牛の歩みも千里2

 はしごを登ってからここまで、脇道はいくつかあったが、足跡は道なりに進んでいた。それは緩やかなカーブを曲がったあと、大きな部屋へと続いていった。

 そこは体育館くらいの大きさだろうか。剣術部の新しい部室がある“ひょうたん池”の地下ほどの広さはないが、それ以外だと最大級の大きさの部屋だ。


 ここへ至るまでの通路よりもさらに明るい光が差しており、そのおかげか地面は芝生のような下草でびっしり覆われている。


 ――ンモォォォォォォ……。


 その草をゆっくりと食んでいる茶色いウシが数匹。まるで牧場のようなのどかな風景がそこには広がっていた。


「こりゃあ……」

 そう声を出したのは徹だったが、そこにいる誰もがあっけにとられていた。


『ここで弁当を食えば、さぞかし美味いじゃろう』

「お前なぁ……」

 先ほどまでの緊張感はどこへやら、メリュジーヌが暢気なことを言い始めた。呆れる慎一郎だが、どうやら胃袋はメリュジーヌの味方だったようだ。「くぅ」とお腹が鳴った。


『ふっふっふ……。口ではそう言っておっても、身体は正直なようじゃのう』

「お前、どこでそんな言葉覚えたんだよ……」


「ちょうどいい時間だし、お昼にしようか」

『でかした!』

 結希奈が下草の上に荷物を置き、ビニールシートを広げようとしたときだった。


 ドドドドドドドドドド……ゴツン、ゴツン。


 腹に響くような重低音と、かすかであるが地面が揺れる感触。時々何かにぶつかるような激しい音。


「メリュジーヌ……」

『うむ、わしも嫌な予感がするぞ』

 嫌でもあの巨大イノシシに轢かれかけたときのことを思い出す。

 部員達は昼食の準備をやめ、一カ所に固まって周囲を警戒する。その間も音はどんどん大きくなってくる。


「あそこだ、見ろ!」

 徹が指さした先には、慎一郎達が入ってきたのと同じような通路に繋がっているであろう穴があった。この部屋の壁にはそんな穴がいくつも開いている。その方向には穴はひとつしかないが、とりわけ大きな穴が空いている。


 一同がそちらを見るとその大きな穴から一頭のウシが飛び出してきた。足元の草を蹴り上げ、一直線に、猛烈な勢いでこちらに向かってくる。


「まずい、逃げるぞ!」

 斉彬が叫んだ。全員が今やってきた通路に飛び込んだ。


 次の瞬間、ズガン! という音と、身体が浮き上がるほどの衝撃が襲いかかる。牛がこちらが逃げ込んだ通路横の壁に激突したのだ。その衝撃で全員転倒してしまった。


 慎一郎は咄嗟に剣を抜き、襲いかかってくるであろうウシのモンスターに対して反撃しようと構える。

 先ほどのものよりは幾分小さいが、それでも大きな衝撃が立て続けに、ズガン、ズガンと押し寄せる。ウシは先ほどと同じように通路の横の壁に突進している。


 しかし、そのウシのモンスターが慎一郎達のいる通路に入ってくる気配はなかった。通路はそのウシ――他のウシよりふたまわりほど大きい――が入れるサイズであるにもかかわらず、だ。


「どうして入ってこないのかしら……?」

 こよりのその疑問に答えられる者はここにはいなかった。




 しばらくするとウシが頭をぶつけてくる断続的な衝撃は収まった。諦めたのかと思い、通路から部屋に顔を出してみると、部屋の中央に陣取った巨大ウシがやはり猛烈な勢いで襲いかかってきた。しかし通路に逃げるとウシはそれ以上追っては来ない。


 『どうやら、あのウシの縄張りはあそこまでのようじゃのう。む、この和え物はいつもと違う味付けじゃ。これも悪くない』

 慎一郎に弁当を食べさせながらあのモンスターに関する考察を続けるメリュジーヌ。


 すると、それまで部屋の中で暢気に草を食んでいたウシのうちの一頭、やや小ぶりな個体がゆっくりと慎一郎たちがいる通路の中へと入ってきた。


 慌てて弁当を片付けて臨戦態勢を取る。しかし、ウシはそんな人間のことが見えているのかいないのか、我関せずといった感じで悠然と通路を歩いている。

 何事もなく慎一郎達の横を通り過ぎると、通路の奥の方へ去って行ったかと思いきや、五分ほどでまた戻ってきて部屋の中に戻っていった。

 そしてまた大広間の中で草を食んでいる。


「な、何だあれ……?」

「多分、この通路はあのウシの縄張りなんじゃないかしら……」


 こよりの仮説によると、この通路の耕したように見える土は昔は部屋の中のように草が生えていて、それを食べ尽くしたウシがそれぞれの縄張りの通路からあの大広間に集まってきたのではないかということだった。


『通路の草を食べ尽くしたら部屋に集まり、通路の草がまた生えたらそれぞれの縄張りの通路に移動して部屋の草がなくならないようにする。ううむ、ウシのくせに意外と賢いのう』


「それで、どうするんだよ? あのデカいウシ、倒すんだろう?」

 徹の提案に結希奈も賛同する。

「そうね。あのウシもうち――〈竜海神社〉ゆかりのモンスターなんだろうけど、他のモンスターと一緒であんな風に足を踏み入れただけで襲いかかってくるようなら退治しないわけにもいかないじゃない」


「けどよぉ、部屋に顔を出した瞬間に襲いかかられるんじゃ、戦いを始める前に撤退だぜ」

 斉彬の言うことももっともだ。部屋に入ってこちらが体勢を整える前に巨大ウシが襲いかかってくるのだから、戦いにならない。


『保留じゃな。まだ他の道もあったろう? そこを探索すれば何か打開策が見つかるかもしれん』

 結局、メリュジーヌの提案通り、しばらくは今日発見した通路の分かれ道を優先で探索することになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る