薬草の王4

 ゴラちゃんはこよりにとてもよくなついていた。晴れた日の朝はともにランニングをして、こよりが神社にいるときはいつもあとをついて回っていた。さすがに風呂とトイレに入ってこようとしたときは驚いたが、それも言って聞かさればちゃんと理解してくれた。


 夜中、こよりが寝ている間に布団の中に入り込み、朝起きたら布団の中が泥だらけになっていたときはさすがに閉口したが、それも二度目は無かった。


 こよりが昼間、地下迷宮に行っているときはどこかに出かけているらしい。

 それが何故わかるかというと、ゴラちゃんは必ず“おみやげ”を持ち帰ってくるからだ。最初に“おみやげ”を持ち帰ったとき、こよりは飛び上がるほど驚いた。地下迷宮から帰ってみれば、ベッドの上が色とりどりの花でぎっしりと埋め尽くされていたからだ。


 その後もゴラちゃんは様々な“おみやげ”を持ち帰ってはこよりを時に楽しませ、時に困らせた。ベッドだけでなく部屋中が花だらけになった事もあったし、えも知れぬいい香りを放つ香木を持ち帰ってきたこともあった。北高のどこにこんなものがあるのだろうと不思議に思っていた。


 そんなこよりにとって驚きと困惑と、何より笑顔をもたらしてくれたゴラちゃんとの日々が始まってから一週間が経過した。




                       聖歴2026年6月11日(木)


「そっちに行ったぞ! 浅村、任せる!」

「わかりました、斉彬先輩!」

 正面に回り込んできた敵を冷静に処理する。


 地下迷宮内、通路の真ん中で遭遇した、こぶしほどの大きさもあるアリのモンスター。一体一体はたいしたことのないモンスターだが、数が問題だ。

 一ヶ月ほど前に遭遇したネズミのモンスターと戦ったときと状況はよく似ている。通路をぎっしり埋め尽くさんばかりのアリのモンスターの群れ。いつの間にか前後を挟まれてしまっている。


「炎の柱よ!」

 時折、徹の魔法がアリの群れに炸裂してアリを燃やすが、焼け石に水とはこのことだ。後から後からアリが押し寄せてくる。


「竜海の森を守る竜よ……」

 結希奈の祝詞と共に、普段とは異なる青色の光が一団を包み込む。防御力を高め、体力も回復する彼女オリジナルの魔法だ。このおかげでかれこれ二十分にも及ぶ戦いになるが、前後でパーティを守る慎一郎にも斉彬にも疲労の影は見当たらない。

 しかし――


「……!?」

 結希奈は最初、すぐ隣にいるこよりが自分の頭を撫でたのかと思った。どうしてこんな時に……。しかし、それはこよりの手ではなかった。

 頭の上でカサカサと動く細い物体……それはアリの足だった。


「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!!!」

 結希奈の絶叫が地下迷宮にこだまする。それは何者にも怯むことなく襲いかかってくるアリでさえ一瞬動きを止めたほどの大絶叫だ。


「い、いや……! アリ、アリアリアリアリ……アリぃ……!」

 気づかぬ間にびっしりと天井を埋め尽くすアリが結希奈の頭上から次々と落下してきた。冷静さを失った結希奈は取り乱し、一行を包んでいた加護が消え、彼女は正面で戦っていた慎一郎に抱きついた。大混乱である。


「え……!? ちょ、ちょっと高橋さん……! そんなにくっつかれたら……!」

「いやぁ……! とって、取って取って取ってぇぇぇぇぇ……!」

『ええい、ユキナ、落ち着かんか! ……! シンイチロウ、前じゃ!』


 メリュジーヌの警告が飛ぶが、慎一郎は動かない。いや、動けない。恐慌状態になった結希奈にがっしりと抱きつかれて全く動けないのだ。どちらかというと小柄な結希奈のどこにこんな力があったというのか。背に感じる柔らかい感触も慎一郎の動きを鈍らせていた。

 それまで二十分にわたって保ち続けていた均衡が破られるのは一瞬だった。


『いかん。急所を守るのじゃ……。伏せろ!』

 メリュジーヌの指示に徹と斉彬がとっさに地面に伏せる。慎一郎は恐慌状態の結希奈を何とか引き剥がして抱きかかえるように伏せた。


 しかし、こよりは何かを見ているのかいないのか、前をぼーっと見ているまま伏せようとしない。アリの大群がこよりめがけて殺到してくる。


「こよりさん……!」

「えっ……?」

 斉彬がこよりに飛びかかった。そのまま斉彬はこよりを庇うように地面に押し倒した。直後、アリの群れが斉彬の背中の上を通過していった。


「ひぃぃぃぃぃぃぃ」

 そんな情けない悲鳴を上げたのは徹だ。しかし自分の上を何百何千という脚が這いずり回っているというのに悲鳴を上げないほうがおかしい。

 永遠とも思われた背中の上のアリの行進はやがて終焉を迎えた。どうやらアリたちは慎一郎達に危害を加えるつもりはなく、分断された群れを統合しようとしていただけだったようだ。




「ごめん……」

 恐慌状態から立ち直った結希奈は神妙な顔つきだ。


『まあ仕方あるまい。頭上からアリが大量に落ちてくればわしでも取り乱しかねん』

 メリュジーヌはそう結希奈を慰めたが、慎一郎はメリュジーヌにそんなかわいげがあるだろうと疑問に思った。


『それよりも、じゃ……』

 メリュジーヌの映像がつかつかと通路を歩いて行く、そこにはまだこよりを抱きかかえて伏せている斉彬。


『いつまでやっておるか!』

 ぽかっ。と、彼女に肉体があればそんな音がしそうな風に、メリュジーヌは斉彬を殴るしぐさをした。しかしメリュジーヌには生憎と肉体はない。


「いやぁ、あまりにも幸せで、つい……」

 頭を掻きながら斉彬はこよりから離れて立ち上がった。


「うわぁ、斉彬さんサイテー」

「ちょっと待ってくれよ高橋! そんな汚物を見るような目で見ないでくれ!」

「ああ、それ結希奈のデフォルトだから」

「ちょっと栗山! どういう意味よそれ!」

 地下迷宮が笑いに包まれる。落ち込んでいた結希奈もいつもの調子に戻ったようで、慎一郎もほっとした。


 しかし、いつもの調子に戻っていない部員が一人いた。こよりである。


 斉彬がどいたあともその場から立ち上がることなく、地べたに座り込んで呆けたようにここではないどこかを見つめている。


「こよりさん、こよりさん……!」

 心配になった斉彬がこよりの肩を揺すった。押し倒したときにどこか怪我をしたのではないかと危惧したのだ。


「あ、あれ……? 斉彬くん……?」

 びっくりした表情のこよりは、まるで今初めて気がついたような様子である。


『どうしたのじゃコヨリよ。今日のそなたはおかしいぞ。先ほどの戦いの際にも何度言ってもゴーレムは出さぬ。その前もずっとわしが注意しておったのを覚えておるまい?』

「え? そうだったの? ごめんね、ジーヌちゃん……」

 こよりはしゅんとうなだれてしまったので、メリュジーヌもそれ以上の追求はやめたようだ。


「本当に大丈夫、こよりちゃん?」

 結希奈が心配そうにこよりの隣りにやってきて、肩を抱き寄せる。

「うん。本当に大丈夫だから。心配してくれてありがとう」

 そういうこよりの笑顔に、いつもの元気はないのであった。




「ただいま……」

 結局、こよりの様子がおかしいということで、その日の探索は早めに打ち切りになった。

 心配のあまり家まで送っていこうとする斉彬を結希奈が追い払い、〈竜海神社〉内の高橋家を間借りしている自分の部屋まで帰ってきたこより。


「はぁ……」

 知らず知らずのうちにため息が出る。


 窓際に置かれた植木鉢は月の明かりに照らされていて青白く輝いている。しかし、そこに本来収まっているべき黄色い花は見当たらない。


「ゴラちゃん、もう帰ってこないのかな……」

 こよりが“ゴラちゃん”と名付けたマンドラゴラは昨日の夜からこよりの部屋に戻ってきていなかった。


 毎日“おみやげ”で埋め尽くされていた部屋は、一週間前の女の子の部屋にしては少し地味な部屋に戻っていた。


「こんなに寂しかったっけ、あたしの部屋」

 こよりの言葉に答えてくれる存在はこの部屋にはいない。

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