♯182 おもてなし

 突然現れたクレスの“お師匠様”の手によって、大木を切ることもなく移動させることが出来たため、店舗建設計画は一気に進むこととなった。さすがに棟梁たちは混乱した様子であったが、勇者クレスの師匠であるという一点のみで「ならそんくらいできらぁ!」と強引に自分たちを納得させて作業を始めた。


 一方クレスたちはいったん家の中に戻り、客人たる師匠を急遽出迎えることとなる。


「あの、お茶をどうぞ! それから、よ、よろしければこちらもっ」


 と言って、慌ただしく家の中を動き回っていたのはフィオナ。まず真っ先にお茶を淹れた後で、トレイに載っていた小皿をテーブルへと置いた。


「実は今度お店を始めようかと思っていて、その試作品の一つであるバターサンドクッキーなんです。ま、まだ未熟者なので、お口に合わないかもしれませんが……」

「手作りですか。これは素敵なおもてなしをありがとうございます。いただきます」


 和装姿のクレスの師匠は、背筋を伸ばしてピッと座ったまま手を合わせ、フィオナお手製のクッキーを一口かじる。フィオナはトレイを胸の前で抱きしめながら、息を呑んで反応を待っていた。

 このバターサンドクッキーは、二枚のクッキーでバタークリームとレーズンを挟んだ一品であり、フィオナにとってなかなかの自信作である。ただ、ひたすら好評してくれるクレス以外の人にはまだ食べてもらっていなかったし、その最初の人がまさかクレスのお師匠様になるとは思っていなかったため、さすがに緊張していたようだった。


 お師匠様は無言で一枚のクッキーを食べ終えると、両手で持ったカップを綺麗な姿勢のまま口へ持っていき、つぶやく。


「絶品でした」

「……へ?」

「私はあまり甘味を嗜む方ではありませんが、これは甘すぎず、バターにはなめらかなコクがあり、クッキーもサクサクと香ばしくて美味しいです。大変驚きました。これほどの腕があれば店も成功することでしょう」

「え…………えっ……」


 突然褒められてしまい、フィオナは目をパチパチさせながら固まってしまう。隣でクレスが満足げに大きくうなずいていた。


「あ……あ、ありがとうございます! クレスさんのお師匠様にそんなことを言っていただけるなんて嬉しいですっ!」

「お礼を言うのはこちらですよ。結構な物をいただきました。ありがとうございます」


 そうして二人がペコペコし合ったところで、ようやく落ち着いて話が出来る状態になった。対面のお師匠様に対して、クレスとフィオナが向かい合う形だ。


 ここでお師匠様がフィオナに対して言った。


「突然の訪問、申し訳ありません。ご挨拶が遅れましたが、私の名は『シノ・アズミ』。かつてはクレスの師であり冒険者……と、いうような肩書きもありましたが、今はしがない旅人です。どうぞ、宜しくお願い致します」

「あ、こ、こちらこそよろしくお願いします! 『フィオナ・リンドブルーム・アディエル』と言います! クレスさんの奥さんをさせていただいております!」

「クレスの妻を務めるのは大変でしょう。どうか、長い目で見てやってくださいませね」

「い、いえいえそんなっ! いつもご迷惑をかけてしまうのはわたしでっ、長い目で見ていただくのはわたしの方と言いますかっ、その、えっと、ク、クレスさんを立派な方にしてくださってありがとうございました!」


 立ち上がって、また大きく頭を下げるフィオナ。クレスの師匠――シノはどこか呆然とした顔をしているようであった。


 シノがささやくようにつぶやく。


「クレス」

「はい」

「素敵な方を、見つけましたね」

「はい。自分には勿体ない女性です」

「生涯を掛けて守りなさい」

「はい!」


 力強く答えるクレス。立ち上がったままのフィオナは、嬉しいやら恥ずかしいやらといった面持ちでそわそわと座り込む。


そこでフィオナが尋ねた。


「あのっ、シノさん。――あ、こ、こうお呼びしちゃっていいんでしょうか……?」

「構いませんよ。なんでしょう」

「えっと、先ほどのことなんですが……ど、どうやってあんな……!」


 と言うのは、当然シノが大木を移動させたことについてだろう。まるで魔術のような不可思議さであったが、一体どんな魔術を使えばあんなことが出来るのか、フィオナには疑問である。そもそも魔術のようにも見えなかったのだ。


 するとシノは、椅子に立てかけてあった愛刀を手に取って、穏やかに答える。


「私の刀でモノを斬ると、“存在転換”を起こすことが出来るのです」

「……存在転換?」

「そうですね。私と斬ったモノとでお互いの場所を入れ替えることが出来る、と言った方が理解に容易いでしょうか」

「ほぁ……」と不思議そうに目を開くフィオナ。シノがくすっと微笑んだ。


 フィオナの隣でクレスが答える。


「フィオナ、師匠の技は本当にすごいんだ。初見で師匠の技を見切れなければまず師匠に勝つことは出来ない。だが、初見であの技を見切れる者がいるとは思えない。しかも師匠の剣速は凄まじく、たとえ見切ってもそうそう避けられはしない!」

「やめなさい、クレス。弟子に称えられるのは気恥ずかしいでしょう」

「すみません!」


 なんだかちょっぴり興奮した様子のクレスに、フィオナは呆然となる。こんなクレスを見られるのは貴重だし、何よりクレスが本当にシノのことを慕っているのだとわかり、微笑ましい気持ちになって笑みがこぼれた。


 続けてクレスが言う。


「ところで師匠。長い間各地を旅されていたと聞きましたが、なぜ今になって聖都に? 師匠がここに来るのは珍しいのでは」

「あ、そ、そうなんですね。シノさん、何がご用事があったんですか?」


二人の質問に、シノはお茶のカップを置いて答える。


「初めは、クレスが魔王を倒して聖都に戻ったが命を落とした――という噂を聞いたのがきっかけです。師よりも先に逝く馬鹿な弟子を、最後に叱ってやりたかったのです」

「師匠……そう、でしたか。弟子として不甲斐ありません。申し訳ない」


 粛々と頭を下げるクレス。もしもフィオナが自分を救ってくれなければ、こうして師と再会することなど出来なかった。それほどの師不幸は他にないだろう。そのことに今気付いて、クレスは深く反省していた。


 するとシノは、淡々とした美しい声で続きを話す――。

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