混沌の迷宮4

 〈光球〉の魔法があるとはいえ、その灯りが照らすのは足元のみで、先々までは全く見えない。まるで、魔法の光は漆黒の闇にすべて吸い込まれてしまっているようにも感じる。


「おーい、野田さーん。いますかぁ?」

 足を滑らせたのは合唱部二年の野田という女子生徒だ。合唱部は女子が八人、男子が三人のハーレム状態だ。常々徹はうらやましいと思っていたが、当の男子生徒に言わせるとそうでもないらしい。


(なんで周りに女子がたくさんいる環境で嬉しくないんだよ……)

 徹には全く理解できなかった。


 そのまま〈光球〉の明かりを頼りに先に進む。一寸先は闇とはまさにこのことで、今目の前に誰かが立っていてもわからないのではないかと思えるほどだ。


『徹、異常はないか?』

 慎一郎からの念話に軽い調子で答える。


「なんもなし。暗闇の中、〈光球〉ちゃんと二人っきり。このままデートを再開する」


『トオルよ』

「なんだよジーヌ。俺がいなくて寂しいのか?」

『たわけが』


 それでメリュジーヌからの話は途切れてしまった。何か用事があったんじゃないのかと聞き返そうとしたときに、再びメリュジーヌから〈念話〉が届いた。


『滑落したのならば、真下付近に落ちた跡が残っておらんか? それを探してみよ』

「あー、確かにそれもそうだ。一旦戻ってみる」

 メリュジーヌの指摘に従ってロープを頼りに最初に降り立った付近まで戻った。


「落ちてきた衝撃で転がっていったのか……」

『何かわかった?』

 今度は結希奈だ。この〈念話〉は〈竜王部〉の全員と繋がっている。


「ああ。どうやら野田さんは落ちた後、その勢いで奥の方まで転がっていったらしい。奥は少し下り坂になってるから、そっちに落ちていったんだろう。もう少し進んでみる」

『気をつけろよ』

「わかってますって、斉彬さん」


 徹は〈光球〉をもう一つ作りだした。最初のひとつはこれまでと同じように周囲を照らし、新しい方は前方に飛ばして何かないか確認する。

 本当はもう一つ作りたい所だったが、これ以上作るといざというときの魔法のキャパシティがなくなってしまいそうで怖いのでやめておいた。


 しばらく進んだところで、奇妙な形の岩が〈光球〉の光に浮かんできた。


「いや、岩じゃないぞ……!」

『どうした。徹? 何か見つけたか?』

「慎一郎か? ああ、見つけた。けど、ヤバいぞ、これ」


『何か問題があったのか? トオルよ、そなたが二次遭難をするのが一番まずい。問題があるのなら一旦戻れ』

「いや、ジーヌ。そうも言ってられない状況だぜ。このままだと野田さんが……危ない!」


『なんじゃと!? トオル、一体何が起こった? 報告せい! トオルよ!』

 〈念話〉でメリュジーヌが何かをわめいているようだったが、徹にはそんな余裕はなくなっていた。


 目の前の岩のようなもの――人の形をした糸でぐるぐる巻きにされた何か――の上に陣取っている人の頭ほどもある大きなクモがその口から粘液を飛ばしてきた。


「くそっ!」

 徹はすかさずそれを横っ飛びでかわす。しかし、徹の腰に結びつけられていた縄が彼の身体を引っ張り邪魔をする。


「ぐっ……!」

 じゅう、という嫌な音がした。左のくるぶしに激しい痛みが走る。


「やばい、やばいやばいやばい……やばい!」

 徹は慌てて自分の身体にくくりつけてあった縄を外し、更に横へ飛んだ。その直後にクモの粘液がたった今徹がいたところに飛んだ。土が燃える匂い。


 自分の〈副脳〉が無事なことを確認すると、そこにインストールしてある攻撃魔法を選択。無詠唱で発動する。


「炎よ!」


 徹の手のひらから炎の玉が続けざまに射出される。炎は狙い違わずクモに命中した。クモは糸でぐるぐる巻きにされた何かから吹っ飛び、地面の上で燃えた。


「大丈夫か!?」

 徹は糸で巻かれたそれに駆け寄ると、頭とおぼしき部分に指を入れて力任せにちぎった。


 それは思ったよりも簡単にちぎれ、その中には思った通りのものがあった。


 髪を後ろでまとめた女子生徒の顔。彼女は目を閉じたまま、徹に抱きかかえられても身動きひとつしない。

「野田さん、野田さん!」

 身体を揺すってみたり、頬をぺちぺちと叩いてみるが返事はない。呼吸はしているので命に別状はなさそうだが、意識がないようだ。


「慎一郎、聞こえるか?」

 額に手を当てて慎一郎に呼びかけるが、応答がない。いつの間にか〈念話〉が切れてしまったようだ。


「くそ、やっぱり魔法の同時起動キャパオーバーか」

 〈光球〉二個に〈火球〉を無詠唱で、その他にも常時起動している魔法がいくつかあるせいで〈念話〉が自動的にシャットダウンされてしまったらしい。


 〈光球〉をひとつ消して、再び慎一郎に〈念話〉をかける。コールひとつで出た。

『徹、無事か!?』

「悪い、接続切れたの気づかなかった。こっちは無事だ。あと、野田さんは発見した」


 慎一郎と話をしつつ、クモの糸で縛られている野田を見る。

 彼女は目を固く閉じて起きる気配がない。


「うーん……。起こして連れて行く、ってわけにはいかなそうだな」

 そう独りごちて、野田を横抱きに持ち上げる。


「う、ううっ……お、重……く、ないぞ! 女の子はみんなお姫様だ。これくらい軽い軽い」

 震えながらなんとか野田を横抱きにする徹に〈念話〉が繋ぎっぱなしだった慎一郎が話しかけた。


『どうした徹? 何か問題でも?』

「いや、大丈夫だ。これから野田さんを連れて戻……る……」

『徹? どうした? 徹?』


 徹はカサカサという何かが這い回るような音が周りで――周囲のあらゆる方向からしていることに気がついた。

 やがて、その音の主が〈光球〉に照らされて明らかになる。先ほどのクモが、辺り一面に群がっており、徹を取り囲んでいる。


「悪い、慎一郎。また〈念話〉の接続が切れるかもしれない」

 言って、徹は再び先ほどの魔法を〈副脳〉からセットしようとして、やめた。


(まずいな……。この数だと〈火球ファイアーボール〉じゃ焼け石に水だ。どうする……?)


 注意深くあたりを見渡すが、相変わらずあたりは一面の闇だ。

(闇……? 待てよ……? 確かジーヌを驚かすのにインストールしてあったはず……。あった!)


 そうしている間にもクモはじりじりとにじり寄ってくる。すでに〈光球〉の照らす範囲内はすべてクモで埋め尽くされていると言っても過言ではない。

 しかし、徹には勝算があった。彼はにやりと笑うと〈副脳〉にインストールしてあった魔法をひとつ選択すると、高らかに魔法の起動を宣言する。


「光よ!!」


 瞬間、永遠の暗闇がそこだけ昼間になったかのようなまばゆい閃光があたりを照らす。

 徹の〈閃光〉の魔法だ。


 あまりの光量に驚いたクモたちが文字通り蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「今だ!」

 その隙を突いて糸に包まれた女子生徒を抱えた徹は一目散に逃げ出した。




「へへっ。前になんかの番組で見たんだよな。ずっと暗いところにいた生物は光に弱いって」

 少し走ったところでひと息ついた徹はそう独りごちた。


 その時、徹の脳内に呼び出し音が鳴った。慎一郎からの〈念話〉だ。

『徹、何か光ったみたいだけど、大丈夫か?』

「慎一郎か。ちょっとモンスターの群れに取り囲まれたが、なんとか撒いた。大丈夫だ」

『わかった。すぐに戻ってきてくれ。ロープの場所はわかるな? 引っ張り上げるぞ』

「あ……」


『どうした? まさか……』

「そのまさかだ……」


 野田を見つけたり、モンスターに取り囲まれたりしてすっかり忘れていたが――

「悪い、今どこにいるか自分でもわからない」

『お前なぁ……』

 慎一郎の呆れ声が聞こえてくるが、どうもその声は深刻ではなさそうだ。


『栗山くん、聞こえる?』

 女子の声だ。この声は確か――

「こよりさん? 何かいいアイデアあるの?」


『今からレムちゃんにたいまつを持たせてロープづたいに下ろすわ。それを目印にロープを探して』

「おお、さすがはこよりさん!」

 まるで斉彬が言いそうなことを言ってじっと暗闇の中で目を凝らす。


 暗闇に慣れていたおかげで、そこに浮かび上がる点のようなたいまつの光はよく見えた。

「おお、見えた見えた。すぐ行きますね」

 そう彼女に告げて光の方に進んでいった。


 ロープはすぐに見つかった。抱いていた野田を一旦地面に下ろした徹はロープの先端でたいまつを持っているレムちゃんに「ありがとな」と頭を撫で、ロープを自分の身体に結び始めた。


「…………ん? うわっ!?」

『徹? どうした? 徹?』

「む、虫だ! うわわっ!」


 徹があたりにまとわりついてきた蛾のような小さな昆虫の群れを手で払いのけるが、虫は意に介することなく彼の周りに集まってくる。おそらくは、〈光球〉に集まってきているのだろうが、これを消すわけにも行かない。まだロープを結んでいないからだ。


「このっ、この! ……くそう、ならばこうだ。光よ!! ……うわっ!」

 徹の頭上で〈閃光〉の魔法が炸裂した。しかし、その光は術者自身である徹の目も照らしてしまった。目の前がちかちかする。


「くそっ、やらかした……」

 しかし、その甲斐もあって徹の視野が戻った頃にあたりを確認してみると、小さな蛾はすべてが周りでひっくり返って気絶していた。




 助け出された少女はその身体を縛り付けているクモの糸を丁寧に取り払われた後、結希奈の回復魔法でクモの麻痺毒を浄化されるとうっすらと目を開いた。


 まだ意識がもうろうとしているようだが、命に別状はないようだ。念のために辻先生に診てもらうといいと結希奈が告げると、野田は薄く微笑んだ。


「ありがとう、ありがとう!」

 徹を呼んだ合唱部の女子生徒平井さんが涙を流して徹にお礼を言った。野田先輩は彼女が合唱を志したきっかけにもなった人らしく、普通の先輩後輩の関係以上に徹に恩を感じたらしい。


 合唱部は部室に残していた部員に連絡して、〈転移〉の魔法で帰っていった。外崎姫子が入部するまで帰還の方法がなかった〈竜王部〉とは違い、用意周到である。


『うむ、一件落着じゃな。それでは、今日の探索を再開するとしようか』

 メリュジーヌの声に導かれるように、部員達は探索を再開した。

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