薬草の王5

                        聖歴2026年7月2日(木)


 斉彬の風邪は翌日には完治したが、部員達の疲労が溜まっていることもあって三日間の休息を取ることになった。これは意外にも生徒会長からの指示であった。

「あいつ、結構いろんな所に気が回る男だぞ」

 とは、生徒会役員で生徒会長の友人でもある斉彬の弁である。


 そんなわけで四日ぶりの迷宮探索。今日は軽めに探索を行って切り上げるはずだった。

 の、であるが……。




「浅村、行ったぞ! 任せた!」

「え……!? うわっ! 痛っ! 噛まれた!」

「結希奈ちゃん、また鞄の中に入ってきてる!」

「えええっ!? うわっ、待ちなさい! この、この!」

『絶対に逃がすな! ひとかけらたりとも与えてはならん! シンイチロウ、何をしておる。追え! 取り戻せ!』

「そんなこと言っても……! いてててて……!」

 地下迷宮を悲鳴と怒声が響き渡る。地面を覆い尽くすほどのアリ。


 ことの始まりは昼食時である。


 いつものように地下迷宮内で結希奈の作った弁当を広げたとき。このとき自体はすでに進行していたのであった。


 今日は徹が剣術部に顔を出しているため、探索に同行していない。そのため、いつもは行っていた魔物よけの結界をしていなかった。そんなときに一匹のアリを見かけたと思ったら、気づいたら辺り一面をアリの大群が覆い尽くしていたのだった。


 このアリにはすでに何度か遭遇している。基本的に行列を作り、迷宮内を歩いているだけで無害であると思われていた。最初に出会ったときのように行列を分断しなければ襲われることもなく、今日も普通に見逃していた。


 だが、甘かった。


 いつものようにアリは慎一郎達の脇を通り抜けて進んでいくだけかと思われたが、その矛先は〈竜王部〉――正確には彼らの目の前で広げられている結希奈の弁当――に向けられた。

 まるで黒い絨毯のようなアリの大群が瞬く間に弁当に群がり、おかずだろうとご飯だろうとお構いなしに強奪していく。

 それに激怒したのがメリュジーヌである。


『竜王の逆鱗に触れるとは、根絶やしにしてくれる!』

 などと今まで見たこともないレベルで怒りだした。弁当を取られたことで激怒する竜王はどうかと思うが、そんなことを考えている間もなく四方八方から弁当を狙って突撃してくるアリたちはひとつ、またひとつおかずを持ち去っていく。


 その様子に慎一郎達はなすすべもない。

 すでに弁当箱だけでなく、結希奈の鞄の中にもアリがぎっしりと覆い尽くしており、鞄の中の弁当箱ごと持ち去っていこうとしている。


『何をしておる! 奪い返せ!』

 メリュジーヌが檄を飛ばすが、部員達の身体にもアリが昇ってきており、目や口に入らないようにするので精一杯だ。アリの対処どころではない。


「うわっ、いてっ……!」

「ひぃぃぃぃぃ~」

「いや、やめて! 下着は……!」

 アリは高校生達の悲鳴に構ってはくれない。アリたちが白い布のようなものを持ち去っていくのが見えたような気がしたが、きっと気のせいだろう。




 地獄のような数分間が過ぎ、アリが立ち去った後、弁当箱と、結希奈の鞄は跡形もなく持ち去られていた。


「し、死ぬかと思った……」

「仕方ないわ。弁当箱も鞄もまだ予備があるし、今日は諦めましょう……」

 結希奈の提案に慎一郎達は賛成した。アリに全身を這われてまだ昼にもかかわらず疲労困憊だ。

 「わかったわ」とこよりが部室で待機している――この時間は炉で剣を打っているかもしれない――姫子に〈念話〉をしようと額に指を当てた。


 その時――


『何をたわけたことを言っておるか! 追うぞ!』

 ただ一人、疲労とは無縁のメリュジーヌが宣言した。


「いや追うぞって言ったって、アリから弁当を取り戻して食うのか?」

 さすがにそれは嫌だぞ、と斉彬が言った。他の皆も同意見だ。


『たわけが』

 メリュジーヌは近くの岩場にひょいと飛び乗り、皆を見下ろすように――それでも背の高い斉彬や慎一郎より頭は下なのだが――続ける。


『食べ物を粗末にするな――とはさすがにここでは言わぬ。わしもアリに取られた食べ物を取り戻して食うほど落ちぶれておらぬつもりじゃ』

 取り戻せと言っていたのは誰だったろうかと、慎一郎は心の中で反論した。言葉に出すほど慎一郎も愚かではない。


『じゃが、このわしが、この竜王が、たかがアリごときに糧食を奪われ、黙って見過ごす訳にはいかぬ。断じていかぬ!』

 メリュジーヌは右手をぐっ、と胸元で力強く握りしめ、続けた。


『ゆえにわしと、仲間であるそなたらはあのアリを殲滅せねばならぬ……!』

 徹がここにいれば「食い物の恨みは恐ろしい」とでも言いそうだが、生憎とここに彼はいない。それが惨事の始まりでもあったのだが。


「けどよぉ……」

 不満顔は斉彬だ。

「その……なんつーか、えらい竜王サマが、たかがアリごときにムキになるってのもどうかと思うんだが……」


 斉彬の顔にはでかでかと“面倒くさい”と描かれていたが、彼は彼なりに一生懸命オブラートに包んで言ったのだろう。慎一郎も結希奈も気持ちは同じだ。だが――


「ううん、ジーヌちゃんの言うとおりだよ!」


 まさかのメリュジーヌに賛同する人物が現れた。こよりである。こよりは鼻息も荒く、少し顔を赤くしてまくし立てる。その手はどういうわけか自分の尻に当てられている。

「ジーヌちゃん、傷ついてるじゃない! わたしはジーヌちゃんに協力してあげたいな」


『おお……! さすがはコヨリじゃ。話がわかる!』

「オレも賛成だ! 行くぞ浅村、高橋! アリ退治だ!」

 全員の注目が一斉に斉彬に集まる。十秒前と言っていることが正反対の斉彬に。


 当の斉彬はそんなことには全く気づかず、上機嫌で取り落としていた愛剣〈デュランダル〉を拾い、ぶんぶん振り回している。




「〈探知サーチ〉……!」

 こよりの呪文が完成すると、彼女が触れていたゴーレムが一瞬だけ淡く輝く。ゴーレムにアリが残していった匂いを探すよう、機能を追加したのだ。


 ゴーレムはしばらく辺りをうろうろしていたが、やがてアリが去って行った方向に歩き出した。


『よし、行くぞ。いざアリ退治じゃ!』

 メリュジーヌの号令のもと、一行はアリの追跡を開始した。




 アリの巣は意外にも近かった。ゴーレムの後をついて行き、曲がりくねった道を五分ほど進むと、地面の上にこんもりと軟らかな土が五十センチくらいの高さで盛られており、その頂上に拳ほどの大きさの穴が空いている。


「よーし。追い詰めたぞ。一匹残らず叩きのめしてやる」

 斉彬は腕まくりをして腕をぐるぐると回す。やる気十分だ。


「で……。どうやってアリをここからおびき出すんだ?」

 言いながら斉彬が〈デュランダル〉をアリの巣の中にこじ入れようとしたので、それは止めた。アリが〈デュランダル〉に大惨事になるのは目に見えている。


「そりゃ……アリの巣駆除っていえば、水攻めじゃないかしら。巣に水を入れるの。って、な、何よ!」

 思わず顔に出てしまったようだ。結希奈が慎一郎を睨んでいる。


「いや……そういうの、よく思いつくなって」

「違うって! ほら、うちって庭が広いじゃない? アリには昔から悩まされてるのよ……」

 結希奈はあたふたと恥ずかしそうに「言うんじゃなかった」とぶつぶつ言っていたが、そのアイデアは慎一郎にはありがたかった。


「いや、ありがたいよ。提案してくれてありがとう」

「わ、わかればいいのよ。わかれば……」

 結希奈の顔はまだ赤かったが、納得はしてくれたようだ。


「それじゃ……。こよりさん、水の魔法とか使えませんか?」

 いつもならこういうのは徹に頼むところだが、今日は生憎といない。代わりと言っては何だが、こよりならば水を出す魔法くらい知っていそうだと指名した。


「え……? でも、水入れちゃったら取られたものまで水浸しになっちゃんうんじゃ……ないかな?」


『コヨリよ……。さすがのわしでもアリの巣に持ち帰られたものを食うほど落ちぶれてはおらぬぞ。シンイチロウがどうしてもと言っても不可じゃ』

「言わないって……」


「そ、そう? それじゃ……」

 こよりはまだ何か言いたげだったが、蟻塚に手を当てて呪文を唱え始めた。そして――


「水よ!」


 慎一郎はてっきり火の魔法のように手のひらから水が出るのかと思ったが、どうもそうではないらしい。こよりの説明によると、周囲の土壌から水を集めてきて任意の場所、方向へ流す魔法だそうだ。もとは災害対策用に開発された魔法だという。


 しばらくの間、何も起こっていないように思われたが、やがて水が流れ込んでいく音が聞こえだした。


 やがて、一匹のアリが巣穴から現れた。


『出たぞ! やれ! 竜王メリュジーヌの弁当を奪った罪深さを思い知らせてやるのじゃ!』

 メリュジーヌが叫ぶ。やっぱり食べ物の恨みだったかと思いつつも、慎一郎はこよりを後ろに下げ、出てきたアリに攻撃する。


 一匹、また一匹とアリを倒していく、数が揃うと厄介だが、一匹一匹はたいした脅威ではない。穴から出てくる順にアリを倒す。


 そうして数匹を倒した時だった。


「ねえ、なんか揺れてない?」

 最初に気づいたのは後ろでアリ退治の様子を見ていた結希奈だ。「そういえば……」とこよりも続く。


 その次の瞬間、地面から盛り上がっていた蟻塚が崩れた――というより吹き飛ばされたと同時に、小さな穴を突き破るように大量のアリが巣穴から飛び出した!


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 周囲はたちまち阿鼻叫喚に包まれた。アリが穴を突き破るように出てくるので穴は広がり、出てくるアリの数がますます増える。

 アリは巣穴から出ると、その目の前にいる人間達こそが自分の巣を水攻めにした相手だと瞬時に理解し、一斉に襲いかかる。


「た、退却! 退却!」

 慎一郎の号令で、一行は一目散に逃げ出した。せめてもの足止めにとこよりが待機させていたゴーレムを突撃させたが、数の暴力により一瞬で破壊された。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 全力で走るが、怒り狂うアリたちとの差は一向に広がらない。はぐれたら一大事と、先頭を走る結希奈に置いて行かれないよう全力で走るが、もはやどこをどう走っているのか全くわからない。


「きゃっ……!」

 こよりが足下の石に足を取られて転倒した。


「こよりさん!」

 すかさず斉彬がこよりの前に立った。アリの群れが押し寄せてくる。


「くそぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」

 斉彬はめちゃくちゃに剣を振り回す。それによって何体かのアリが吹き飛ばされたが、焼け石に水でしかない。


『やむを得ん。加勢するぞ!』

「わかってる!」

 慎一郎も結希奈も引き返して斉彬に加勢した。


 しかし、どれほどアリを倒しても次から次へとやってくる。次第に押し込まれ、四人はアリの群れに飲み込まれていく。


「きゃぁぁぁ……っ!」

「こよりさん……!」

「ごめん……おれが水を入れようなんて言い出さなきゃ……」

「そんなことない! それを言うなら最初に言い出したのはあたしだから……!」

『諦めるな。諦めたらすべて終わりじゃ……』

 それぞれの声がだんだん小さくなっていく。このまま切り刻まれて、アリの餌になってしまうのだろうか……。


 そんな覚悟をした時だった。

『……?』

 慎一郎達の身体を覆い尽くすアリの群れは、まるで水が引くように彼らの身体の上からどいていった。


「何? 何が起こった?」

 慎一郎が立ち上がり、逃げてきた方を見ると、地下迷宮のある場所にまるで線を引いたかのようにそれ以上アリがやってこない境界が存在する。その線は徐々に後退しているようだ。アリ達はじり、じりと少しずつ後ろに下がっている。


『何か……匂わぬか?』

 確かに、何か臭う。甘いような、喉元に粘り着くような、そんな匂い。


 そうしている間にもアリ達は少しずつ下がっていく。そして、気がつくと当たりを煙が充満していた。


「何これ!? 煙? もしかして、どこかで火事が起こってるんじゃ?」

 結希奈が不安そうに辺りを見回した。空気はアリの巣の反対方向――前方から流れてきている。アリ達はこれを避けるように後退しているようだ。


「今のうちに外崎とのさきに連絡して脱出しようぜ。こよりさん、連絡を……!」

 しかし、斉彬の言葉にこよりは無反応だ。目を見開き、驚いたような表情で何かを思い出そうとしている。


「この匂い……どこかで……。しかも最近……」

 匂いは記憶に直結しているという。こよりの頭に浮かぶのは封印後、自分が帰るべき場所として結希奈から借りている高橋家内の自分の部屋。質素だが寝心地の良いベッド、棚に置かれた錬金術の器具……。


 それだけではない。部屋の隅に整然と並べられた香木、窓際に置かれた植木鉢……。

「ゴラちゃん!」


 こよりは振り向いて叫んだ。あの匂いは間違いなくゴラちゃんが“おみやげ”としてこよりの部屋に持ち込んだ香木の匂いだ。

 地下迷宮の通路の向こう、少し山なりになっている頂上の部分に立っていたのは、黄色い花を三輪咲かせた二本の根で立つマンドラゴラ――ゴラちゃんであった。


 ゴラちゃんは両手に持った火のついた香木を高々と掲げると、勢いよくアリの群れへと投げ込んだ。

 アリの群れは香木が飛んでくるとそこから逃げるように下がっていく。香木が落ちると、そこから一定の距離をおいて近づいてこない。


 ゴラちゃんがこよりの靴下を引っ張り、くい、くいとついてくるよう、ジェスチャーで伝えた。


「みんな、こっち!」

 こよりに続いて皆がゴラちゃんの後を追いかけるように走った。アリが追いかけてくる様子はなかった。

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