夏の終わりに

夏の終わりに1

                       聖歴2026年8月30日(日)


 その日の迷宮探索は早めに切り上げられた。主な理由はこの日の夜開催される生徒会主催の花火大会のためだ。

 花火大会のため……と言っても、別に徹が花火大会に行きたくて朝からそわそわしていたり、斉彬がこよりを何度も何度も花火大会に誘ってこよりを怒らせたりして探索にならなかったというわけではない。――そういうことがなかったとは言い難いが。


 〈竜王部〉がこの日早く切り上げたのは花火大会の開催にあたって、〈竜王部〉部員でもあり鍛冶部部員でもある外崎姫子とのさきひめこが発射台の設置に駆り出されてしまうからだ。彼女がいないと地下迷宮から帰還ができなくなる。


「というわけで、本日の探索は終わり。あとは自由行動にしよう。」

「よっしゃぁー!」「よしっ!」

 慎一郎の宣言に徹と斉彬、男子勢がハイタッチして喜びを表わした。


「あ、もしもし? 平井ちゃん? 俺。そう、栗山。あのさ、今日の花火大会なんだけど……」

 徹は早速誰かと〈念話〉を始め、そのまま部室から出て行ってしまった。今日一緒に花火を見る女の子を探しに行ったのだろう。


「こよりさん! 今晩の花火大会、どうか俺と一緒に……!」

 斉彬が頭を深々と下げながら右手を差しだした。それを見て困った様子のこより。

 と、何かを思い出したようだ。


「そうだ斉彬くん! 生徒会の方は行かなくて大丈夫なの? 早く行かないと怒られるんじゃないかなぁ?」

「いや、生徒会よりこよりさんです!」

「いや、その……。わたし、やるべきことをやらない人ってどうかと思うんだよねぇ……」

 あはは、と笑うこよりに斉彬は雷が落ちたかのようなショックを受けた。


「す、すぐ生徒会に行ってきます!」

 斉彬は「また後で連絡します、待っててくださいー!」と言い残して部室を出て行った。


「はぁ……」

「大変ね、こよりちゃんも」

「もう、他人事だと思って!」


 結希奈とこよりの会話を楓が不思議そうな顔で見ている。

 そして、何かに気づいたかのようにぽん、と手を叩いた。

「ああ! 斉彬さんはこよりさんのことが好きなのですね!」

「今それに気づいたの!?」


 入部十日ほどの新入部員である一年生の今井楓いまいかえではどこか抜けているところがある。

 抜けているというよりは一般常識がないというか、人の感情の機微に疎いと言うべきか。浮世離れしたところがあって、よく言えばマイペースである。


 その楓は「でも――」と首をひねらせた。まだ何か納得のいかないところがあるのだろう。

「こよりさんが好きだと、どうして一緒に花火を見たいんでしょうか?


「そ、そりゃあ……。好きな人とは一緒にデートとかしたいもんなんじゃないかなぁ? あ、あたしもよくわからないけど……。どうなの、こよりちゃん?」

「え? そこでわたしに聞くの?」

「なるほど! 好きな人とはそういうことをするものなのですね」


 一人納得顔の楓は少し離れたところで女子三人のかしましい会話を聞いていた慎一郎の所へとやってきてすっ、と腕に抱きついた。


「ならば浅村くん、一緒に花火を見ましょう!」

「えっ!?」

 驚きの声を上げたのは慎一郎ではなく結希奈だ。


「ちょ、ちょっと何言ってるの、今井さん?」

「……? 私、何かおかしいことをしたでしょうか? 好きな人とは花火を見に行きたくなるものとおっしゃったのは結希奈さんではありませんか」

「そ、そうだけど……そうじゃなくて!」


 楓は〈竜王部〉との最初の戦いである“うま”の〈守護聖獣〉との戦いにおいて危ないところを助けられた慎一郎に恋心を抱いてしまった。

 そのことを本人の前で思わず口に出してしまった楓は、最初は恥ずかしがっていたものの、数日も経てば心を決めたのか、今ではこんな状況だ。

 そのたびに結希奈の心はかき乱される。彼女自身にもどうしてだかわからない感情だ。


「浅村くん、よろしいですよね? 一緒に花火に行っても?」

「え? いや、その……」

 当の慎一郎はしどろもどろになっていた。抱きつかれている楓の肩越しに見える結希奈がものすごい形相でこちらを睨んでいるのが見えているからだ。


(た、助けてくれ、メリュジーヌ)

『今日もいい天気じゃのぅ。きっと花火大会は晴天に恵まれるじゃろうな』


 慎一郎は自分の〈副脳〉に精神を宿している神話的なドラゴンの王、メリュジーヌにこっそり助力を請うが、メリュジーヌは部室の窓から外を眺めて我関せずである。面白がっているともいう。

 もっとも今見えているそれはメリュジーヌが魔法で作り出した映像なのだが。


「か、勝手にすれば? あたしには関係のない話だし!」

 結希奈は自分の荷物をまとめて部室から出て行ってしまった。

「結希奈ちゃん! ……それじゃあみんな、また明日ね」

 それを追いかけるようにこよりも部室から出て行った。


「た、助けて……」

 女子二人の間に板挟みになった慎一郎に手を差し伸べてくれる者はここにはいない。

『よいのぉ、実に良い。命短し恋せよ子供たち』




「結希奈ちゃん!」

 〈竜海の森〉を早足で歩く結希奈の後ろから彼女を呼ぶ声がした。その声に結希奈は足を止めて振り向いた。


「どうしたの、こよりちゃん?」

 笑顔だったが、それはどう見ても無理して作りだしている。頬が引きつっているのだ。


「……よかったの?」

「何が?」

 結希奈が早足で歩き出す。それについて行くようにこよりが着いて来た。


「何がって……。浅村くんと楓ちゃんのこと」

「…………別に。あたしには関係ないし」

 素っ気なく言うが、早足で歩く結希奈の足取りは彼女の言葉以上にその感情を雄弁に物語っている。


「こんにちは」「こんにちは」

 途中、女子生徒達三人とすれ違った。三人ともこの先にある〈竜海神社〉――高橋家に一時の居を得ている女子生徒達だ。

 後ろから「花火楽しみだねー」という声が聞こえてきた。彼女たちも花火大会に繰り出すのだろう。


「そんなことより……」

 女子生徒達の楽しげな話し声も聞こえなくなった頃、結希奈が切り出した。


「こよりちゃんはどうなの? 斉彬さんと花火、行かないの?」

「わ、わたし……!?」

 今日、こよりは斉彬から三回も花火大会への誘いを受けていた。そのたびはぐらかして返事を保留していた。


 結希奈としては自分に向いていた話の矛先をこよりに向けて、少しからかって暗くなった雰囲気を元に戻そうと考えていた。

 ただそれだけだったのだが――


「こよりちゃん……?」

 木々の間で立ち止まり俯いてしまったこより。彼女たちを木漏れ日が照らし、頭上では〈竜海の森〉に暮らす鳥が鳴き声を競い合っていた。


「わたしは……わたしには斉彬くんと花火を一緒に見る資格なんてないよ……」

「え……? どういうこと……?」

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