♯115 ルーシア海岸

 週末。

 クレスたち一行は、いよいよ目的の海へとやってきた。


「わぁ……! これが海、なんですね……!」


 快晴の下、どこまでも広がる大海原がクレスたちを迎え入れてくれる。

 目の前に開けた青の迫力に、フィオナの目は釘付けになった。


「フィオナは来るのは初めてだったね」

「はい! わたしの故郷の村は内地にありましたから。ベルッチのおじ様とおば様も、あまりリゾートには関心がない方で……。こうして自分の目で見るのは初めてです!」


 手を広げて深呼吸してみるフィオナ。

 潮の香りが鼻腔を抜けて、耳を傾ければ穏やかな波音や鳥たちの声が心地良い。シャリ、と踏みしめる白砂の熱い感触もフィオナにとっては感動の一つだった。自然と心が開放的になっていくのを、フィオナは強く感じていた。


 レナの同級生であるドロシーと、貴族令嬢の三人組は既に服を脱いでおり、あらかじめ下に着ておいた水着姿のまま海へと向かって全力ダッシュ。砂浜に足を取られながらも、海に浸かって水を掛け合い始めた。内地にある聖都の子供にとって、海というのは特別なものである。休みを作って同行したリズリットも、早く海に行きたいのかそわそわとしていた。


 そんな光景を眺めて、大きなパラソルを担いだ水着一丁のヴァーンがだるそうに大きなため息をつく。


「ハァ~~~~~~。ガキ共はお気楽でいいもんだなァ。海だっつーから喜んで護衛にきてやったのによぉ……肝心のボインがフィオナちゃん一人だけってのはどういうこった! 思う存分フィオナちゃんの水着姿を堪能しねぇと納得できねぇぞ!」

「いいから早くパラソルとチェアの準備をしなさい筋肉ダルマ。その次はバーベキューの支度よ。それからいやらしい目でフィオナちゃんを見たら目をくりぬくわよ」

「唯一の大人はこの色気もへったくれもないクソ冷血貧乳女……ハァァァ、何の罰ゲームだよチクショウ。セリーヌちゃん! 今からでも来てくれええぇぇぇぇ!」

「早くしろ」

「ふがっ」

「うう……セリーヌさんではなく、色気もなにもないリズなんかが来ちゃってすみません……」


 エステルに尻を蹴られて顔から砂に埋まるヴァーン。同時にリズリットがいじいじと縮こまる。そんな状況にクレスとフィオナは愉快に笑った。


「ふふ。なんだかみんな気分が高揚してるみたいです。クレスさん、今日は連れてきてくれてありがとうございました。わたし、海がこんなに良いところだって知りませんでした」

「そうか、フィオナも楽しんでくれているのならよかった。レナを連れてきたかったのはもちろんなんだが、本心としては、君にも海を知ってほしかったからね」


 クレスの返答に「え?」とまばたきをして返すフィオナ。

 そこでサングラスをかけたエステルが口を挟む。


「ここは聖都の中でも裕福な者たちがよく使うリゾートビーチ。近くには小さな教会もあって、結婚式に用いられることもあるようね。そして、新婚旅行先として使われることが最も多いみたい」

「新婚旅行……。クレスさん? それじゃあ……」


 フィオナがそちらを見ると、クレスは多少照れたように微笑んだ。


「以前から、ヴァーンとエステルにいろいろ教えてもらっていてね。あの旅が君との新婚旅行になってしまうのは申し訳ないところであるし、純粋に君が楽しむことの出来る旅行先を探していたんだ。良い場所に連れてこられてよかった」

「クレスさん…………わたしのために……」


 不器用ながら温かい夫の想いを知って、おもわず手を組んで瞳を潤ませるフィオナ。


 が、そこでクレスの顔が固まった。


「…………はっ! し、しまった!」

「え? ど、どうしたんですかクレスさん?」 

「そういえば、ヴァーンとエステルは『旅行には絶対に二人きりで行け』と言っていた……! す、すまないフィオナ! せっかくだから皆で楽しめたらと……だがこれでは『新婚旅行』にならない! なぜ俺はこんなことにも気付かず……ほ、本当にすまない! この埋め合わせはまた別の形でさせてほしい!」

「ふぇっ!? は、ははははい!」


 迫力さえ感じる真剣な顔つきのクレスに、思わず大声で返事をしてしまうフィオナ。それからフィオナは何度も気にしないでほしいと言ったが、クレスは己の失敗を悔いて次なる計画を立て始める。そんな二人にエステルは穏やかに目を伏せ、砂から出てきたヴァーンは呆れ顔を浮かべて、リズリットはキラキラと目を輝かせていた。

 

 リゾートシーズンにはまだ少し早いためか、クレスたちの他に海水浴客はぽつぽつと見かける程度だが、それでもやはり、大人も子供も皆がどこか浮かれている。

 そんな中で、唯一静かな表情で海を見つめていたのはレナ。はしゃぐこともなく、座り込んでじっと水平線を眺めている。


 そこでフィオナがレナの隣に座った。


「レナちゃん、今日は来てくれてありがとう。海って、とってもすごいところだね」

「…………」


 話しかけても、レナは目の端でフィオナを見ただけですぐに海の方へ視線を戻す。


「レナちゃんは、海は好き?」

「……べつに」

「わたしはね、海に来るのって初めてなんだ。だからすごくワクワクするのっ。こんなに大きな海が、世界中に繋がっているんだよね。すごいな、大きいなぁ。この海にもたくさんの生き物がいて、ずぅっと向こうの島や大陸にも、たくさんの人が暮らしているんだよね!」

「…………」


 大きな瞳いっぱいに海を映すフィオナの顔を、レナは無言でじっと見上げていた。

 視線に気付いたフィオナがレナに笑いかけると、レナはすぐにまた視線を逸らす。


「レナちゃん。よかったら一緒にあそぼう? 海でどうやって遊ぶのか、わたしに教えてほしいな」


 フィオナが手を差し伸べると、レナはその手をじっと見つめてからポツリとつぶやく。


「……なんでかまうの」

「え?」

「あなたたち、お金もらってないんでしょ? じゃあ、なんの目的でレナにかまうの。モニカ先生にたのまれたから?」

「それは……」

「それとも、レナが“かわいそう”だから? そんな同情なんていらない。きもちわるいからやめて。レナにかまわないで!」


 キッと眉尻を上げて足元の砂を掴み、立ち上がってそれをフィオナに投げつけるレナ。思いがけない行動にフィオナは小さな声を上げて目をつむった。髪や顔に砂がまとわりついてしまう。


「フィオナ!」


 そう叫んだクレスに対して、フィオナはすぐにふるふると首を横に振ってから目元を拭って笑った。『大丈夫です』と言うように。

 どうやらレナは、やはりまだ強い警戒心を抱いているらしかった。クレスやエステル、ヴァーン、おろおろするだけのリズリットも何も言えない。


 フィオナは大人しく手を引っ込めたものの、柔らかな表情は崩さなかった。


「違うよ、レナちゃん。わたしたちは、ただ、レナちゃんと仲良くなりたいだけだよ」

「……え?」

「もちろん、モニカ先生に頼まれたからわたしはレナちゃんと出会えたけれど、それはただのきっかけだと思う。わたしが、レナちゃんと仲良くなりたいって思ったの。だから、一緒に海に来て、一緒に遊びたいなって思ったんだよ。それは、レナちゃんにとって迷惑なことかな? 本当に嫌なら、すぐに言ってね」

「…………」


 この対応にレナは何も答えることが出来ず、それでも、ずっと警戒していた表情をふっと解いて元のポーカーフェイスに戻ってから、またその場にぺたんと座りこんだ。


 それから一言だけつぶやく。


「……ヘンなの」


 海の方で、ドロシーたちがこちらに手を振る。

 

 旅行はまだ、始まったばかりだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る