♯13 日課

 それから朝食を済ませた二人は、食後の珈琲で一息ついていた。


「……ふぅ。すごく美味しかったよ。ごちそうさま」

「気に入っていただけたならよかったです。あ、お好きなものや食べたいものがあったらなんでも言ってくださいね! 食材なら街でたくさん手に入りますし、食べてもらいたいものもたくさんあるんですっ!」

「ありがとう。ああ、俺も手伝うよ」


 食べ終えた食器を片付ける彼女に習い、クレスも立ち上がったところでフィオナが慌ててそれを止めにやってくる。


「いけませんっ。クレスさんは座って休んでいてください。まだ怪我も完全に直っているわけではないはずですから」

「いや、だけどこれくらいなら」

「めっ、です!」


 クレスの鼻先にフィオナの指がぴたりと当たる。


「クレスさんはもう頑張っちゃいけません! 怪我をしているときくらいは大人しくするんです! わかりましたね!」

「は、はい」


 眉尻を上げ、腰に手を当てながら子供を叱るつけるような言い方をするフィオナ。その勢いにクレスは思わずうなずいてしまった。


 そうして、ただの片付けさえ楽しそうに行うフィオナの背中に、クレスは喋りかける。


「……君は働き者だね。だけど、そんなに無理をしなくていいんだよ。俺はフィオナに家政婦になってもらいたくて一緒にいるわけじゃないんだ」

「はい、わかっています。けれど、無理なんてしていませんよ。お掃除もお料理も、わたしが好きでしていることなんです。とっても楽しいです。ウキウキです!」

「楽しい? こんなごく普通の生活が……かい?」

「はい。だってわたし、今が人生で一番幸せなんです!」


 胸元に手を当てて、にこやかに微笑むフィオナ。


 どうして彼女は、そこまで迷いもなくそんなことが言えてしまうのか。


 眩しく見える彼女に、クレスは少し見惚れてしまった。


「そ、そうか。だけど……こうして二人で暮らすようになった以上は、やっぱりフィオナに何でもやってもらうのは悪いな。怪我のことはちゃんと気をつけるから、今の俺にも出来ることはさせてくれないか」

「ダ・メ・で・す♥」

「え?」


 早すぎる笑顔のお断りに呆然となるクレス。


 こうして同居する以上、お互いがお互いを支えていくべきであるというクレスの真面目な思考ゆえの発言だったのだが、フィオナはなんとか嬉しそうな笑顔でそれを却下してしまった。


「昨日のこともありますし、クレスさんは怪我が完璧に治るまで身体を休めていてください。それまでは、身の回りのことはぜ~んぶわたしがやります。いえ、治ってもわたしがやります! やらせてください!」

「だ、だけど、フィオナ」

「お願いします。わたしのことを――わたしがお役に立てることを、もっとクレスさんに知ってほしいんです。そのために、それくらいのことはさせてほしいんです。勇者のお嫁さんになるべく、日々修行です!」

「しゅ、修行?」

「はい! クレスさんだって、たくさん修行を積み重ねて立派な勇者になったんですよね? だからわたしも、クレスさんに本当のお嫁さんとして認めてもらえるようになるまで、アカデミーにいたとき以上に励みます! それまでは……な、内縁の妻となる所存です! そして、いつか妻にふさわしい女性になってみせますね!」

「内縁の……妻……」


 言われてみれば、確かに今の状況はそれと大差ないかもしれないと思うクレス。


 だが、生真面目なクレスにとってはこの現状は少々容認しがたい。


 このように甘えるだけ甘えておいて、彼女を正式な妻としないのは問題がある。だが正式な妻とするには、当然婚約を済ませなければならない。

 かといって婚約を済ませるにはいろいろと解決すべき問題も多いし、何よりクレスは自分の気持ちがよくわからない。彼女はとても可愛らしく、明るくて人当たりも良い、出来た子だと思う。一緒にいられることを好ましいと感じている。


 だが、それは愛なのか? 


 ……わからない。


 戦いしか知らないクレスには、女性をどう扱っていいのかがまったく見当も付かないのだ。


 かつて一緒に旅をしていた仲間に言われたことが思い出される――。



『オイ、クレス。お前さすがにちょっと堅物すぎんだろ。さっき町で会ったあの子、絶対お前に気があったぞ』

『え? そ、そうなのか? いや、まったくわからなかった……』

『アァ~もったいねぇ! わかりやすいアピールしてたじゃねーか。ったく、ホントにお前は平和のことしか考えてねーのな。世界を救う前に女の子の一人でも知っておかなきゃあ、将来きっと困るぜ?』

『今はそこまで考える余裕がないよ。そういうのは平和を取り戻してから考えるさ』

『やーれやれ。お前みたいな鈍いヤツには、ストレートに好意を示して引っ張ってくれるタイプの女の子が必要だなぁ。ま、そんときゃお前、絶対尻に敷かれるだろうがな』



 ――その通りだった。


 生真面目が災いし、後悔しながら思い悩むクレス。ああ、あのときもう少し話を聞いておけばよかったかもしれない。


「くっ……お、俺はどうすれば……」


 すると、いつの間にかそんなクレスのことをフィオナが抱きしめてくれていた。


「クレスさん」

「わっ、フィ、フィオナ?」

「わたしのことで悩んでくれているんですよね? 大丈夫、そんなに思い詰めないでください。ぜんぶ、わたしが本当に好きでしていることなんです。だから、クレスさんはもっとわたしに甘えてください。わたしは、それが一番嬉しいです!」

「フィオナ……」

「クレスさんは、とっても真面目な良い子ですね。よしよし。偉いです。でも、力を抜くことも大切ですよ」


 なでなでなで……。

 フィオナの柔らかな細指がクレスの頭を撫で、こそばゆくも気持ちの良い感覚に言葉をなくすクレス。


 抱きしめられるたびに顔に当たる、エプロンを窮屈そうに押し上げる豊かな胸の温もり。

 ミルク菓子のようなほんのりと甘い匂い。

 脳がふやけてしまいそうなささやき。


 彼女にこうされてしまうと、もうクレスには何も出来ない。骨抜きだ。ひょっとしたら彼女は魔王よりも強いかもしれない。いろいろな意味で。

 なぜ彼女に撫でられるだけでこうなってしまうのか――それはクレスにとって最大の謎であり、もはや一種の魔術のようですらあった。


「クレスさん、撫でられるのはお好きですか? あ、そうだっ。それじゃあこれからは毎朝こうしてあげますね。朝ご飯の後の日課にしましょう!」

「え?」

「いえ、朝だけでなく夜もです! それだけじゃなくて、クレスさんがしてほしいときは、いつでもどこまでもしてあげますからね」

「い、いや、でも」

「えへへへへ。でも……こうしていると、わたしの方が癒やされちゃいます」


 なんとも幸せそうに蕩けた声で愛撫を続けるフィオナ。


 クレスは、フィオナの胸に顔をうずめながら思った。


 

 ――俺は、このままだとダメな男になってしまうんじゃないだろうか……。


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