馬耳東風4

『シンイチロウ! シンイチロウ!!』

 メリュジーヌは敵の電撃を食らって倒れた慎一郎に呼びかける。しかし、魔術的に接続された慎一郎からの返事はない。


 強烈な電撃――バイコーンの魔法――を浴びた慎一郎は全身にダメージを受け、意識を失ったようだ。時折身体がぴくりと動くのはおそらく電流のせいだろう。

 このままではあのデカブツになぶり殺しにされる――。緊急事態にメリュジーヌは慎一郎の身体を操って逃げだそうとした。


『まずい、身体が……動かん!』

 しかし電撃に晒された身体は〈副脳〉からの命令を受け付けない。


 なんとか首だけを動かしてバイコーンの方を見ると、今まさにバイコーンが迫ってくるのが見えた。

 相手が動かなくなったのを見て、これまでとは異なり、余裕の足取りで近づいてくる。笑みをたたえているようにさえ見えた。


 絶体絶命とはこのことか。


『とどめを刺すつもりか……!』

 しかしメリュジーヌがいくら命じても慎一郎の身体は指一本すら動こうとはしない。


 ウマの背後で子供達の姿が見えた。すでにウマと子供達との戦いは乱戦になっており、ウマのスピードを生かした戦いは封じられている。

 徹とこよりのゴーレムがウマの動きを押さえ、復帰した斉彬が足を止めたウマに次々ダメージを与えている。斉彬が討ち漏らしたウマは結希奈とこよりが押さえ、楓が確実に仕留める。


 頼もしくなったものじゃ……。


 気がつけばウマはメリュジーヌの目の前で竿立ちになり、慎一郎の身体を踏み潰そうとしている。

 目はつぶらなかった。竜王メリュジーヌは最後の最後まで負けを認めないし、弱味を見せることもない。


 だから、その瞬間ははっきりと見えた。


 ウマの前足が振り下ろされる。それは自分の――慎一郎の身体を踏み潰さんとする殺意の込められた一撃。

 しかし、それは慎一郎の身体に触れることはなかった。


『…………!?』

 第三者が見たらウマが横たわる慎一郎を前に竿立ちのまま固まっていたように見えたかもしれない。


 しかし、メリュジーヌは見た。起死回生の瞬間を。

 ところを。


「悪い……。すこし……気を……失っていたようだ……」

『シンイチロウ!』

 慎一郎の背から伸びている腕――それは彼が普段は三本目の剣を持って戦っている不可視の腕だった。

 それが二本、バイコーンの前足を押さえて離さない。


「身体が動かせなくても……これなら動かせるかなって……」

 慎一郎が薄く微笑んだかのように思えた。ああ、竜王たる我がこんなにも頼もしく思うとは……!


『でかした、でかしたぞ! そうか、身体が動かせずとも魔法なら使うことができる。確かにそうじゃ!』


 ――ヒヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!!


 バイコーンが二足という不安定な姿勢でその巨体を大きく揺らす。しかし、どれだけ暴れても慎一郎の不可視の腕はバイコーンを掴んで放さない。


『よいぞ、シンイチロウ。そのまま掴んでおれ。決して放すなよ』

「わかってる……っ!」

 しかしそれを許さないと言わんばかりにウマの王はさらに下向きの力をかけてきた。


「ぐっ……!」

 ウマの膂力に拮抗していた慎一郎との力比べにほころびが生じた。黒いウマの王の身体は少しずつ慎一郎の身体に近づき、覆い被さろうとしている。力比べに敗北した瞬間、その巨体で彼の身体は潰されるだろう。


『させるか……っ!』

 慎一郎の身体からさらにの不可視の腕が伸びてバイコーンを押さえにかかった。メリュジーヌの魔法の腕だ。


 おかげで再び両者の間に力の拮抗が生まれる。


 しかし――

『くっ、このままでは……』

 この体勢では自身の体重を生かして力を加えられる敵の方がはるかに有利だ。今は拮抗していてもやがてそれは破れる。先ほどと同じように。


『シンイチロウ、身体は動くか?』

 試しに慎一郎に聞いてみたが、答えは芳しいものではなかった。


「駄目だ。まだぴくりとも……うわぁぁぁぁぁぁぁっ……!」

 バイコーンの角が再び青白く光り、慎一郎の身体に電撃がたたきつけられる。


『シンイチロウ、大丈夫か、シンイチロウ!』

「だ、大丈夫……だ……。さっきのよりは……弱かった……」

 さしものモンスターも至近距離の相手に対する雷攻撃には躊躇が生まれたのだろう。二度目の攻撃で慎一郎の意識を刈り取ることはできなかった。


 しかし、両者の力の拮抗を奪うにはそれで十分だった。


 六本の不可視の腕に押さえられていた黒い巨体がじりじりと落下してくる。

 慎一郎の目には世界の屋根が落ちてくるように見えた。


『くっ……何か手は……』

 メリュジーヌが必死に頭を巡らせる。しかし身体も動かない、魔法のキャパシティは目の前のモンスターを押さえるのに精一杯の状況ではどうしようもない。

 その時――


 側方から一本の光がバイコーンの身体に突き刺さった。


 否、それは一本の矢であった。矢はバイコーンの背に最初から刺さっていた矢――それは弓道部の部長が身を挺してつけた傷だ――と同じ所に命中してバイコーンに耐えがたい痛みを与える。


 ――ヒヒヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィ……ン!!


 ウマが激しい痛みに悶え、暴れるが慎一郎とメリュジーヌ、合計六本の不可視の腕がそれを掴んで離さない。


 二本目の矢が飛翔する。それも全く同じ場所に突き刺さった。なんという腕前。

 慎一郎は矢の飛んでくる方角を見た。そこには弓道部からの助っ人、今井楓が立っていた。


 楓は背筋をまっすぐに伸ばし、自分の背丈ほどもある巨大な弓に矢をつがえた。その瞳はまっすぐバイコーンを捉えている。

 第三射。


 ――ヒィィィィィィィィィィィィィィィィィ……!


 これも同じ場所に命中。バイコーンの背中には同じ場所に四本もの矢が突き刺さっている。

 バイコーンが怒りを込めて射手を見る。


『目じゃ! 目を狙え!』

 しかし、楓にメリュジーヌの声は聞こえない。バイコーンの二本の角が青白く光り始めた。再びあの電撃の魔法を使うつもりだろう。


「今井さん、目だ! 目を狙って!」

 慎一郎が叫ぶと、楓の矢の方向がほんの少しだけ動いたような気がした。


 次の瞬間、光がバイコーンの頭部を貫いた。楓の矢が命中するのと同時に、起動直前だったウマの魔法が暴走して術者自身の身体を焼き尽くす。


 ――ウォォォォォォォォォォォォォォォォン……!!


 ウマの身体から力が抜け、後ろに倒れていく。

 そのチャンスを見逃すはずがない。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

『それちゃぁぁぁぁぁぁ!』


 慎一郎の周囲に落ちていた彼の四本の〈エクスカリバーⅡ〉がふわりと四本とも浮き上がり、美しい曲線を描いて馬の腹を切り刻んだ。


 ――ヒヒィィィィィィィィィィィィィィィ…………ン……


 “午”の〈守護聖獣〉の断末魔だった。

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