馬耳東風3

「今井さん……?」

 自分の下で倒れている楓に呼びかけてみるが、何の反応もない。


 もしかして頭でも打って意識がないのかもしれないと彼女の身体を揺すってみる。

「今井さん、今井さん!」


「はっ!?」

 気がついたのか、楓は起き上がり、慌てて慎一郎から離れる。夕日が当たっているためか、その顔は赤いが、顔色を見る限り問題はなさそうだ。


「大丈夫?」

「だっ、大丈夫です! 大丈夫……」

 混乱しているのだろうか、楓は自分の腕を抱き、少しずつ慎一郎から離れていく。


『遊んでいる暇はないぞ。見よ!』

 メリュジーヌの指さす方を見ると、一度退散させたウマの群れがほこらの前へ集結して再び体勢を整えている。その背には騎兵が幻視できるほど秩序だった動きだ。

 そして、その中央にはあの黒いバイコーンが泰然と構えている。


「くそっ、あのデカブツをなんとかしないと……!」

 徹が歯噛みするのを合図としたかのように、ウマの群れが再び駆け出した。今度はあの黒いバイコーンが先頭だ。


 慎一郎は負傷した斉彬を見た。結希奈の回復魔法の光が斉彬の身体を包んでいるが、動けそうにない。


『奴の意識をこちらに向けるのじゃ。シンイチロウよ、そなたは囮となれ』

「わかった」


 メリュジーヌと軽く打ち合わせをする。慎一郎は近くの徹たちを見ると彼らは無言で頷いた。バイコーンを慎一郎が引きつけている間に徹たちが雑魚を始末する。


 慎一郎は徹たちから少し離れるようにすり足で移動していく。治療中の斉彬から離れるように。


「蔦よ!」

 徹の魔法が発動した。蔦の魔法は確実にウマの一匹を捕らえて転倒させる。そこにすかさず楓の矢が命中。一頭を倒した。


 しかしバイコーンに率いられるその他のウマは仲間が倒されることに全く気を取られることなく突進を続ける。


「させない!」

 こよりが地面に手を当てて呪文を唱えると、ウマの足元の地面が次々盛り上がる。それは飛び越すほどには高くなく、しかし無視して進めるほどには低くはなかった。

 何頭かのウマが足を取られて転倒。そこにも狙い違わず楓の矢が命中する。


「ヒュゥ。さっすがこよりさん。俺も負けてられないぜ。蔦よ!」

 徹の蔦とこよりのが次々ウマたちを転ばし、それらを楓が確実に仕留めていく。

 初めて組んだとは思えないほど見事なコンビネーションだった。


 しかし、それで雑魚は倒せても巨大で力強い“午”の〈守護聖獣〉――バイコーンには全く通用しなかった。

 黒い〈守護聖獣〉は蔦を引きちぎりを蹴散らし、一直線に徹たちの方へと向かっていく。その瞳は怒りに燃えていた。


 ゆえに、側方から飛んでくる剣に対しては全く無防備だった。


 巨大な馬の背に突き刺さっていた矢。そこをめがけて斬りつけた。慎一郎の不可視の手に握られた〈エクスカリバーⅡ〉である。

 魔法で作られたその手は魔力によって伸ばすことができる。今の慎一郎は五メートルほどまで伸ばすことができた。


 ――ヒヒィィィィィィィィィィィィィィィィン……!!


 弓道部の矢を跳ね返し、徹の蔦やこよりのをもろともしないバイコーンだったが、傷を抉られるとさすがに痛みを感じるようだ。黒い馬は立ち止まり竿立ちになって

 そして、その痛みをもたらした相手――慎一郎に向き直り、怒りの瞳を向けてくる。


「かかった!」

『くるぞ!』


 バイコーンが突進してくる。いつぞやの巨大イノシシよりも体つきこそ小さいものの数段速く、パワフルだ。あれを正面から受けたらただでは済まないだろう。


 ギリギリまで引きつけてから回避する。

 それだけを考えて慎一郎はウマの動きを注視する。

 ウマが衝突する寸前、慎一郎は横に大きく飛んだ。ウマと目が合ったように思えた。

 ウマが慎一郎の横をすれ違っていく。


 その瞬間、バイコーンの後ろ足が大きく跳ね上げられた。

「……!!」

 咄嗟に両手に持った〈エクスカリバーⅡ〉でそれを受け止める。


 重くて速い一撃。

「ぐっ……!」

 しかしその衝撃は凄まじく、痺れる両手から剣を落とさないようにするので精一杯だった。


『息をついている暇はない。来るぞ!』

 慎一郎が顔を上げると、通り過ぎたバイコーンが大きく円を描いてこちらを向き、再び突進を始めていた。

 完全に慎一郎だけをターゲットに定めたようだ。


 頭を下げて鋭い角をこちらに向けて走ってくる様は猛牛のように見えたが、そのスピードは牛の比ではない。

 慎一郎は先ほどと同じく、だが先ほどよりも大きなステップでウマの突撃を回避する。


 ――かと思われた。


「…………!!」

 余裕を持って回避したはずのバイコーンの二本の角が目の前に迫ってくる。


「うぐっ……!」

 ギリギリで身体をひねり、致命傷こそ免れたが、角が脇腹をかすめ、慎一郎は大きく吹き飛ばされる。


「慎一郎!」

 雑魚のウマたちを処理していた徹たちがこちらに駆け寄ろうとするのを手を振って押さえる。少なくとも雑魚を処理するまでは一人でこのバイコーンを押さえなければならない。

 それが、囮の役割だ。


『ええい、しつこい奴じゃ。とどめを刺そうというのか!』

 メリュジーヌの声に頭を上げると、バイコーンは再び慎一郎に向かって突進してくる。

 今度はその巨大な足で踏み潰すつもりか。あれに踏まれてはただでは済まない。


「くそっ……」

 バイコーンの動きをよく見て、ぎりぎりのタイミングで回避。

 しかし、バイコーンの強烈な体当たりが慎一郎に命中した。


 吹き飛ばされながらもなんとか踏みとどまる。バイコーンはすでに次の攻撃のためにこちらに向かってきている。転倒してしまったらもう回避できない。


「…………!」

 今度は先ほどよりも大きく回避した。


 しかしウマの体当たりは回避できない。またしても大きく吹き飛ばされる。

「うわっ!」

 そうして更に数度の体当たりを受けた。慎一郎がいくら避けてもウマはそれにあわせて軌道を変えてくる。


 そして再びの攻撃。そう何度も持ちこたえられるものではない。慎一郎の身体にはダメージが蓄積して、立っているのもやっとという状況だ。


「あいつ、もしかして……」

 これまでのウマの動きから、慎一郎は仮説を立てた。


 ウマが突撃してくれる。先ほどよりは少し早めのタイミングで慎一郎は右へと飛んだ。その動きに合わせてウマも軌道を変える。

 ――と、思わせておいてそれはそぶりだけで実際には左に飛んだ。フェイントだ。

 ウマはその想定外の動きについて行くことはできなかった。そのまま向きを変えた方向に突き進んでいった。


 やはり、あいつはこちらの動きを見て巧みに攻撃の軌道を変えている。しかしフェイントに対応できるほどの素早さはない。あの巨体だから当然だ。


 慎一郎の考えは当たっていた。それが彼に油断をもたらしたと言って誰が彼を責められるだろう?


『避けろ!』

「……?」

 次の瞬間、バイコーンの角が青白く光ったかと思うと、慎一郎の全身が痛みに包まれた。


「ぐはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」


 全身の力が抜けて地面に倒れ込む。慎一郎の身体の各所からは煙が立ちこめていた。

 そのまま目の前が暗くなっていく――

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