♯267 迎えに行きます!


「……大司教さま」


 呼びかけても、レミウスは静かに黙ったままフィオナの言葉を待っていた。


 フィオナは、レミウスの気遣いに感謝をしていた。

 先ほどまで部屋にいた聖職者やシスターたちを彼が追い出したのは、フィオナの出生に関わる秘密をできる限り内密にしておきたかったからだろう。その上で、彼一人が聖職者たちの代表としてお願いをしてくれたことで、話もしやすくなった。大勢から神のごとく崇め奉られて懇願されては、フィオナも大変にやりづらいことを承知してくれている。ひょっとしたら、フィオナの心づもりもわかっているのかもしれない。だから、フィオナは少しだけ答えをためらった。


 そんなとき、コンコンと部屋の扉がノックされた。

 扉を開けたのは、ソフィア専属のメイド。ティーワゴンにポットを乗せた彼女は、頭を下げてから入室した。


「――失礼致します。リラックス効果のあるものをお持ち致しました」


 カラカラとワゴンを押すメイドは、クレスたちの元へやってくると早速紅茶の準備をする。すぐに芳醇で落ちつく良い香りが部屋に充満し、少し鬱屈していた空気が浄化していくようであった。


 おかげで気持ちの安らいだフィオナは、メイドに対して小さく礼をした後、一度呼吸を整えてクレスの方を見る。するとクレスは、『任せるよ』と言うように穏やかな顔でうなずいてくれた。


 フィオナは、膝をついたままのレミウスにそっと手を差し伸べる。


「大司教さま。お茶をいただきながら、ゆっくりお話をしませんか?」

「……フィオナ様」

「さ、様はやめてください。それから……ごめんなさい。わたしはやっぱり、聖女さまにはなれません」


 その答えを聞いて、レミウスはゆっくりとまぶたを閉じた。


 それから深く息を吐き、フィオナの手を取って立ち上がる。

 目を開いたレミウスは、複雑な表情で尋ねた。


「理由を……お聞かせいただくことは、出来ますか?」

「はい。わたしも、聞いてほしいことがあります」


 それからフィオナとレミウス、クレスの三人は椅子に腰掛けてから、メイドの淹れる紅茶を待ちつつ、心を落ち着ける。その間に、フィオナはレミウスから一冊の日記帳を受け取った。それは、聖女ソフィアが書き残したものだという。フィオナが確認のため目を向けると、レミウスはこくんと小さくうなずいて応えた。


 フィオナとクレスが日記に目を通しているうちに、三人分の紅茶が出来上がった。

 紅茶の香りに包まれる中、フィオナは日記帳を閉じると、一息ついてから切り出す。


「……大司教さまや皆さんのお願いを聞いてあげられなくて、ごめんなさい」


 謝罪するフィオナを、レミウスは何も言わずに見つめていた。


「お話を聞いていて……わたしにも、責任感が芽生えてきました。お母さんとミネット様、ソフィアちゃんのこと。本当にわたしにも聖女となるべき素養があって、神様にそう認められたのなら、ソフィアちゃんの代わりにわたしがやらなきゃって、それが運命なのかなって、そう思う気持ちも、あるんです」

「……では、なぜ?」


 問いかけるレミウスの目を見つめながら、フィオナはハッキリとこう答えた。


「ソフィアちゃんが、そのことを望んでいないと思うからです」


 その答えに、レミウスが大きく目を見開いた。

 フィオナは、ソフィアの日記帳を細い指でさすりながら話す。


「この日記を読んで、もっと確信出来ました。ソフィアちゃんはきっと、まだ聖女としての役目を終えたとは思っていない。ソフィアちゃんは、諦めていない。運命と戦う。ここには、そう書いてありますよね」

「……しかし、ソフィア様は、もう何日も……」

「ソフィアちゃんが諦めていない状況で、大司教さまが、わたしたちが諦めてはいけないと思うんです。それに……双子だから、なんでしょうか。ソフィアちゃんの気持ち、わかるような気がするんです。勝手に諦めないでよって、わたし頑張ってるんだからって、今もそう言ってるような気がして」


 フィオナの視線の先で、ソフィアは静かに眠り続けている。レミウスもまた、ソフィアをじっと見守るように見つめた。


 それからレミウスは目を伏せ、絞り出すようにつぶやく。


「……お気持ちは、わかります。だが、我々に出来ることは、もう……」


 両手を固く握りしめるレミウス。



「迎えに行きましょう」



 突然のフィオナの発言に、レミウスは呆然と固まった。それからゆっくりとフィオナの方に視線を移して声を漏らす。


「…………今、なん、と……?」

「迎えに行きます。わたしが、ソフィアちゃんを迎えに行きます!」


 迷いのない瞳で、フィオナは明るく、真っ直ぐにそう告げた。隣のクレスは、紅茶に口をつけながらうっすらと微笑んでいる。


 困惑のレミウスは、訝しげに尋ねた。


「な、何を、仰っているのか……? ソフィア様は、シャーレ神の御心によって魂を神の世界に招かれておられるのです。そこは我々地上の俗人などが足を踏み入れることの出来ぬ聖なる神域……だからこそ、我々には見守ることしか出来ない……。そしてソフィア様はもう、地上へお戻りになることは……!」



「“聖女”なら、行けるのですよね?」



「――!?」


 フィオナの言葉に、レミウスは目を見張った。そして彼は、ようやくフィオナの思惑を理解したようであった。


「……フィオナ、様…………貴女様は、ま、まさか……!?」


 フィオナは、にっこりと微笑みかけてうなずく。


「もちろん、わたしに出来るかはわからないです。方法だって知りません。でも、ソフィアちゃんと双子のわたしなら……この髪と瞳が、その証なら。わたしでもソフィアちゃんの元へ――神域に行けるかもしれません!」


 それこそが、フィオナの答えであった。

 ソフィアはまだ、『天星』したわけではない。きっと天上で戦い続けている。そう信じるフィオナは、ソフィアを迎えに行くと決めた。クレスは彼女がその選択をすると確信していたからなのか、まったく動じる様子はなかった。


 思わず立ち上がっていたレミウスは、身体を震わせながら己の口元に手を当て、自問するようにつぶやく。


「よ、よもやそんな……ソフィア様を、お迎えに……!? いや、し、しかし、確かに貴女様は聖女の証を持つ者。ならば…………可能……なの、か? そんな、ことが……」

「わかりません。けれど、可能性のあることならなんでも試してみたいです。諦めるのはいつだって出来ます。だから……大司教さまっ」


 フィオナも立ち上がり、レミウスの震える手を取った。


「もう少しだけ。一緒に、ソフィアちゃんのために頑張りませんか!」


 そう言ってフィオナが微笑むと、レミウスの身体の震えはぴたりと止まった。



『――諦めるのはいつでも出来る! わたしは、ミネットのために出来ること全部したいのっ。だからレミウスさん、手伝って!』



 レミウスの瞳の中で、フィオナと在りし日の彼女の姿が重なっていた。


 しばらくぼうっとフィオナの顔を見つめていたレミウスは――やがて、長い息を吐いてからつぶやく。


「…………やはり、よく、似ておられる……」

「え?」

「いえ、独り言です。承知致しました」


 レミウスは再び跪き、フィオナの手に自らの皺が刻まれた片手を乗せて言った。


「お心添えを感謝致します。そして、教会の代表として、すべての人々のために改めてお願いを致します。聖女ソフィア様を取り戻すため、どうか、お力をお貸しいただきたい」


 彼の言葉に、フィオナとクレスは顔を見合わせて笑う。

 

 すべてを聞いていた黒髪の無表情なメイドは、いつもの彼女らしく淡々と紅茶のおかわりを用意していた。

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