文化祭一日目

不思議の国の楓

不思議の国の楓1

                       聖歴2026年10月1日(木)


 今朝はいつもよりも早く目が覚めました。

 眠れなかったわけじゃありません。むしろ、いつもよりぐっすり眠れたので早起きできたと言った方が正しいのかも。


 布団の中からもぞもぞと起き出しました。周りではまだ弓道部の先輩達が寝息を立てています。

 学校から外に出られなくなり家に帰れなくなったので、それから私たち弓道部の部員達は弓道場で寝泊まりしています。合宿の時に使うお布団は最初ちょっと硬いと思ったのですが、すぐに慣れて、いまではこのお布団でなければぐっすり眠れないような気もします。


 先輩達を起こさないように寝間着として使っている体操服から夏の間仕舞っていた冬の制服へと着替えます。そう、今日からしばらくの間お世話になっていた夏服からあの懐かしい冬服へと衣替えが行われるのです。


 今日は待ちに待った文化祭の一日目。今年は文化祭への参加者が少ない――全校生徒が学校に閉じ込められたわけではないのです――ために、日替わりで場所を変えて行われるのです。

 弓道部の休止期間中に掛け持ちで私がお世話になっている〈竜王部〉の出店は二日目。今日は思いっきり羽を伸ばしてもいいと部長の浅村くんが言ってくれました。


 浅村慎一郎くん――

 〈竜王部〉の部長で私の命の恩人。そして――私の好きな人。


(今日の文化祭は、絶対に浅村くんとまわるんだ……!)

 そうした決意の元、弓道場の控え室、部室として使用されているいつも通り散らかった部屋に備え付けられている鏡を見て身だしなみに問題がないかチェックします。浅村くんのことを考えるだけで胸がドキドキして顔が赤くなっていくのが鏡越しにもわかります。


 制服に汚れもついてないし、髪が寝癖で跳ね上がっていることもない。よし、と私は小さくガッツポーズをして気を引き締めます。


 少し早いけど朝ご飯を食べているうちに文化祭の始まる時間になるかな……。そう考えて私は外に出ようと部室から弓道場へと移動します。

 まだ寝ている先輩達を起こさないようにゆっくりとその枕元を歩いていると、一番入り口寄りのお布団がもぞもぞと動き出しました。そして、そこにくるまっていた頭がむくりと起き上がります。


「あれ……? 今井……?」

「おはようございます、部長」

 寝ぼけ眼の部長に小声で挨拶しました。


 弓道部に壊滅的な被害をもたらせたあの大きなウマのモンスターとの戦いから一ヶ月とちょっと。軽傷だった先輩達の傷もすっかり癒え、今では私と同じように他の部を掛け持ちしている方も居ます。

 しかし部長はケガが重かったので、まだリハビリの最中なのです。


 それもだいぶうまくいっているようだと先日聞いて胸をなで下ろしました。もしかすると、もうすぐ弓道部の活動も再開されるかもしれません。

 それは嬉しいのですけど、〈竜王部〉との活動をどう両立させるかという、新しい心配事もできてしまいます。


「今井……早くない……? 七時だよ?」

「はい。ちょっと目が覚めてしまって。私は朝ご飯を食べてきますから、部長は寝ててください」

「ん、わかった……」


 部長はそう言って布団を頭から被って再び夢の中へ入っていきます。私は邪魔しないようにそろそろと弓道場を後にしようとしました。そのときです。


「…………!」


 背後でがばりと誰かが跳ね起きる音がしました。振り返ると布団を被っていたはずの部長が布団を跳ね上げて上半身を起こし、寝起きのボサボサの髪のままこちらを向いています。


「ど、どうしたんですか……?」

 何か嫌な予感がします。地下迷宮でモンスター相手に鍛えた第六感というやつが私にこの場から速く逃げろとささやいてきています。

 しかし、お世話になっている部長を放ってそんなことはとてもできません。私はウマに襲われたあの日に固く誓ったのです。


「今井、お前……」

 つばを飲み込もうとしましたが、口の中がカラカラで何も出てきませんでした。緊張しているのです。心臓がドキドキしています。


「例の浅村慎一郎あさむらしんいちろうくんか? デートの約束を取り付けたのか?」

「きゃ――――っ! ち、違います!!」

 あわてて部長の布団に突っ込み、部長の口を塞ぎます。しかし時すでに遅し。


「なに?」「まだ早いじゃない」「誰よこんな朝早く」

 先輩や同級生が次々起きてきます。


「みんな聞いて! 今井が例の浅村慎一郎くんと……!」

「えっ、なになに?」「もしかして……!」「進展あり?」「デートだって?」「えっ、デート?」「デート?」「やったじゃん、今井!」「デート、デート!」「今井! しっかり決めてきな。一発必中だよ!」


 ああ、もうこうなったら止まりません。放っておけば尾ひれがついて、明日の今頃には全校の女子生徒の間に私と浅村くんが婚約したとまで言われていそうです。


 婚約……それはそれでいいかもしれません……。


 いえいえ。それでは浅村くんに迷惑がかかってしまいます。私はぶんぶんと頭を振って邪念を振り払います。そして詰め寄ってくる先輩達に精一杯の大声で本当のことを話します。


「違います! 浅村くんとは一緒に文化祭をまわりたいけど、でも……まだ、約束できてません……」

 言っている間にどんどん情けなくなってきます。出会ったその日に勢い余って告白してしまったのはいいですけど、それ以来何の進展もないのです。


 しかし、恥をさらした甲斐はありました。先輩達のテンションはまるで空気の抜けた風船のように急速にしぼんでいき、「なーんだ、つまんない」「解散、かいさーん」「あたし、寝る」「ふわぁ~あ」などと口々につぶやき、あからさまに興味をなくしたようです。ああ、よかった。


「それじゃ、私は朝ご飯を食べてきますね」

 静けさを取り戻した朝の弓道場にそう言い残して出て行きました。出て行くとき、部長が「がんばれよ」と言ってくれたのが嬉しかったです。


 よし、今日は頑張って浅村くんを誘います!

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