竜海の巫女4
「慎一郎!」
結希奈は靄の脅威が去った校内を部室棟の方へ走った。慎一郎は部室棟の屋上からひと飛びに地上へと軽やかに飛び降りた。無数の〈エクスカリバーⅢ改〉はさながら彼の従者のように付き従っている。
「無事だったか、結希奈」
「ええ。あたしは大丈夫。それにしてもあれは何? というか、あたし達、どうして学校に戻ってきちゃったの?」
どういうわけかいつもよりも輝いて見える慎一郎に高鳴る胸を誤魔化すように、結希奈は矢継ぎ早に訊ねる。
「話はあとだ。おれについてこい」
慎一郎が右手で結希奈の腕をつかむ。結希奈は自分の顔が一瞬で赤くなったのを自覚した。
「は、はい……」
自分でも驚くくらいのしおらしい声が出た。
「慎一郎」
慎一郎が結希奈の手を引いて向かう先から声がした。聞き慣れた声だ。
校舎の影から楓が現れた。〈ネメシス〉では弓道の袴を着ていたはずなのだが、どういうわけか今の楓はフリフリがたくさんついたワンピースを着ている。しかも信じられないほどスカートが短い。
楓の姿が見えた瞬間、慎一郎は結希奈の手を握っていた手を離した。まるで突然気まずくなったかのように。
「楓」
聞いたこともない優しい声で慎一郎が少女の名を呼んだ。楓は優雅な足取りで少年の元へと走っていき、そこに納まるのが当然であるかのごとく、短いスカートを翻しながらふわりと彼の腕の中に収まった。
「大丈夫だったか?」
「ええ。あなたは?」
「おれも大丈夫だ」
抱きしめ合いながらお互いの身を案じる少年と少女。それを目の当たりにした結希奈は全身から汗が噴き出し、力が入らなくなってふらふらと数歩後ずさりする。
「え……? どういうこと……?」
戸惑う結希奈を尻目に強く抱きしめ合う二人。
「愛してる、楓」
「私もよ、慎一郎」
愛を確かめ合う二人を前に、結希奈は知らず、後ずさりしていた。
いつの間にか彼らと結希奈の間には地球と〈ネメシス〉の間よりも広くて深い溝ができていたように思えた。
「どうしたの? 取り返さなくていいの?」
「え?」
声のした方を振り向くと、そこにはひとりの少女がいた。
鼻梁の通った丸い顔、短く切りそろえた黒い髪、少しつり上がった瞳、背は少し低く、逆に胸は大きい、北高の制服を着た少女。
結希奈である。
「え……? あたし……?」
「慎一郎はあたしのでーす! って取り返しに行かなくていいの?」
戸惑う結希奈をよそに、もう一人の結希奈は畳みかけるように言葉を放つ。それは一言一言が刃となって結希奈の心に突き刺さっていく。
「泣きわめいて、だだをこねれば振り向いてもらえるかもよ? キスもしたんだし、それ以上のことまで許してあげちゃえば? ワンチャンあるかもね。あ、でも……」
もう一人の結希奈がにやりといやらしい顔で笑った。その視線は結希奈ではなく、更に奥――少年と少女がいると思われるところに合わされていた。
「もう遅かったかなぁ……」
挑発に乗って振り向かなければ良かった。結希奈は激しく後悔した。
「うそ……」
いつの間にそんなに離れたのだろう、数百メートル離れたところでそれまでも硬く抱き合っていた二人が、お互いの唇を激しく貪り合っていたのを見た。
ぺたん、と座り込んだ。目から勝手に涙が溢れてきて、見たくない二人の姿を隠してくれる。
「大丈夫、まだ間に合うって! 今から慎一郎の胸に飛び込んで、自分から思いっきり抱きしめてチューしちゃいなよ!」
もう一人の結希奈が無責任な挑発をする。
「そんなこと、できるわけない……」
「どうしてぇ? 好きなんでしょぉ? 好きだったら行動しないと。欲しいものは力尽くで奪わなきゃ」
ただ立ち尽くす結希奈。目からはなおも涙が止めどなく溢れ出る。自分はあの少年のことがこんなにも好きだったのかと実感する。
「どうして」とは思わなかった。「やっぱり」とか「お似合いだ」という気持ちが心の中で膨れ上がっていく。
同時に「自分なんて」という気持ちも広がっていく。
「今井さんは……あたしよりも美人で、性格もいいし、あたしみたいにキツくないし、人当たりもいいし、細身ですらっとしてるし……あたしが勝てるところなんてひとつもない」
「そんなことないって! ほら、あたし達の方がおっぱい大きいじゃん! オトコなんておっぱい触らせてあげればイチコロだってば!」
「え……? あんた……」
「もっと自分に自信持って! さあ、今すぐ彼の元へ走っていって、彼の顔をあなたのおっぱいに埋めてあげなさいよ!」
「ああ、そう……わかったわ……」
「そうそう! だから早く彼の所にね。あ、服は自分で脱がない方がいいよ。脱がせるのがオトコは好きみたいだか――ぶべっ!」
瞬間、もう一人の結希奈の顔が炎に包まれた。結希奈が無詠唱で炎の魔法を相手に食らわせたのである。
「いってーな! テメェ、突然何するんだよ!」
もう一人の結希奈が発した声は、すでに結希奈の声ですらなかった。固く抱き合っていた男女も、いつしか消え去っていた。
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