第七章 お師匠様のおもてなし編
♯181 お師匠様
レナがスイーツ店計画に賛同してくれたこともあり、クレスとフィオナは本格的に店を始めるための準備に取りかかった。
コンセプトは、『誰でものんびり過ごせる森のスイーツ店』。
既に店を営んでいるセリーヌからアドバイスを得て事業計画を練り、他にも街の飲食店関係者から協力してもらって、準備は着々と進行。店舗用の調理器具を新たに購入したり、スイーツ素材の仕入れ先も既にいくつか決まった。特にあの『聖牛クレスちゃん』がいる牧場からミルクを仕入れてもらえる約束が出来たのは僥倖であり、仕入れ先に信頼と実績がある分、おかげで教会からはスムーズに営業許可を得ることが出来た。裏ではソフィアが後押ししてくれていたらしいが、決め手はフィオナの腕そのものであろう。試作品のプリンが絶品であり、厳しいことで有名な教会の飲食店担当者がすぐに首を縦に下ろしてくれたのだ。
店舗は森の家のすぐそばに建てることが決定し、整地等の作業も進んでいる。そして今朝は、街で林業を営む者たちが中心に手伝いに来てくれていた。また、ついでにクレスたちの家も増築することが決まっており、そちらの計画も始まっている。
そんな中で、ちょっと困ったことが起きていた。
「おーい旦那! こいつどうすんべ?」
大工の棟梁がそう声を掛ける。
クレスとフィオナは首を上に傾けながら悩んでいた。
「そうだな……この木はどうすべきか……」
「そ、そうですねクレスさん。ここまで大きいと……」
クレスとフィオナが見上げているのは、ででんと鎮座する大木。フィオナの故郷にあるような『ファティマ』の大樹ほどではないにしろ、この大きな木の存在が家の増築や店の建築を妨げてしまっていた。
かつてこの森を切り開いたときのクレスは、あえてこの大木の近くに家を建てた。それは、この木が森の中で最も大きく存在感があり、まるで森の主のように神秘的なものを感じられたからだ。
自分はこの場所に住まわせてもらっている身分である。出来ることならば、この木を切り倒すようなことはしたくない。特に大木には神や精霊の類いが宿るとも云われており、精霊王と邂逅を済ませているクレスにはその真実がよくわかる。これがクレスの本音であり、フィオナもすぐに理解を示してくれた。
フィオナが木に手を当てながらつぶやく。
「クレスさんのお気持ち、よくわかります。わたしの故郷のように、この木がこの家や森を守ってくれているような気がしていました」
「そうか……ありがとう、フィオナ。しかし、そうなるとやはり家の方を壊し、一から建て直すしかないか。フィオナはそれでいいかい?」
「お家を壊すのも寂しい気はしますが……仕方ありませんよね。わたしたちのお店は自然と一体化するのがコンセプトですから、出来る限り、森の自然は守っていきましょう!」
「ああ、そうしよう」
納得する二人を見て、棟梁や関係者たちが腕を組みながらうんうんとうなずいていた。どうやら感心されたようだ。
そして各自が再び動き始めた、そんなときである。
「すみません」
スラッとした細身の人物が一人やってきて、大工の棟梁にそう声を掛けた。透きとおるような美しい声だった。
艶やかな髪を腰の辺りで一本にまとめており、この辺りでは珍しい東の島国の美しい柄をした和装を纏う。袂はひらりと揺れ、裾は足が覗く前よりも後ろの丈が長いフィッシュテールスタイルの不思議な服を立派な帯でまとめている。
さらに目立つのは一本の長もの――『カタナ』と呼ばれるこれまた東の国の武器を帯刀していたことだ。以前、クレスたちが温泉施設で纏った『ユカタ』はこの国の特産品である。
「こちらに、クレスという名の人物が住んでいると伺ったのですが」
「ん? ああ旦那の知り合いかい? 旦那ならあっちにいるぜ」
「ありがとうございます。ところで……伐採か何かをなさっているのですか?」
「おお、アンタよくわかるなぁ」
棟梁が何やら驚いた表情を見せたのは、声を掛けてきたその人物が常に両目を閉じていたからだろう。目が不自由な人物だと判断したようだ。
「そのつもりだったんだがな。このでけぇ木を切り倒すにはもったいねぇから残すってことになってよ。自然優先で家の方を片付けることになっちまった。ま、それが旦那たちの良いところだな。わははは!」
大木をパンパン叩きながら笑う棟梁の男。
すると長身の人物もまた木に触れ、そしてこう言った。
「この木を動かすことが出来ればよろしいのですか?」
「ん? ……わははははっ! そりゃあ木がちょいと動いてくれりゃあ助かるがよ、まさか引っこ抜いて運べるわけもねぇし、根っこが足になって歩くわけでもねぇべ! 面白いこというあんちゃんだな! ん、いや嬢ちゃんか? どっちでもいいか!」
愉快に笑う棟梁。話を聞いていたらしい周りの大工たちも同じように笑った。その声でクレスとフィオナも何かあったのかと気付いて歩み寄ってくる。
和装の人物がうなずいた。
「ではそのようにしましょう。そちら、お気をつけ下さい」
「わはははは! ――は? お、おい?」
その人物は少し後方に下がり、木へと向き直ってからわずかに腰を落として重心を安定させる。和装の隙間から股の白さが垣間見えた。そして、帯刀した『カタナ』にゆっくりと手を近づけていく。
クレスがハッと目を見開く。
次の瞬間――
「――参ります」
カチャ、と小さな音がした。
おそらく、クレス以外の全員がその行為を理解出来ていなかっただろう。何も見えてはいなかっただろう。
最初に気付いたのはフィオナだった。
「……あれ?」
自身の目を擦るフィオナ。
「…………え? 木が………………動い、てる……?」
大木が、瞬間移動していた。
フィオナの言葉で棟梁たちも何が起きたかわかったようで、それぞれ「うおっ!?」とか「おわっ!」とか驚愕のリアクションを見せる。
間違いなく、大木が移動していた。
先ほどまでしっかりと根を生やしていた場所から、大木四本分程度の距離を移動していたのだ。家と木の距離が離れていることでそれがよくわかる。その証拠に、元々木があったはず場所にはちょっとした穴が空いており、その穴の中に和装の人物が立っている。
先ほどまで、この人物は今しがた大木が移動した場所に立っていたはずなのだ。
和装の人物が穴から出てきてつぶやいた。
「どうやら足が生えたようです。長い時を生き続けている大樹には、神秘的な現象がよく起こりますから」
うっすらと小さく微笑む人物に、棟梁たちが何もリアクション出来ずにポカーンと口を開く。
そこへクレスが駆け寄った。
すると和装の人物が目を閉じたままでクレスの方に向く。
「――おや、クレス。ずいぶん大きくなったようですね。見違えるほど立派になって、嬉しいです」
追いついたフィオナが目をパチパチとさせて言う。
「え? ク、クレスさん? あの、お知り合いの方なのですか?」
「……ああ。フィオナにも、是非紹介したい人なんだ」
そう言うと、クレスは突然その場に膝をつき、背筋をピンと伸ばして正座した。
「ご無沙汰しています。師匠」
そして地面に手を付き、深々と頭を垂れた。
そんなクレスに対して、うっすらと小さく微笑む“師匠”。
フィオナも棟梁たちも、全員が呆然と言葉を失う。
やがて、
「……え? クレスさんの……おししょう……さま? え? え~~~~っ!?」
フィオナがそんな驚きの声を上げることになったのだった。
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