猿も木から落ちる8

                       聖歴2026年9月30日(水)


「浅村。文化祭の火気の取り扱いについて最終確認がしたいそうだ。運営本部のイブリースに会ってくれ」


 文化祭も翌日に控えたこの日、〈竜王部〉ならずとも校内は文化祭の準備で大わらわだった。

 慎一郎は〈竜王部〉の出し物である演劇レストランの準備だけでなく、部長として各種事務手続きやミーティングにも参加しなければならず、ほかの部員より三割増しの仕事が積み上げられている。

 今も斉彬に言われて生徒会室に向かうところだ。


 肩に掛けられた〈副脳〉のケースの中ではメリュジーヌが今日も暢気に昼寝をしている。

『わしのすべきことはやった。試食の時間になったら起こせ』

 あんなにノリノリで劇の脚本を書いたあとはこの様子である。本当に興味のあることしかしない困った竜王様だ。

 頭の片隅ですやすや眠る様子を確認しながら慎一郎はため息をついた。


 旧校舎の四階から階段を降りて渡り廊下を歩いていく。呼び出された運営本部は生徒会室ではなく、新校舎の外、校庭の近くに設営されている。校舎の外で作業する生徒が多いというのがその理由だ。


 昇降口で靴を履き替えようとしたとき、声をかけられた。

「あれぇ~? ダーリンじゃん」

 振り返ると、見覚えのない女子だった。


 いや……卵形の顔に大きな瞳、短くきれいに切りそろえられた髪。それに、慎一郎のことをダーリンと呼ぶその呼び方。


 見覚えが……ある。


「松阪さん……?」

 松坂瑠璃。慎一郎達が地下迷宮の奥深くで出会った少女。“さる”の〈守護聖獣〉。


「やだなぁ、もう。瑠璃って呼んでって言ったでしょ?」

 瑠璃は気安く慎一郎の肩をぱんぱんと叩く。


「いや……というか、どうしてここに? 家の修復はしなくていいの?」

 瑠璃は先日の“とり”の〈守護聖獣〉との戦いで破壊された地下にある彼女の家――というか砦というか城というか――の修復に追われているはずである。


「え? あんなのもう終わってるよ。眷属にやらせればすぐだし」

 その眷属サルに任せっきりだったのが今回の事件の原因だったはずなのだが……。


「いや、そうじゃなくて。こんな所に居てもいいのかって話。ほかの生徒達に見られたらまずいんじゃないか?」


「……? ああ! 大丈夫大丈夫。あたし、ここの生徒だから」

「はぁ!?」


「だから、あたしここの生徒なんだってば。ほら」

 言って、瑠璃はくるりと回転する。短いスカートがふわりと舞う。それは、北高指定の女子の夏服だ。スカーフの色から二年生だとわかる。


「つっても、北高ここが封印されてから紛れ込んだんだけどね」

 曰く、封印後の北高は部の兼部が認められたおかげで、かなり自由に行動できるらしい。どの部の関係者も入部希望者が高校生じゃないどころか、半分人間じゃないなんて思いも寄らないだろう。


「あっ……。その腕……」

 慎一郎が瑠璃の左手を見る。夏服によって露わになっているそれは、ほかの場所同様、きれいな肌色をしていた。


「石化、ちゃんと治ったんだな。よかった」

「えへへ~。ありがとう。やっと夏服が着られるようになったんだよ。ダーリンのおかげ♡」

 本当に嬉しかったのか、瑠璃は満面の笑みを浮かべた。


「つっても、明日からまた冬服になるんだけどね。あたし、夏服の方が好きだからがっかりだよ」

 明日から十月。北高では冬服の季節になる。気がつけばあんなに鋭かった昼間の日差しも和らぎ、朝晩の空気はかなり冷たい。


「ん? なにこれ?」

「あっ、こら! やめろ。返せ!」

 瑠璃は慎一郎が持っていた紙を素早く取り上げてそれを見る。


「火器取り扱いについて……。ああ。ダーリン、〈竜王部〉の部長だったわよね。生徒会室行くんでしょ? あたしも一緒に行っていい?」

「いいけど、別に楽しいもんじゃないぞ」

「いいのいいの。あたしもちょうど生徒会室行くところだったから」

「え、なんで……?」

「あたしも部長なんだよ」

「えぇ!?」

 この“申”の〈守護聖獣〉には驚かされっぱなしだ。


「ふふふっ、驚いてる。どこの部か当ててごらんよ」

「そんなのわかるわけが……」

「あはは、それもそだね。いやし系白魔法同好会って知ってる?」

「……聞いたこともない」

「うーん、ちょっと残念。最近結構話題になってると思ったんだけどな。あ、でも文化祭でお店出すから来てね。サービスするわよ」

「わかった。絶対行くよ」

「やったぁ☆」


 そう言って瑠璃が慎一郎の腕に抱きついたとき、タイミングいいのか悪いのか、背後から彼の名を呼ぶ声がした。

「慎一郎!」

 声の主――結希奈は早足で慎一郎の所にやってきた。手に何か紙を持っていて、それを慎一郎に差し出す。


「これ、当日のシフト表。これも生徒会に提出が必要だって、斉彬さん……が……」

 結希奈が彼女から見て慎一郎の腕に抱きつく女子生徒の顔を認めた途端、その表情が曇っていく。


「…………何、やってるの、こんな所で?」

 険しい表情の結希奈を見て、瑠璃がにやりと笑う。さらに薄い胸を慎一郎の腕に押しつけるようにして結希奈を挑発する。


「何って、ダーリンの側にいつもいたいと思うのは当然でしょ。ね、ダーリン♡」

「え……!? ちょ、ちょっと……!」

「ちょっと、何くっついてるのよ! 離れなさいよ!」


 結希奈が瑠璃の腕をつかんで慎一郎から引き離そうとする。しかしこう見えても瑠璃は〈守護聖獣〉だ。普通の女の子レベルの腕力しかない結希奈に引き離せるものではない。


 瑠璃はますます面白がってきゃーきゃー騒ぎ出した。

「いやぁ~! あたし達の仲を引き裂こうとする泥棒猫よ~!」

「誰が泥棒猫よ!」

「ゆ、結希奈……。みんなが見てるからあまり騒がないで……」

 結希奈が騒ぎ出して周囲には生徒達が集まってきている。しかし頭に血の上った結希奈にはそんなことはお構いなしだ。


「何よ! あんたもこの女の肩を持つっての!」

「えぇ!? いや、そういうわけじゃなくて……」

「いや~、瑠璃、こわーい。助けて、ダーリン♡」

「だから、離れなさいってば!」

「ダーリンはやめてくれ……」

 怒る結希奈、困る慎一郎、そしてからかう瑠璃。


 明日は十月一日。いよいよ文化祭が開幕する。四日間のお祭り騒ぎに生徒達は学校に閉じ込められている現実にもめげず、お祭り騒ぎを繰り広げるだろう。

 生徒の誰もが文化祭の開幕を心待ちにしていた。


『むにゃむにゃ……牛丼おかわりじゃ……。そっちのデザートはわしが予約してある……』

 もちろん、生徒ではないこの食いしん坊の竜王も。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る