く甘い香りが漂っている。ふと、あの『花の楽園ミスティオラ』をフィオナは思い出したが、あそこでも見たことのないような珍しい花ばかりが地面を覆っている。
フィオナは屈み込み、柔らかな風に揺られる花たちを見つめながらつぶやいた。
「ここが、神域……なのかな? まるで、おとぎ話の世界みたい……。でも、わたし、前にも来たことがあるような気がする……」
立ち上がると、フィオナは再び歩き出した。
こんなにも美しい世界であるのに、鳥や虫など、生き物の声は何も聞こえない。ただ美しい世界が延々と広がっており、素足で踏みしめる土や草の感覚が心地よい。段々となっている大地を繋ぐ階段見つけて下りて、少しずつ、下段の大地へと進んだ。
そのうちに、どこからか人の声が聞こえてきた。
「……ソフィアちゃん?」
怒鳴っているのか叫んでいるのか、何を言っているのかはよくわからない。しかしその声にフィオナは聞き覚えがあり、ソフィアのものであるとわかった。
胸元のペンダントが淡く光る。呼ばれているような気がした。
フィオナはペンダントをきゅっと握り、走った。声の聞こえた方向を目指して。
(ソフィアちゃん……やっぱり、ここにいるんだ……!)
早く彼女に会いたかった。もう一度ソフィアの声が聴きたかった。彼女の笑顔が見たかった。
だが、フィオナの足は止まった。そこは大地の切れ目であり、これ以上足を踏み出せば落ちてしまう。近くを見回しても、今までにあったような階段がない。どこかにはあるのかもしれないが、それを探す手間が惜しかった。なぜなら、下層からソフィアの声がかすかに聞こえてくるからである。まだずいぶん下の方ではあるが、間違いなく、この下の方に彼女がいる。それがわかっているから、フィオナは逸った。
「――あっ! そっか魔術で――って、あ、あれ? 杖がない?」
いつも股のあたりにしまっているはずの『星の杖』がない。よく考えれば眠る前の服装とも違っているし、ここはやはり現実と違う場所であり、理の異なる世界なのだとフィオナは知った。
しかし、杖がなければフィオナに風の魔術で空を飛ぶような真似は出来ない。そもそも、なぜかこの場所では魔力を放出することが出来ないようだった。
「ここでは、魔術が使えないのかな……? えっとえっと、それなら――」
フィオナはまた辺りを探って、そして、あることをひらめいた。
ゆっくりとそちらへ歩み寄る。
彼女の前にあるのは――下段の大地へ悠然と流れ注ぐ、滝のような清流。
フィオナはごくっと息を呑んだ。
そして、首のペンダントをぎゅっと握りしめる。
「……『
フィオナは、川へ向かってジャンプした!
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