竜海の巫女5

「いくら何でも自分と同じ顔に魔法ぶっ放す奴がいるか? ちったぁ常識考えろ!」


 結希奈の放った火煙の向こうから現れたのは、水簿らしいローブに身を包む、不気味な茶褐色の肌に醜く折れ曲がった二本の角と、薄汚れたコウモリのような羽に、細くて貧相な尾が伸びる、醜い異形の生物だった。


 それは、〈ネメシス〉の城で結希奈に黒い靄を浴びせかけたあのローブの男に違いなかった。


「思い出したんだ」

 いつの間にか手元にあった“バッチスペル”が書かれている魔導書を開きながら結希奈は言った。


「あたし、自分のこと、嫌いなのよ。知らなかった?」


 その瞬間、結希奈の右手から連続して炎の球が射出された。

「ぶべっ、あがっ、ぐぼっ!」


「自分の顔に適当なこと言われてたらなんか、頭にきちゃって」


 再びバッチスペルを起動させる。平気な顔をしているが、内心は平静さを装うのに必死だった。

「ぐぶっ、ぐはっ、どぶっ……!」


 異形の生物は結希奈の連続攻撃で大きく吹っ飛ばされた。尻を突き出すような無様な形で北高の校庭に転がる異形の生物。


「ま、待って! 待ってください!」

 異形の生物はそのままの体勢で片手を挙げて慈悲を請う。そして信じられないほどの早さで体勢を変えた。手足を小さく折りたたみ、頭を地面の擦りつけるように。

 土下座である。


「この通り! もうしません! 反省しましたから! だから許して!」

 全身全霊をかけた、一世一代の見事な土下座である。




 メフィスト・フェレス。それがこの異形の生物の名前である。


 貴族階級の生まれだった彼は、しかし貴族階級にはふさわしくない小さな魔力の持ち主であった。

 〈ネメシス〉は魔力――戦闘における攻撃力が高いほど地位も高まる弱肉強食社会である。それらは遺伝することが多いために近年では血筋が重視されていたが、メフィストはその中で生まれた例外だったといえよう。


 彼の母はメフィストが生まれた直後に不貞を疑われ軟禁され、その後若くして命を落としている。彼自身も名家の長子であったことから殺されることこそなかったものの、家督を奪われ、家族や使用人、周囲の貴族達から蔑まれる少年時代であった。


 しかし彼には他人にはない能力を有していた。

 他人の思考を読み、他人の心を操る能力である。


 この能力の有用性に気づいたフェレスは周囲の人間の精神を弱らせ、巧みにその行動を操り自派閥を強力にしていった。そしてついに父を操ることに成功して兄弟たちを粛正して当主の座に納まることに成功した。


 それからは簡単である。もともと勢力の強かったフェレス家であったが、メフィストの力によって勢力を拡大していった。


 その時に起こった魔王ベルフェゴールの大魔王殺し。

 機を見るに敏と悟ったメフィストは即座に自派閥の貴族達とともに魔帝に忠誠を誓った。これがベルフェゴールが〈ネメシス〉全土を掌握するにあたり、大きく影響を及ぼしたことは想像に難くない。




 そのメフィスト・フェレスが地面に額を擦りつけて土下座をしている。


 もちろん、〈ネメシス〉に土下座の文化はない。あらかじめそのような文化があると知っており、また日本人は徹底的に下手に出られると弱いということを知っていての行動である。


(あの女が油断した瞬間を狙ってこれを……)

 メフィストは懐の中の短刀を確認してにやりと笑った。


「このとおり! 心を入れ替えますから、平にご容赦を!」

 さらに地面に頭をめり込ませるかのように頭を低くする。身体を少し震わせて相手の同情を得るようにしているのもすべて計算ずくだ。


 しかし、相手からの反応がない。


「…………?」

 おそるおそる頭を上げて正面を見てみると、そこには笑顔の少女がいた。


 太陽とは異なる激しい光源によって上方から赤く照らされている少女は、笑顔でありながら全く笑っているようには見えなかった。右手を大きく掲げている。その上には巨大な炎の塊。


 〈副脳〉二つを使った〈炎球ファイアーボール〉の三重詠唱である。彼女自身よりも大きな炎の球がごうごうと燃えさかり、結希奈の頭上から周囲を赤く染め上げている。


「ひっ、ひぃっ……!」

 戦闘ではその辺の雑兵にも適わないと自負しているメフィストは再び頭を下げて平謝りする。


「どうかこの通り! 後生ですからお助けを!」

「うん、無理」


 冷酷な判決が言い渡された。それは悪魔でも背筋が凍りそうになる、ぞっとするほど寒い声だった。

 寒気を覚えた直後、ごうごうと炎の塊が燃えさかる音が大きくなっていき、それとともに身体をじりじりと焼く熱さがメフィストを襲う。


 熱い――それがメフィスト・フェレスの最後の感情であった。




 炎がメフィストに命中した瞬間、結希奈の周囲の景色がぐらりとゆらいだ。結希奈が立っていたのは北高ではなく、見覚えのない石造りの部屋だった。


「どこかしら、ここ……」

 城に入ったところで靄に包まれた。あの靄はおそらくあの異形の生物によるものだろう。そうするとここは城の中のどこかだろうか。

 結希奈はそう当たりをつけると部屋にただ一つある扉から外に出た。


 扉の向こうはやはり石造りの通路だった。規則的に積まれている石のうちのいくつかが発光して明かりとなっているために見通しは良い。


 そのおかげで巡回している敵に早々に見つかってしまった。

 聞き取れない声で叫び声を上げて仲間を呼ばれてしまった。続々集まる敵の兵士達。背後にはあの小部屋があるだけで逃げ道はない。


「しょうがない。やるか!」

 結希奈は〈副脳〉との接続を確認し、バッチスペルが書かれた魔導書を開き、杖を構える。


「あたし、今ちょっとむしゃくしゃしてるから、覚悟しなさいよ!」

 そう言って敵が押し寄せる通路の奥に向けて走り出していった。

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