♯196 1000勝1敗

 シノはしばらく呆けた後、小さく笑って言った。



「――こりゃあ、たまげたね」



 フィオナが「えっ」と目をパチクリさせる。

 シノの表情が、先ほどよりもどこか楽になったように見えたからだ。


「フィオナさんの言うとおりよ。私は――うちは、いつも自分を隠しているんじゃ。本当のうちは、クレスが思うような立派な師匠ではないんよ」

「えっ、え? シノ、さん? その、話し方は……」

「あのね、これが本当のうちなんよ。故郷くにの訛りが強いけ、あんまり他人には聞かれたくなかったんじゃ……」

「わわわっ、そ、そうだったんですか?」

「うん。それと、うちが目を閉じている理由じゃけど……フィオナさんが思うように、目が見えないからではないんよ。……ああ、これが一番恥ずかしいなぁ……笑わんでね……」


 シノは何度か深く呼吸をした後、鏡の方に向かってぼそっとつぶやいた。



「…………うちは、人見知りなんよ…………」



 フィオナが、ポカーンと口を開けた。


「……へ? ひ、人見知り……ですか?」


 想像しない返答だったのか、復唱して確認してしまうフィオナ。

 シノは頬を赤くしながら、きゅっとブラウスの裾を掴んで答える。


「そう……。うちは、小さい頃からそうなんじゃ。人の目を見てしまうと、いろんなことを感じ取ってしまうんよ。どう思われてるのか、何を期待されているのか……。そういうのが怖くて、人が苦手で、目をつむるようになった。からかわれんよう、常に敬語で話すようにした。そうしたらなんとか人と話すことが出来るようになったんよ。次第に、目を閉じていても生き物の気配や空気の流れなんかでいろんなことがわかるようになった。でね、実家いえの教えで習っていた剣術にはそれがすごく効果的じゃったみたいで……人間、不思議なものじゃね」

「あ……シノさんは、だから常に目を……?」


 こくっと小さくうなずくシノ。

 彼女はうつむき、前髪で視線を隠したまま続きを話した。


「情けない話よね。うちなんかを尊敬してくれるクレスにはとてもこんな姿見せられんから、修行のときから敬語で厳しく対応しとったんよ。そもそもそれ以外の方法で接することが出来んかった。あの子が強引に弟子になったとき、本当に困ったんよ。人と目も合わせられないうちが、どうやって子どもに修行をつけるんじゃって。冷たく厳しくしていれば、すぐに逃げてくれると思ったんじゃけど……」

「……クレスさんは、逃げない、ですよね」

「うん。うちはあの子の覚悟を舐めておった……。困り果てたうちは、うちを見よう見まねで覚えるように躾けたんじゃ。そうしたら、あの子はみるみる強くなった。うちはたまに助言をしたくらいなんよ。あの子が勝手に強くなった。それはあの子の才能なんじゃ。なのに、えらい尊敬されてしまってね」

「そんな事情があったんですね……」


 まさかシノがこのような秘密を抱えていたとは、フィオナは想像もしていなかった。だから驚いたのと同時に、申し訳ない気持ちになる。クレスの師匠だからという理由で勝手にシノの人物像を決めつけてしまっていた。そういうものも、きっとシノのプレッシャーになっていただろう。


 そこで、シノが更衣室に立てかけてあったカタナに視線を落としてつぶやいた。

 

「……でもね、あの子が育ってくれたことは、うちにとって一番嬉しいことだったんじゃ」

「……え?」

「うちは不出来な娘でね、小さい頃から何も取り柄なんてなかったんよ。たまたま剣を覚えられただけ。それが上手くいってしまったものだから……上手くいきすぎてしまったから、気付いたら、いろんなもんに担がれるようになってしもうた。毎日が息苦しかった。うちは、剣が嫌いになった。いつしか全部嫌になってしまって、国を出たんじゃ」

「そう、なんですか……。それじゃあ、クレスさんとはその後で……?」

「うん」


 うなずくシノの表情が、髪の隙間からわずかに見える。それは、どこか安心したようなものだった。


「クレスは、不思議な子よね。忌々しいと思ってたうちの力をうちが受け入れられたのは、あの子が全力で肯定してくれたからなんよ。心から敬ってくれたからなんよ。あの子が本当に世界を救ってしまったとき、うちは世界から生きていてもいいと言われた気がしたんじゃ。クレスがうちを救ってくれたんよ。だからうちは……あの子に恥ずかしくない師でいようと思えた。それだけが、今のうちの目的よ」

「シノさん……」

「うちは、それっぽっちの情けない人間じゃ。本当に大したことはないんよ。フィオナさんも、なんだかがっかりしたじゃろ? ごめんねぇ」


 自身を嘲笑するようなシノ。

 フィオナは、ふるふると小さく首を横に振った。そして穏やかに微笑む。

 

「そんなことは、ないですよ。とても立派なお師匠様だと思います。クレスさんのあの慕い方を見ていたら、よくわかりますから。ちょっぴりシノさんに嫉妬してしまったくらいです!」

「ええっ? そ、そんなもんかね」

「はいっ。それと、わたしの方こそデリケートなことに踏み込んでしまってごめんなさい。シノさん」

「うぅん、いいんよ。フィオナさんみたいなことを面と向かって言われたのを、初めてだったから。驚いたけど……なんでかな、また不思議じゃね。フィオナさんには話してもいいと、そう思えたんよ。ああ、こうやって本当のうちを見せたのは、子どもの頃以来じゃ。恥ずかしいなぁ……」


 照れ笑いを浮かべながら、うっすらと赤くなった両頬に手を当てるシノ。その表情は今までで一番力の抜けた、どこか子どもっぽいものだった。

 フィオナは微笑んだまま、シノにぴたりとくっつく。


「シノさんっ」

「わっ。ど、どうしたん?」

「今までのシノさんも凜々しくて格好よかったですけれど、わたしは、本当のシノさんも可愛らしくて好きです!」

「なんっ!?」


 それからフィオナはシノの手を両手で包み込むように握り、ゆっくりと落ち着いた口調で話しかけた。


「きっとクレスさんも……本当のシノさんを見たって、何も変わらないと思いますよ。クレスさんは、そういう方です。シノさんが、そんな立派な勇者様に育てたんですよ。シノさんは、間接的に世界を救ったようなものです!」

「ええっ? そ、そう、じゃろうか」

「はい、きっと!」


 ニコニコと笑うフィオナ。


 するとそこで――鏡に映るシノがうつむいていた顔を上げ、そっと、まぶたを開いた。


「わぁ……! シノさんの瞳、とっても綺麗ですっ!」

「……うう、あ、あまり見んといて……」

「えへへ、しっかり見てしまいました。藤紫のように綺麗な色ですね。なんだか、イメージにぴったりです!」


 二人で鏡を覗き込む。目を開けた二人がしっかりとそこに映り込んでいたが、シノはチラチラとフィオナを見てすぐに目を逸らしてしまう。その姿はまるで姉妹や友達同士のようでもあり、とてもシノがクレスよりも年上の女性には見えなかった。


 やがて、シノが小さく微笑む。


「……でも、今回ばかりは、ちゃんと自分の目で見られてよかったかもしれんね」

「え?」

「あの子のお嫁さんは……ばり美人さんじゃ」


 鏡の中で見つめ合う二人。

 ちょうど着替えも終わったところで、フィオナはシノの手を取って更衣室を出た。


「わっ。ちょっ! ど、どうしたん?」

「シノさん! せっかく着替えたんですから、今日は一緒に街を巡ってみませんか?」

「え、ま、街を?」

「はい! エステルさんやリズリットが行っている温泉に行きましょう! 身体を綺麗にして、新しい服を着て、それから美味しいものを食べて、ご案内したいところもたくさんあるんですっ。クレスさんたちが合流したら、みんなで行きましょう!」

「ええっ、フィ、フィオナさん待ってっ。うち、そ、そういうのは苦手で……」

「わたしがお守りします!」

「えっ」


 店の中で足を止めたフィオナは、片手を握って自分の胸元に当てる。


「クレスさんの大切なお師匠様は……わたしが責任を持ってお守りします! シノさんが目一杯聖都での休日を楽しめるように、がんばります! だから、よかったらご一緒に行きませんかっ?」


 そう言って、ニッコリと微笑むフィオナ。

 藤紫色の瞳でしばらく唖然ととフィオナの顔を見つめていたシノは、それからようやくつぶやいた。


「……弟子には一度も負けなかったんじゃけどね。本当に、強いお嫁さんじゃ」


 フィオナがパァッと輝くような笑みを見せ、手を繋いだままのシノもつられたように笑う。

 しかし、シノはそれからすぐにまた顔を赤くしてうつむき、動かなくなってしまった。


「? シノさん?」

「あ、あの………………」


 どんどん声が小さくなっていくシノ。フィオナがどうしたのかと顔を近づけると、シノは片手でブラウスの裾を股の辺りまで引っ張り、ぼそぼそとつぶやく。



「…………うち、ま、まだ……スカート、穿いて、ないんよ…………」



 それを聞いたフィオナの視線が、徐々にシノの下半身へと向いていく。

 少しの間を置いてペコペコと平謝りしたフィオナは、シノと共に慌てて更衣室へと戻っていった。たまたま来店していた数名の女性客が呆然とそんな光景を見ていた傍で、接客中のセリーヌが口元を手で隠しつつ、肩を震わせていた。

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