混迷への序曲5

                       聖歴2026年4月7日(火)?


「そろそろご飯よ、起きなさい」

 階下から呼ぶ母の声で身が覚めた。目覚まし時計はいつの間にか止めてしまったらしい。

 もそりとベッドから起き上がって制服に着替える。


 昨日は入学式だった。今日から新学期、クラス発表がある。ある意味、今日が高校生活始まりの日だ。


「いってきます」

「おい。気をつけてな」「いってらっしゃい」

 両親の言葉を聞いて家を出た。そこには――


「おはよう、慎一郎」

「なんだよ、わざわざ待ってなくても、先に行けばいいじゃないか」

「いいじゃない、別に。一緒に行きたいんだもん」


 そう行って腕に抱きついてくるのは幼なじみの瑠璃るりだ。彼女とは小学校に入る前からの付き合いだから、もう十年になる。

 昔は結婚の約束までしたものだが。まさか……。


「わぁ、きれい……! わたし、桜って大好き!」

 中学時代とは異なる通学路。満開の桜がアーチとなって二人を出迎える。まだ慣れない道のりだが、周囲には同じ制服を着た男女が多く歩いているので迷うこともない。

 住宅街を抜け、市道を渡ると見えてくるのが県立北高。慎一郎と瑠璃がこれから三年間、通うことになる高校。


 慎一郎の隣ではしゃぐ瑠璃はアホっぽく見えるが全国模試では常に十本の指に入るほどの才媛だ。

 本来ならば県内の別のもっとレベルの高い私立高校へ行くはずだったのだが、どういうわけかそれを蹴って北高への入学を決めてしまった。全く理解できない。


「一緒のクラスになれるといいね!」

「……ああ、そうだな」

 瑠璃の笑顔につられて慎一郎も笑う。

 正門を抜け、昇降口前に貼ってあるクラス割り掲示板の前へ――




「よう、お前と一緒に来たあの美少女、お前のこれか?」

「…………?」


 クラス割り発表を確認して自分の教室――一年F組の教室に入る。そこで出席番号順に割り振られた席に座ると、隣の男子生徒が話しかけてきた。左手の小指を立てている。


「これ…………?」

「お前の彼女かって話だよ。スゲー美人だな。うらやましいぜ」

 そう言って男子生徒は後ろを見た。つられて慎一郎も後ろを見ると、その視線に気がついた瑠璃がぶんぶん手を振るので恥ずかしくなった。

 そう、瑠璃も同じクラスだった。これまで小中学校とずっと同じクラスだったが、ここでもまた同じクラスになってしまった。とんだ縁だ。


「俺は栗山徹。よろしくな」

「浅村慎一郎。こちらこそ」

 そう自己紹介して徹と名乗った男子生徒と握手する。その途端、


「今度、あの子紹介してくれよ」

 などと言ってきたので頭が痛くなった。


「おーい、静かにしろ。出席取るぞ」

 がらがらと教室の扉が開かれると同時に声の主が入ってきた。


「お、担任きた。……って、ちっさ!」

 徹が驚きの声を上げる。それもそのはず、教室に入ってきた担任とおぼしき白衣を着た人物は黒板の前に置かれている教卓からかろうじて顔を覗かせるくらいの小柄な女の子、いや女性だった。


「なんじゃと! 誰がちびっこじゃ! 誰が幼女じゃ!」

「いや、そこまで言ってないって……」


 ちびっ子担任はひとしきり怒ったあと、おもむろに持ってきたプラスチックのケースから真新しいチョークを取り出し、何やら書き始めた。


 ……が、書いてある場所が低すぎて全く見えない。


「せんせー、みえませーん!」

 手を上げて元気に報告したのは瑠璃だ。それを聞いた担任はむっとした表情で高い位置に書き直そうとする。


「……………………」

 しかし、どう頑張っても黒板の下三分の一よりも上に手が届かない。背伸びをして書こうとしたが手がぷるぷる震えていかにも辛そうだ。


「おい、お前!」

「お、おれ……?」

「お前の椅子をここに持ってこい」

「は、はぁ……」


 小さな担任に名指しされた慎一郎が仕方なく彼女の所に自分の椅子を持っていく。担任はそれを見て「うむ」と満足そうに頷き、ぴょんと椅子に飛び乗った。しぐさも小さな女の子っぽい。


 白衣の担任はかつかつと黒板に何やら書いている。

 やがて書き終わったのか、登ったときと同様、ぴょんと椅子から飛び降りて教卓の前に戻る。


 そこには、『メリュジーヌ』と書かれていた。


「わしが今日からこのクラスを受け持つことになったメリュジーヌじゃ。一年間よろしく頼む!」

 そうしている間に『ぴろりろりん』とチャイムが鳴り始めた。


「む? もうホームルームも終わりか。まあよい、一限目はわしの世界史の授業じゃ。今日は初日なので皆の自己紹介タイムとする。授業はなしじゃ」

「やったー! ジーヌ先生、話がわかるぜ!」

 メリュジーヌの宣言に徹をはじめとするお調子者の男子生徒達が拍手喝采で大喜び。


 ぴろりろりん♪ ぴろりろりん♪……チャイムが鳴り続ける。

 ぴろりろりん♪ ぴろりろりん♪ ぴろりろりん♪……。


 いや、この音はチャイムではないではないか?

 どこかで聞いたことがあるが、思い出せない。

 この音は確か……。


 ぴろりろりん♪ ぴろりろりん♪……。

 音は鳴り続ける。

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