隻腕の剣士2

『よく来た。竜王メリュジーヌ。余は魔帝ベルフェゴール、この〈ネメシス〉と、そして地球を支配するものだ』

 ベルフェゴールは玉座の前までやってきた人物に向かってそう言った。


『今日は貴女にひとつ提案があって、ここまでご足労願った』

「提案……?」


 慎一郎が訝しむが、ベルフェゴールはそれを全く気に掛けもせずに話を続ける。

『余はやがて来たる新世界の主になるためにここまで準備を進めてきた。余が地球の全てを手に入れる。光降り注ぐ昼も、肌を焼くような夏もすべてだ。だが、そのためにあと一つ欠けているものがある』

 ベルフェゴールは表情ひとつ変えない。


『余の妃になれ』


「なっ……!」

 想像の埒外にある言葉に慎一郎は絶句した。

「何を言っているんだ、お前は……?」


『これより余は地球の生きとし生けるもの全てを破壊し尽くす。その後の世界を作るためそなたが必要なのだ。なに、たいしたことではない。余は前回の最接近時、単身で〈ネメシス〉より地球に降り立ち、四百年かけて人間どもの国に伍する勢力を作り上げた。今度はそれよりも楽だ。残敵掃討のみであるし、何より兵となる余とそなたの子は前回そこらで拾った人間の女との子よりも強い』


 一人よがりな話をするベルフェゴールに対してふつふつと怒りがこみ上げてきた。こいつは何を言っている? メリュジーヌとの間に子をもうけ、それを兵として地球を侵略すると言わなかったか?


 気がつけば一歩前に踏み出していた。玉座に通じる階段に片足を乗せ、ベルフェゴールを正面から見る。

「悪いが、その話を受けるわけにはいかない。メリュジーヌはここにはいない。いないが、いても答えは同じだろう」


 その時、ベルフェゴールの目がぴくりと動いた。遠くを見ていた目が近くに焦点を定めたような動きだ。


『…………何だ、貴様は?』

 ベルフェゴールはその時初めて慎一郎の姿を認めたように問うた。いや、この時初めて慎一郎を認識したのだろう。


『レッサー』

 その言葉に、玉座の下で跪いていたローブの男がぴくりと肩をふるわせた。


『竜王メリュジーヌの依り代の地球人……かと思われますが……』

 ベルフェゴールは斜め上を見た。そこには謁見の間の天井しか見えなかったが、魔帝はその向こうで繰り広げられている戦いを感知した。

『ネメシスか。あのめ……』


 ベルフェゴールは舌打ちをして再び意識をレッサーと呼ばれたローブの男に向けた。


『余は竜王メリュジーヌを玉座の間に連れてこいと命じたはずであるが?』

『これは、あの、その……。わ、わたくしの能力ではそこに竜王がいるかどうかを推し量ることはできず……。まさか竜王がすでに実体を取り戻しているなどとは……』


『余は――』

 ベルフェゴールは足を組み替え、下方を見た。そこではレッサーが全身を細かく震わせ、平身低頭している。


『慈悲深い魔帝である。言い残すことは?』

 ベルフェゴールがそう問う頃には、レッサーの身体の震えは止まっていた。


『偉大なる魔帝陛下、御自らの手により永遠の存在となること、光栄にございます』

「やめ――」


 慎一郎が止める間もなかった。魔帝の赤い瞳が一瞬輝いたかと思うと、次の瞬間、レッサーの足元から青く輝く炎が立ち上がった。

 レッサーは断末魔を上げる間もなく一瞬で消し炭となって消滅した。


「なんで……」

 慎一郎の拳は震えていた。北高の地下でイブリースがベルフェゴールの手によって消滅させられた時のことを思い出したのだ。


「なんでそんなことを! 仲間じゃないのか!」

 その声にベルフェゴールは煩わしそうに顔を向けた。


「……まだいたのか」

「……日本語?」

 ベルフェゴールは口を開いて日本語を話していた。それまでの〈念話〉を利用して脳に直接語りかけていたのとは明らかに異なる。


「余のこの身体は竜王メリュジーヌと“一の剣”の身体からできている。これくらいのことなど造作もない」

 ベルフェゴールはそう言って静かに右手を慎一郎の方へと向けた。


「竜王の宿らぬ依り代に興味はない。消えろ」

 先ほどと同じように魔帝の赤瞳が輝いたかと思うと、先ほど以上の紅蓮の炎が慎一郎の身体を包み込んだ。


「さて、ネメシスをどうするか。少々面倒だが――」

 ベルフェゴールは玉座から立ち上がろうと腰を少し上げたところで動きを止めた。今もなお燃えあがる炎の中に今も人影が残っていることに気がついたからだ。

 魔帝がパチンと指を鳴らすと炎が消える。その中には先ほどと変わらず片腕の地球人が静かに怒りをたたえてそこに立っていた。


「ほう、我が炎を受けて平然としていられるとは。……なるほど、そのマントだな。余が眠りについていた八十余年の間に地球人の魔術もそれなりに発達したようだな」


 ベルフェゴールは再び玉座に腰を落ち着けた。

 慎一郎は右の腰に装備している〈ドラゴンハート〉を抜いた。


「地球を侵略させるわけにはいかない。魔帝ベルフェゴール、お前を倒す!」

 慎一郎のその言葉に、ベルフェゴールはこれまでで最も大きく表情を変化させた。最初は驚き、そして大いに笑った。


「はははははははははははははは! これは滑稽! まさか貴様が戦うというのか? この魔帝である余と? 隻腕の少年に星の運命を託さねばならぬほど地球は人材に不足していたのか!」

 そして玉座に腰掛けたまま、ぱちぱちとゆっくり手を打ち鳴らした。


「よかろう。そなたの勇気に免じてこの魔帝自らが少しだけ相手をしてやろう。かかってくるがよい」

「言われなくても……!」


 言い終わるよりも前に慎一郎は動き出した。まっすぐ一直線に玉座に向けて跳躍しただけだが、もしもここに彼ら以外の第三者がいたならば慎一郎の身体がかき消えたかのように見えただろう。


 神速の一撃で先手必勝を狙った慎一郎だったが、それは硬い金属音によって阻まれた。


「ほう……なかなかやる」

 ベルフェゴールがにやりと笑う。


 慎一郎の上段からの全体重を乗せた攻撃を、ベルフェゴースは腰掛けたままいつの間にか抜いた巨大な剣で易々と防いでみせた。

 ベルフェゴールが剣を振ると、慎一郎はその勢いに乗って大きく跳躍して元の位置に着地した。


「相手をしてやる約束だったな。一撃で終わらせるつもりだったが、もう少し遊べそうだ」

 次の瞬間、ベルフェゴールは先の慎一郎よりも速く斬りかかった。


「……!!」

 慎一郎にその姿を捕らえることはできなかったが、気配が動くのを察知してベルフェゴールの一撃を〈ドラゴンハート〉で受ける。


「ぐっ……!」

 自分よりもふた回りも大きいベルフェゴールによる速度と体重の乗った強烈な一撃に慎一郎が呻く。左手がビリビリと痺れ、勢いにより数メートル押し込まれた。

 そのまま体格にまかせて上から押さえ込もうとするベルフェゴールと、下からなんとか耐えている慎一郎。


 その時、慎一郎の目が少し泳いだことにベルフェゴールが気づいた。

 その直後、上方から数本の片手剣――〈エクスカリバーⅢ改〉が降り注ぐ。


 いち早くそれに気がついたベルフェゴールは瞬時の判断で慎一郎の腹を蹴り、その反動で後ろに下がる。〈エクスカリバーⅢ改〉の攻撃はすべて不発に終わった。


 いや――。ベルフェゴールの右頬に一筋の傷が産まれ、そこからつつ、と紫の血が流れた。

 ベルフェゴールはそれを右手の親指で拭うと、にぃと実に楽しそうに笑った。


 余裕の表情で立つベルフェゴールとすでに荒く息をしている慎一郎は数メートルの距離をもって玉座の間の中央で対峙した。

 慎一郎の周囲に浮かぶ十六本の〈エクスカリバーⅢ改〉を見て口を開いた。


「なかなか面白い芸をする。特別に覚えてやろう。少年よ、名を名乗るが良い」

 慎一郎は〈ドラゴンハート〉を構えたまま、大きく深呼吸をして息を整えてから名乗りを上げた。


「県立北高竜王部部長、浅村慎一郎。お前を倒す者だ」

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