♯243 歌って踊って後夜祭

 丘の鐘が鳴り響いたとき、フードバトルグランプリは熱狂の中で終了した。

 街が朱く染まる時間。昨日『看板娘コンテスト』が行われた大広間の特設ステージでは、結果発表の準備が着々と進む。ステージ前には、集計を待つ参加店舗と客たちとで大賑わいとなっていた。


 それから、いよいよその時が来る。

 壇上に立つ進行役のメイド――ソフィアの専属である彼女が静かに頭を下げ、淡々とした声で紙面に書かれた内容を読み上げる。そして、八位~四位までに入賞した店舗の名前が挙がり、店員らが歓喜に震えて抱き合ったり肩を組み合ったりした。


 残るは上位三組。

 三位に呼ばれた有名レストランのシェフはがっくりとうなだれ、同僚が慰める。

 二位に呼ばれた有名な食堂のママさんは胸を張って笑った。


 そして――


「それでは、本年度の聖都フードフェスタ、バトルグランプリの優勝店舗を発表致します。栄えある優勝は――」


 その店の名が呼ばれたとき、会場は大いに盛り上がった。初出場の店舗が優勝することはグランプリが始まって初めてのことであるからだ。


 優勝店舗の代表として壇上に上がったのは、美しいドレスを纏った金色の髪を持つ少女だった。彼女のその姿に見覚えがあった観客、ウェイトレスとしての初々しい活躍を目の当たりにしていた者たちは、さらに声援を送る。ドレスの少女は皆々に一礼し、聖女ソフィアから記念の盾を受け取った後、また頭を下げた。クレスやフィオナたちも大きな拍手を送りながら見守る。

 優勝店舗へのインタビューがスタートした。

 すべての人の注目が集まるそのタイミングで、ドレスの少女――ルルロッテは可憐な笑顔を見せた後、よく通る美しい声で語り出した――。


 初め、都民たちは戸惑った。ルルロッテも良い感触は得ていなかった。

 しかし、真剣なルルロッテの言葉を聞くうちに、皆が引き込まれていった。


 その中で、声を上げる者が現れた。

 彼はヴェインス公国という小さな国の生まれであり、戦争が始まった直後になんとか聖都まで逃げ延びてきた男性で、やがてこの街で家族を作り、幸せに暮らしていた。そんなとき、『看板娘コンテスト』でルルロッテのドレスを見て、歌を聴いて、堪えようもない感情に襲われた。ずっと心の奥に残っていた祖国への罪悪感を涙ながらに語った。公女ルルロッテに許しを請うた。


 ルルロッテは彼の元へ駆け寄り、自分よりずっと大きな身体を強く抱きしめた。


「生きていてくれて、ありがとう。ありがとう……ございます……」


 同じように涙するルルロッテは、彼の存在で決意をさらに強くした。

 彼にとって、自分はまだ『公女』なのだから。

 自分のためではなく、彼のために、“彼ら”のために力を尽くさなくてはならない。それが人の上に立つ者の務めである。


 この状況に、聖女ソフィアは柔軟に動いてくれた。まずは戸惑う人々を先導し、安堵させた上で、ルルロッテに協力を申し出た。ルルロッテは聖女の心配りに感謝し、国を再興した暁には、必ず聖都への支援国になることを約束した。


 そんな湿っぽい空気を吹き飛ばすように、グランプリ二位と三位の店主が声を上げる。残った食材をすべて使い、全員で後夜祭を行おうと。それに賛成した他の店舗も次々に動き出し、都民と来訪客みんなで酒池肉林の大騒ぎが始まる。

 するとヴァーンが麦酒の入ったジョッキをいくつも持ってきて、エステルが小さくため息をつき、セリーヌが笑いながら受け取って、リズリットとレナはジュースを手に取り、クレスとフィオナはお互いに顔を見合わせて笑い合う。

 この宴の最中に行われたルルロッテの歌はすべての者を虜にした。それはただの歌だったが、それで十分だった。

 さらにルルロッテはフィオナを誘い、フィオナは大いに戸惑ったものの、二人である有名な童謡を歌った。この大陸の多くの国に伝わる、誰もが子供の頃に聴いたような童謡。それは皆の心を癒やし、励まし、強く結びつける力を持っていた。


 べろんべろんになったご機嫌のヴァーンが、静かに座りながらグラスを揺らしていたエステルの肩にガッと手を回す。


「うぇーい! 飲んでるかツンドラペッタンコ女!」

「死んで」

「ぐへっ!? ――いっでぇええええ! オイいきなり目つぶしかましてくんなや! つか服の中に氷入れんな冷てぇぇぇぇ! だーもう一発で酔いが醒めたわ!」

「酔いを覚ますのは得意よ。頭も冷やしてあげましょうか」

「いらんいらん! ったく、珍しくイイ顔してやがるから声掛けてやったのによぉ」

「気色の悪いことを言わないで。それに私は常に良い顔でしょう」

「へぇへぇ確かに顔だけはなァ! んで、お前は歌わんの?」


 ステージの歌を聴きながら、グビグビと酒を煽るヴァーン。「うめぇー!」と大きな声があふれ出た。

 エステルは氷の入ったグラスを軽く傾け、脚を組み替えながら言う。


「私はいいわ」

「ア? なんで?」

「人に聴かせるようなものではないからよ」

「かぁー、まーたクールぶってんよこのツルペタはっ。せっかく盛り上がってんのにもったいねぇな」

「余計なお世話。それより貴方、呼ばれているわよ。邪魔だからあっちで乱痴気騒ぎでもしてきなさい」

「んじゃそうさせてもらいますかねぇ!」


 ジョッキを持ったまま、ふらふらと歩き出すヴァーン。


「ああそうそう」


 彼はいったん足を止めると、


「あのお姫様もなかなかのモンだが、お前のも、まあまあなモンだと思うぜ」


 振り返らずにそれだけ言って、ふらつきながら去っていった。

 残されたエステルは、しばらくの間ルルロッテやフィオナたちの方をじっと見つめた。


「聞こえている?」


 カラン、とグラスの氷が音を立てる。


「貴女もきっと、あそこに飛び込んでいったのでしょうね。そして、まあまあよりは上手な歌を、聴かせてくれたかしら」


 エステルは冷酒に口を付け、グラスの縁を指で拭き取って微笑する。


 そこで、腕を掴まれた。



『姉さんっ!』



 ハッと顔を上げる。


「エステルさんっ!」

「……フィオナ、ちゃん?」


 何度かまばたきをするエステル。

 目の前にいたのは、火照った顔のフィオナだった。


「えへへ、みんなで歌うのって楽しいですね! エステルさんも、一緒に歌いませんか?」

「え……ああ、いえ、私は……」

「エステルさんの声、わたし、すごく好きなんです。綺麗で、透明感があって、瑞々しくて……だから、是非一緒に歌ってみたいなって……ダ、ダメですか?」


 子犬のように健気な表情を浮かべるフィオナ。


 エステルは思った。

 ひょっとしたら、公女ルルロッテもこういう気持ちになったのだろうかと。


 エステルはしばらく唖然とした後、目を閉じて長い息を吐き、スッとしなやかな脚を伸ばして立ち上がった。


「……“妹”のお願いは、断れないわね」

「あっ、それじゃあ……!」

「少しだけ、付き合いましょう」

「――はいっ!」


 テーブルにグラスを置いたエステルは、嬉しそうに笑うフィオナに手を引かれながらステージの方へと進んでいく。

 仲間と酒を酌み交わしていたヴァーンが、そちらを一瞥してニッと歯を見せるように笑った。

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