♯171 魔性のスイーツサキュバスフィオナ

 リィリィはメイド服に包まれた胸元に軽く触れ、補填するように話を続けた。


「はい。わたしは十四のときにメル様と出会い、“契約”をしたんです。そのときから、メル様と同じ早さ・・・・で生きていくことになりました。今の年齢は……そうですね、十六か七の間くらいでしょうか」

「契約……それは、奴隷との主従契約的なものではないのかい?」


 クレスの質問に、リィリィは「いいえ」と微笑みかける。


「うーんと、実質的には同じなんですけれどね、意味合いはまったく違いますよ! ただ、一緒にいるためにそういう誓いをしたんです」

「一緒にいるために……」

「はい♪ それこそ、勇者様とフィオナさんがご結婚されたように、ですね」


 言われてみれば、とうなずいて納得するクレス。確かに、『結婚』とは一緒にいるための契約、と言ってもよいだろう。

 リィリィが魔王の方を見つめながらつぶやく。


「メル様は……とっても孤独な方でした。そしてそれは、私も同じでした。だからでしょうか。メル様は、ただの弱い人間だった私を、そばにおいてくれたんです。言葉は少なくて、ぶっきらぼうでしたけれど、ずっと、私を捨てないでくれました」

「……魔王が……君を……」

「はい♪」


 クレスもそちらの方を見る。

 既にブリオッシュアイスパンを食べ終えていた魔王は、口端をべたつかせながらアイスキャンディーを舐める。フィオナはそんな魔王に次々と残ったスイーツを振る舞い、飲み物を用意して、「世話焼き女房かお前は! メイドの方がよっぽど向いているわッ!」と褒めているのか貶しているのかよくわからない怒鳴られ方をしていた。


「うふふっ。今のメル様は表情豊かで、本当にお変わりになりました。お屋敷に帰ると、いつもあんな感じで当たり散らしているんですよ。エリシアさんの影響が大きいかもしれませんね。――あ、エリシアさんというのはですね、一緒に暮らしている方なのですけど、とっても綺麗な……」

「あいつの話をするなああああああああああああ! あのストーカーを思い出すとせっかくのスイーツがマズくなるだろうがッ!」

「ひゃあごめんなさい聞こえてたんですかぁっ! と、というわけなのでクレス様、お話はこのあたりで~!」

「あ、ああ。よくわかったよ。ありがとう」


 呆然と答えるクレス。どうもその一緒に暮らしているエリシアという人物はメルティルにとって不快な存在らしいが、深く訊くのは難しそうだった。



 そうこうしているうちに、メルティルはあっという間にフィオナお手製のスイーツをほとんど一人で食べ尽くし、心なしか機嫌と肌つやが良くなったように見えた。そのせいでリィリィはほとんどおこぼれを貰うことも出来ずしょんぼりしたが、ともかく事を荒立てるようなことはせずに済んだ。


「――さて、これでもう貴様らに話すことなどないな。永遠にないな。まだ喰い足りん。さっさと帰るぞリィリィ」

「ええ~! ま、まだ食べるんですかぁ!」


 レジャーシートも片付けて、元勇者と元魔王を含む奇妙で不思議なティータイムは終わりを告げた。

 ちなみに小さくなったベヘモットはリィリィのメイド服のポケットから顔を出しており、象のような耳をパタパタさせている。


「メルティルさん、今日は本当にありがとうございました。とても勉強になり――ひゃあっ!?」


 頭を下げたフィオナが突然大きな声をあげる。なんとこのタイミングで突然フィオナのウェディングドレスが魔力の粒子となってかき消え、フィオナはあっという間にまた下着姿に戻ってしまったのだ。これにはクレスが仰天する。


「え、え、ええ~!? とととと突然消えちゃいました! こ、これってこういうものなんですか!?」

「馬鹿め。《ブライド》状態は魔力の高まりによって起こる魔術現象だ。魔力と精神が落ち着けばそうなるのも当然だろう。それにしても貴様……なんだその胸部は……見ているだけでなぜか腹が立つ……」

「フィオナさん、大変恵まれた体つきですねぇ! 羨ましいかぎりです~♪」

「うわーん見ないでください! ク、ク、クレスさん! すみませんがわたしの荷物を持ってきていただけませんか~!」

「わわわかった!」


 急いで替えの服を取りに向かうクレス。そしてセリーヌが持たせてくれた新しい服を着用することでようやく落ち着きを取り戻すことが出来た。


「うう、お騒がせしてすみません……。あの、あらためて、ありがとうございました」


 また頭を下げるフィオナ。

 メルティルはそんなフィオナを見下ろして、「ふんっ」とつまらなさそうに鼻息を吐く。


「この妾を懐柔しおって……とんだ魔性の娘だったな。淫魔サキュバスかお前は。スイーツがマズかったらすぐに殺してやったところだぞ」

「魔性!? ――あっ、でもそう言ってくれるのなら、スイーツは美味しかったってことですよね? ふふ、それなら良かったです」

「ぐぬぬ……ああいえばこういう……! 貴様のようなヤツはさっさと国に帰ってスイーツの店でも始めろ馬鹿め!」

「ええっ!? ス、スイーツのお店ですかっ!?」


 メルティルから指を差されて、思わずギョッとなるフィオナ。

 そして――すぐにフィオナの表情が明るくなった。


「国で……スイーツのお店…………ああ~~~っ!!」


 そこでフィオナが突然嬉しそうな大声を上げ、クレスが驚いてそちらを見る。


「ど、どうしたフィオナ?」

「それってすごい案ですよ! だってだって、それならクレスさんといつも一緒にお仕事が出来ますし、片方だけが仕事で家を離れなくて済みます! いつか子どもが出来たときも、二人一緒に育てられます!」

「え? おお……確かにそうだね。二人で店をやるという発想はなかったが……それならフィオナといつも一緒にいられるな。なるほど、良いかもしれない」

「ですよねですよねっ! ちょっと本気で考えてみたいです! お店のことならやっぱりセリーヌさんにいろいろ教わって……メルティルさん! 妙案をくださってありがとうございました!」


 両手でメルティルの手を取って握るフィオナ。その眩しい笑顔を見てメルティルが苦々しく「本当になんなんだお前は……」とつぶやき、脇でリィリィがおかしそうに笑っていた。


 それからメルティルは雑にフィオナの手を振り払い、左手で宙に適当な大きさのマル印を書くと、その部分に向かって蹴りを入れる。するとマル印の中の景色だけがえぐれるように消え、黒い輪の空間が生まれた。それは、以前ナイトキャットのショコラが使ったような空間移動の魔術に似ている。


 メルティルはその穴に半身を入れたままフィオナへ向けて話す。


「勝手にしろ。ただし、マズイスイーツを作ったらそのときは店ごと潰すぞ。ろくでもない店の存在は認めん」

「え? えっと、それはわたしがお店を始めたら来てくれるってことでしょうか……?」

「調子に乗るな阿呆! 妾は世界中のスイーツを食い尽くしてやるだけだ! その途中にお前が店を始めたら仕方なく一度くらい足を運んでやるしかないだろう! くだらんことを言ってる暇があったら新作レシピでも作れ! 魔性のスイーツサキュバスめ! ばーか!」

「え、あっ!」


 フィオナが何か答える前に、子どもみたいな捨て台詞を残してさっさと暗黒空間の中へ消えてしまうメルティル。

 リィリィがくすっと笑いながら足を揃え、メイドスカートに手を合わせながら言った。


「それではクレス様、フィオナさん。本日は本当にお世話になりました。いずれこの御恩をお返ししたいと思います。どうか、いつまでもお幸せにお過ごしくださいね」

「ああ。こちらこそありがとう」

「あっ、リィリィさんもお元気で!」


 リィリィが丁重に頭を下げ、暗黒空間に手を入れる。

 それから最後にこちらへ振り返って言った。


「メル様はああいう方ですけれど、お二人のこと――特にフィオナさんのことは大変気に入っていると思いますよ」

「え?」

「スイーツを作れる人のこと、とっても尊敬しているんです。メル様はご自分でもスイーツを作られたことがあるんですが、私もスイーツ作りは苦手なので失敗ばかりで――」


 そんな話の途中に暗黒空間の中からニュッと一本の細い腕だけが出てきて、リィリィの胸ぐらをがっしりと掴んだ。


『くだらんこと言ってないでさっさとこいいいいいいいいいい!』

「ひゃあ~~~~~~!」


 そのまま悲鳴と共に暗闇の中へ引きずり込まれるリィリィ。彼女の姿が完全に吞まれたところで、丸い暗黒空間は収縮するように消えてなくなった。そして何事もなかったように元の風景へと戻る。


 クレスとフィオナは呆然としたまま顔を見合わせて、それから互いに小さく笑った。

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