♯216 至れり尽くせり

 家に戻ったフィオナはすぐにクレスの服を脱がせ、汗を拭いてから着替えさせてベッドに寝かせると、テキパキと粥の準備を始めた。クレスはただ呆然としながら、小気味よい包丁の音に耳を澄ませるのみである。良い匂いに彼のお腹がぐうと鳴った。


 やがてフィオナが完成したチキンスープの粥を持ってくると、スプーンですくった中身を丁寧に冷ましてからクレスへと差し向けた。


「どうぞ、クレスさん。あーんしてください」

「あ、あーん……」

「熱くはありませんか? やけどに気をつけてくださいね」

「うん……おいひい……」


 もぐもぐもぐ。食べやすいサイズに切られた野菜と、薬味の利いたとろとろの粥。程良い塩気が身体に染み渡る。

 以前、クレスは母親の得意だった料理をフィオナに訊かれて教えたことがあるが、チキンスープの粥はその一つだった。それを覚えてくれていただけでクレスは嬉しかったが、一口食べるだけで全身に生気がみなぎってくるような味の再現度に感動さえ覚える。仕事に集中していて気付けなかったが、どうやら思った以上に身体は疲れていたようだ。続けてフィオナがあーんしてくれるたび、クレスは噛みしめるように味わっていく。途中で水まで飲ませてくれるなど、甘やかされる子どものようで多少恥ずかしくはあったが、フィオナが相手だとそれを自然と受け入れられる。


さらにフィオナが差し出したカップの中身に、クレスはちょっぴり驚いた。


「あ……フィオナ、これはっ」

「ふふ。シノさんの国では、身体が弱ったときに飲むそうですね。クレスさんにも修行中に飲ませていたことがあると聞きまして、シノさんからこっそり作り方を教わっていたんです」

「そうだったのか……懐かしいな」


 手元の温かいカップに目を落とし、また懐かしい匂いを感じるクレス。

 ――『タマゴ酒』だ。

 よく混ぜた卵に酒を加え、砂糖とちょっぴりのミルクでまろやかな飲みやすさになる。とても栄養があり、ポカポカと温まる身体に優しい飲み物だ。旅の途中、疲れた心身を癒やしてくれたことを思い出す。


 さっそく口をつけるクレス。思い出以上の味の素晴らしさに胸中で感嘆としながらも、ついつい一気に飲み干してしまう。


「……はぁ。うん、これも美味しかった。ごちそうさま。ありがとうフィオナ」

「喜んでもらえたなら良かったです♪ すぐに元気になれるよう、特別な隠し味を加えてありますから、一晩眠ったらもう大丈夫だと思います!」

「ん? 隠し味?」

「うふふ。さぁ、今日は早めに休みましょうね。クレスさんが眠りにつくまで、隣で添い寝をさせてください」

「えっ」


 そう言うと、フィオナは部屋の魔力灯を一つだけ残してあとは消し、薄暗くなったところでいそいそとベッドの中に入ってきた。そのままクレスに寄り添い、頭を撫でてくれたり子守歌まで歌ってくれる。チキンスープの粥やタマゴ酒のこともあり、クレスは本当に子どもの頃に戻ったような錯覚をした。


「…………むぅ……」


 うとうとし始めるクレス。

 疲れもあったのだろう。お腹も心も満たされて、すぐに眠気の誘惑がやってくる。


 そんなとき――クレスはシーツの中でさらに心地良い温かさを感じた。

 滑らかで極上な肌触りと、頭が蕩けてしまうような温もり。


 クレスには覚えがあった。忘れるはずもなかった。これは、フィオナの――


「…………フィオナ……?」

「はい、ここにいますよ。ゆっくり、ゆっくり休んでくださいね。わたしがそばにいますからね。何も気にせず、ゆっくりと眠ってください」

「…………うん」


 彼女の優しいささやき声に、意識が夢の中へと誘われていく。


 まぶたが落ちきる最後の瞬間、クレスの視界の隅でフィオナの着ていた服がベッド脇に落ちていたような気がしたが、ともかくもう何も考えられないほどに、クレスは癒やされきっていたのだった――。



 ――翌朝。ベッドの中のクレスは、朝日と共にパッチリと覚醒した。

 

「…………よし」


 すぐに解る。

 クリアな意識。熱は引いて、身体は完治した。万全と言える状態だろう。

 元々勇者として長旅を続ける中で、強靱な肉体を手に入れていたクレスだ。ほとんどの場合、軽い不調など一晩熟睡すれば問題はない。そもそも旅の途中は熟睡出来る機会などなかなかないものだ。それに比べると、フィオナの看病による一晩はまるで天国のようだった。すべては彼女が看病を尽くしてくれたおかげだ。チキンスープの粥やタマゴ酒の味、よしよしと頭を撫でながら添い寝してくれた幸せな感覚が今も残っている。

 これならば、フェスタへの参加も問題ないだろう。クレスはフィオナに迷惑を掛けずに済むと安堵していた。


「ありがとう、フィオナ…………ん?」


 そこであることに気付くクレス。

 よっぽど心配だったのか、隣でスヤスヤと眠るフィオナがベッドの中でクレスの腕にギュッと抱きついていたのだ。


 そんな妻の愛らしい姿に胸が高鳴ったとき。


「――っ!? こ、これは……!」


 思わず固まってしまうクレス。


 ――この柔らかな感触。

 ――この甘美なほどの温もり。


 間違いない。


 クレスは、多少申し訳なく思いながらもそーっとシーツの中を覗いてみた。


「……!!」


 そしてすぐにやめる。


 想像通りだ。



 フィオナは――なぜか裸であった!


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