第八章 わたしと仕事どっちが大切なの編

♯205 看板メニューの完成。クレス、仕事を手に入れる

 シノが聖都を離れてしばらくが経った。

 大陸を吹く風が心地良い涼しさを含むようになり、暑さは落ち着きを見せる。街を彩る『魔力灯』の点灯する時間が早まり、人々の服装は少しだけ厚さを増し、セリーヌの店では外套がよく出るようになって、街にも様々な変化が見られるようになった。


 そんな街で、人々はある催し物に向けての準備を進めていた。


 聖女の誕生を祝う聖誕祭。聖都の大きな象徴でもある『聖究魔術学院アカデミー』の卒業式典など。毎年恒例の催し物はいくつかあるが、今回行われるものは都民――とりわけ商売人にとって最も熱くなる『お祭り』である。


 そして今年、クレスとフィオナにとってもその祭りは重要な意味を持つ。


「――できました!」


 聖都の外れの森にあるクレスとフィオナの家。そこである新作スイーツを焼き上げたフィオナがそんな声を上げたのは、夕暮れ時のことだった。


 エプロン姿のフィオナが、ようやく仕上がった試作品をクレスへと披露する。


「『魅惑のふくらみパフィ・ププラン』と名付けてみました。クレスさんっ、是非、食べてみてもらえますか?」

「おお……これは……!」


 皿に載せられた丸い焼き菓子――『パフィ・ププラン』を手に取るクレス。

 大きさはクレスの手の平の半分ほどで、白っぽい生地がふんわりと風船のように柔らかく膨らんでいながらも、ずしっと確かな重量感のある菓子だった。まだ焼きたての香ばしい香りがクレスの鼻腔をくすぐる。


「……うーむ、なぜだろう。見たことも食べたこともないはずだが、どこか懐かしく、そして親しみを感じられる……。なぜこんなにも惹かれるのだろう……」


 真剣に菓子を見つめるクレス。そして彼はついにそれを口へと運んだ。


「では――」


 ぱくり、と菓子の半分ほどを囓るクレス。その瞬間、潰れた生地の中からとろりとしたクリームが溢れ、クレスの口からこぼれそうになる。その様子をフィオナがそわそわと見守っていた。


 しばらく味を噛みしめていたクレスは、やがてカッと目を見開いた。


「……美味いッ!」

「えっ?」

「美味しいよフィオナ。食べる前からわかっていたが、これはやはりすごい……! 皮の香ばしさと、中のクリームの程良い甘さが見事に合わさっている。あまり甘い物を食べてこなかった俺でもよくわかるほどだ。さ、食べてごらん」

「ほ、本当ですか? それではわたしも――」


 続けてフィオナも『パフィ・ププラン』を一口。そして頬を蕩けさせた。

 思わず手と手を取り合って喜び合う二人。試作に試作を重ねた結果、ようやくスイーツ店の看板商品となるものが完成した瞬間であった。


 クレスが腕組みをしながらうんうんとうなずく。


「これなら店は必ず繁盛する。そう確信出来る味だよ。これを看板メニューにすべきだろう」

「はいっ! 自信はあったのですが、やっぱり食べてもらうまでは胸がドキドキしていて……でも、クレスさんに喜んでいただけてさらに自信がつきました。すごく嬉しいです! これも、クレスさんがお手伝いをしてくれたおかげですね」

「フィオナが頑張ってきた結果だよ。それにしても、スイーツ作りとは意外に体力を使うものだね。特に生地がなかなか大変だった」

「ふふっ。クレスさん、すっかり上手になっていましたよ。本当は、わたしが全部と思っていたのですが……それはきっと、欲張りなことですよね。これから作るのは、二人のお店なんですから。クレスさんには、生地作りのお仕事をお任せしても良いでしょうか?」

「なっ――!?」


 目を見開き、ガーンと大きな衝撃を受けたような表情をするクレス。


 とうとうである。

 

 彼はグッと拳を握り、その目を子どものように輝かせた。


「つ、ついに俺にも仕事を任せてもらえる日が来るのか……! やったぁ! 頑張るぞ! 任せてくれフィオナ!」

「ふふふっ。頑張りすぎはダメですよ? もしクレスさんが『頑張っている』と判断したら、わたしはすぐ止めちゃいますからね。ほどほどに、ですよ? それから、普段のお料理や家事はわたしの大切なお仕事ですから、そこは譲れません!」

「わ、わかった! 頑張りすぎない程度に頑張ろう!」


 難しい決意表明をするクレスに、くすくすとおかしそうに笑うフィオナ。


 ともあれこれで、ようやく勝負に挑めるメニューが完成したのであった。

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