そらへ4
封印の間に戻ってきた徹を一人の人物が待ち構えていた。
炭谷豊。
県立北高一年、剣術部員。そして千年前にメリュジーヌによって討伐され、ばらばらに砕かれた暗黒竜ヴァースキの魂の残滓。
先ほどの戦いで炭谷は徹の一撃を受け、間違いなく倒れたはずだ。あの一撃は炭谷の心臓を貫いた。確かにその感触はあった。
しかし今、炭谷は確かにそこに立ち、怒りの表情を浮かべている。
あの一撃は幻だったのか?
そうではない。炭谷の左胸にはぽっかりと穴が空いており、そこは確かに徹が貫いたことを示している。
炭谷が纏っている剣術の道着の左胸には血の跡が大きく染み込んでいる。しかしその色はどす黒く、現在は出血がないことを表わしている。
しかも炭谷の顔は血色も良く、これまでとは変わりないようにも見える。
「てめーしかいねえのか? 浅村を出せ! 浅村だ!」
炭谷が徹の姿を認めるや苛つきながら舌打ちした。
「悪ぃが、慎一郎は野暮用でな。代わりに俺が相手をするぜ?」
徹の返答に少しは満足したのか、炭谷の表情が幾分和らいだ。
「ふん、まあいい。寝起きのウォーミングアップにはちょうどいい」
炭谷はその場で数回軽くジャンプすると、腰に差していた剣を抜いた。何の特徴もない剣だが、よく見ると柄の部分には竜の装飾が施されていた。
「後ろからしか襲えない雑魚なんざ、俺の敵じゃねえ」
その言葉にも徹は表情ひとつ変えることなく腰の“朝霧”を抜いた。
「炎よ」
そう唱えると彼が両手に握る剣に炎が宿る。彼の剣士としての奥義、魔法剣だ。
それを見た炭谷は少しだけ驚きの表情を見せた。
「へぇ……。ちったぁ、楽しめそうじゃねえか。雑魚のくせに」
そしてにやりと笑う。楽しそうに。
「ブッ殺してやる」
炭谷の身体に力が入ったのを見て、徹も構える。剣の炎がゆらりと揺れた。
(こんな状況なのに……楽しくなってきちまった)
徹も不敵に笑う。それは戦いに高揚しているからなのか、炭谷に釣られてのことなのか。
「それはこっちの台詞だよ、炭谷!」
徹と炭谷はほぼ同時にお互いの距離を詰めるために走り始めた。
数十メートルの距離が二人の間にはあったが、彼らの速度の間ではその距離は一瞬で詰まる。
攻撃のタイミングはそれ違うほんの一瞬。その一瞬全神経を集中させる。
すれ違いざま、お互いがお互いに致命傷を与えるべき攻撃を加え、そして一瞬ですれ違い、両者は再び数メートルの距離を取った。その瞬間、“朝霧”にまとう魔法に変化が生じたことに炭谷は気づかない。
「……………………」
炭谷がゆっくりと振り返った。それから少し遅れて――
「ぐふっ……!」
徹がうつ伏せに倒れた。
「ちっ、浅かったか。一撃で倒せねーとはな」
炭谷が勝ち誇った表情でゆっくりと倒れた徹の元へ歩いてくる。
徹の身体の下にはすでに血だまりができており、それは今も大きく広がっている。
「そらよ」
徹の所までやってきた炭谷が足で徹の身体を転がす。徹は仰向けになり、その傷口を晒した。炭谷が今し方斬りつけた傷が横一文字に広がっている。炭谷が着ているものと同じデザインの袴の腹部はぱっくりと割れ、そこから腹の傷がむき出しになっている。傷からは今も血が止めどなく流れ出している。
「ふん、つまんねぇ。肩慣らしにもなりゃしねぇ」
炭谷が足で徹の傷縁を踏んだ。徹が苦痛の声を上げる。
「ぐぁ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
徹が悶え身体をよじらせようとするが、炭谷の足が徹の身体を押さえていてそれもできない。
「ふん、痛ぇのか」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
炭谷は心底楽しそうににやりと笑い、数度、徹の傷口を踏みつけると、満足したのかその足をどけた。徹はそこから動くこともない。
「ま、いいか。とどめを刺してやる。次は浅村だ。すぐに会えるからあの世とやらで待ってるんだな」
炭谷が竜の装飾が施された剣を振り上げた。徹は薄目を開いて、その瞬間を見逃さなかった。
「じゃあな。あの世で先に――」
言葉は途中で断ち切られ、その続きが発せられることは永遠になかった。
炭谷の首筋を白い線が一閃したかと思うと、次の瞬間、炭谷の首がぽとりと落下した。
炭谷の身体は倒れ、そのまま二度と動かなくなった。
「げほっ、げほっ……!」
残されたのは仰向けで倒れる血だらけの徹と――刃を白く輝かせる宙に浮かぶ彼の愛剣“朝霧”だった。
「ざまぁ……げほっ、ねぇぜ……。げほっ、げほっ! 悪かったな。不意打ちしかできないヘタレで……ごほっ、げほっ……!」
徹は咳き込みながらも、どこか満足げだった。
「イチかバチか、見よう見まねでやってみたが……げほっ……うまく行ったみたいだ……。げほっ、げほっ……。それにしても慎一郎の〈浮遊剣〉……げほっ……。こんなのを何十本も同時に操るなんて……げほっ……あいつ、どうかしてやがる……」
魔力を察知して気配を探る炭谷に〈浮遊剣〉はリスクが大きかった。だから一撃を食らって相手を油断油断させる必要があった。
「ま……本気でやってあのザマだったんだがな……げほっ、ごほっ……」
徹は傍らに転がる炭谷の頭を見た。その表情は勝ち誇ったまま永遠に停止しているが、その切り口は淡く光りながら崩壊が始まっている。
アンデッドを神聖属性で攻撃した時の特有の跡だった。時をおかずにこの跡は全体に広がり、跡形もなく消滅するだろう。
「くせえ……。やっぱりこいつ……アンデッドだったか……。心臓貫かれて死なない奴なんて、普通いないからな……」
最初に入ったときからずっとこの部屋を満たしていた腐臭。それはヴァースキのものというだけでなく、炭谷のものも含まれていたのだろう。だから気づかなかった。炭谷もアンデッドだったのだ。
イブリースが炭谷もヴァースキもアンデッド化して使役していたのだろうが、今となってはそれを確かめる術はない。
カラン、と硬い音が封印の間に響いた。“朝霧”が落下した音だ。
「さて……。こっちの後片付けは済んだ。あとは任せたぜ、慎一郎……ヘタ、こくな……よ……」
そのまま瞳を閉じた徹の意識は闇の中へと落ちていく。
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