そらへ

そらへ1

                       聖歴2026年5月16日(水)


 最初に頭が落ち、次に巨大な身体が沈み、大きな音と振動が部屋全体を包み込む。最後に大きく広げていた穴だらけの漆黒の翼がそれに少し遅れてゆっくりとその上に落ちていった。


「や――やったっすか?」

 少し離れた所で見ていたゴンが大きな目をさらに見開くように状況を注視する。


 しばらく経っても首を落とされたドラゴンゾンビが動く気配がないことに、その犬の顔にようやく笑みが広がっていく。

「やった! やった、やった、やったっす!」

 勝利を確信して周囲のコボルト達と一緒に小躍りしながら慎一郎達の方へと走っていった。


「はぁ、はぁ、はぁ……。や、やったのか?」

『うむ……。わしもよく知らんかったが、どうやら首を切り落とせば良かったようじゃ。今になって考えてみれば当然のことじゃな。それよりも――』


 メリュジーヌのアバターはすぐ傍らで荒く息をしているこよりを見た。

 彼女は巨大な石を手足に纏わり付かせており、それによって頭の位置が普段よりもかなり高い。小柄な身体に似合わない大きさの手足で、全体的にマッシブな印象を与える姿だ。

 右手の先端にはショートソードほどの長さの刃が握られ――否、取り付けられている。


『よくやった。大金星じゃ』

 それまで呆然としていたこよりは、メリュジーヌのその声で初めて我に返ったようで、いつもよりも高い場所から小柄なメリュジーヌを見下ろした。


「とにかく夢中で……。ヴァースキの首からブレスが漏れてるのを見て、あそこを集中攻撃すればって。それでゴーレムの技術を応用して即興で身体強化のデバイスを作ったんだけど……」


 こよりは右手に取り付けられている刃を見て、そして微笑んだ。

「うまく行ったみたい。よかった……」


「おい、俺たち勝ったのか? やったな、こよりさん!」

 徹がやってきてこよりを讃えた。周囲ではコボルト達が回りながら「やったっす!」などと歌いながら踊っている。


「……それは?」

 徹がこよりの右腕を見て指さした。


「斉彬くんの〈デュランダルⅡ〉をわたしでも使えるよう、外崎さんに改造してもらったの」

「そっか……。なら、これはおれたち〈竜王部〉全員でもぎ取った勝利だな」

 慎一郎が傍らに倒れるヴァースキの死体を見上げながら言った。


「そっか……。そうだね……。やったよ、やった……。斉彬くん……」

 こよりはぽろぽろ涙を流しながら言った。しかしその顔は喜びに満ちており、そこにいた皆がひとつの区切りに安堵を覚えていた。




「どう?」

 勝利に沸く慎一郎達から少し離れた場所に瑠璃といやし系白魔法同好会の部員達がやってきた。


「なんとか出血は止めたけど……」

 表情は暗い。結希奈は首を振った。


 その傍らには人間の姿に戻った菊池が横たわっている。ドラゴンの時には塞がっていた腹の穴は再び開き、加えて先の戦いで受けたドラゴンの傷はそのままだ。失った左足の足首から先と、首の裂傷が特に酷い。片目も潰れている。


 すかさず女子生徒達が結希奈の治療を手伝い始めた。菊池の全身が回復魔法に光に包まれるが、その怪我が回復する様子はない。

 これと同じ状況の生徒を、結希奈は数ヶ月前に何人も見て来た。文化祭の日に“鬼”にやられて治療の甲斐もなく死んでいった生徒達だ。


「一旦地上に戻って、辻先生に病院の手配をしてもらわないと」

 すでに北高の封印は解除されている。設備の整った病院に送ればまだ間に合うかもしれない。結希奈はそう考えた。


 だが、その時、首の傷に手を当てて回復魔法を行使する結希奈に意識を回復させた菊池が手を乗せた。

「すまない、迷惑を掛けた。僕は大丈夫……。早く〈ネメシス〉への打ち上げを……。皆をここに呼んでくれ」


「何言ってるんですか、会長! そんなことしたら、あなたは……!」

 菊池の無茶な要求に結希奈は怒りの声を上げるが、菊池は冷静な口ぶりで言った。


「駄目だ。それでは間に合わなくなる。〈ネメシス〉が災厄を振りまき、世界は破壊される。時間が……惜しい……」

 諭すような言い方とは裏腹に、菊池の表情はこれまで見たことがないほど厳しい。


「だけど! それだと会長、あなたが死んでしまいます!」

「この地球ほしを――世界を救うためだ。その代償が僕の命ひとつなら安いものだ」

 一転して笑みを浮かべる菊池。そこには悲壮なまでに覚悟を決めた男がいた。


 そこに慎一郎達がやってきた。勝利への歓喜も、菊池の状況を見て吹き飛んでしまった。皆の表情は暗い。


『ミズチ、やれるのか?』

「ちょ――ジーヌ! 何言ってるの!? 会長はそんな状態じゃないのよ? すぐに病院に連れて行かなきゃいけないの!」


 結希奈の抗議にメリュジーヌは緩やかに首を振った。

『こやつの顔を見よ。覚悟を決めた男の顔じゃ。やらせてやれ。どのみち――』


 助からん、とは言えなかった。現代の医療がどこまで発達しているか、メリュジーヌにはわからなかったが、それ以上に長年――メリュジーヌが不在の六百年も含めて――忠義を尽くしてきた部下の願いを無碍にはできなかった。


「ありがとうございます――陛下」

『わしは何もしておらぬ』

 瀕死の部下を見下ろす竜王の姿はまるで幼子を慈しむ母親のように見えた。


「さあ、君たちは戦いの準備を。僕は〈ネメシス〉へ送り出す術式の構築に入る」

 菊池が起き上がろうとする。しかし結希奈は納得していない。

「でも――!」


 そんな結希奈に菊池が頭を下げる。

「やらせてくれないか、頼む。僕の――君たちの働きでひとつの命が救われた。これからもっと多くの命が救われる。そうだろ? イブリース君」


「会長」

 その声に一同は振り返った。

 そこには炭谷にこの地下奥深くにまで連れ去られていた生徒会副会長、イブリース・ホーヘンベルクが立っていた。


「イブリースさん」

 最初にその名を呼んだのは徹だ。しかし、イブリースはその声が聞こえていないのか、何の反応を示すことなくまっすぐ菊池のもとにやってきてしゃがみ込んだ。


「まさか――勝ってしまうとは思いませんでした」

 その顔はいつもよりも白い。しかし、そこには再会の喜びはなく、あるのはまるで石から削り出した彫刻のような冷たさだけであった。


「でも――」

 イブリースは彼女の足元に転がっていた手のひらサイズの石――ミズチの竜石をつかみ取ると立ち上がった。


「これで竜王の石に続いてミズチの石も手に入った。あのお方が完全な姿……いや、それ以上のお姿で復活される。予定通り、いえ、それ以上だわ」

 にやりと笑う。白い顔に真っ赤な口のイブリースの笑顔は、これまで目にしてきた彼女の可憐な、少し影のあるような笑みではなく、どこかそら恐ろしいものだった。


「さようなら」

 イブリースはそのままきびすを返して立ち去ろうとする。


「待て! 君は……君は本当にイブリース君なのか?」

 菊池の問いに、魔族の女はぴくりと肩をふるわせた。笑ったのだろう。


「ふふ、愚かなドラゴンの男よ、そしてその手のひらに踊らされたさらに愚かな人間どもよ」

 そして身体を動かさず、顔を少しだけこちらに向けた。


「私は魔界の王政復古派レスタチオン。偉大なる魔王ベルフェゴール陛下を復活させるものよ!」

 イブリースはそのまま足早に歩き出した。


「まて! イブリース君!」

 菊池が血まみれの手を伸ばすが、そのあとイブリースは振り返ることもなく、部屋の奥まで行くと、姿を消した。

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