竜海神社のご神体6
木々の間に木造の建物が見えてきた。古い木造建築物だが、それは古くさいという感じは全くなく、荘厳と言うにふさわしいたたずまいだ。漆塗りの赤い柱と、ところどころに施してある竜の彫刻がこの神社の歴史を物語っている。
「今タオル持ってくるからちょっと待ってて」
結希奈は神社の建物ではない、見るからに高橋家個人の家と思われる建物の玄関の中に傘を置いて入っていった。慎一郎は玄関の中で待たされる。奥から「
結希奈の家は古くてしっかりしたつくりのまさに名家という呼び方にふさわしい家だ。静かなたたずまいで、玄関先にいるだけでも厳かな気持ちになる。雨音がさらに静かな雰囲気を演出しているのも見過ごせない。鉄筋コンクリート造りの慎一郎の自宅マンションとは何もかもが違う。
「自宅か……」
両親はどうしているだろうか。きっと心配しているだろう。
封印されてから一ヶ月半、ひたすら前を見て走り続けていたせいもあるし、仲間達と一緒だったこともあってかあまり考えていなかったが、よく考えてみれば一ヶ月以上も家に帰っていないことなどこれまで一度もなかった。
改めて一大事なのだと思い知る。
「おまたせ。はいこれ」
奥から結希奈がタオルを持って戻ってきた。彼女自身も髪を拭いてきたのか、少し水気を含んでいる髪は地下迷宮内で湯上がりの姿を見たときのことを思い出させる。
そして何より慎一郎の目を引いたのは――
「私服……」
「ああ、これ? 制服は濡れちゃったからね」
白いブラウスにピンクの少し長めのスカート。全体的に明るめの色で、制服姿とも巫女姿とも異なる年相応の健康的な魅力を演出していた。
「そ、そう……。よく似合うよ」
顔が赤くなるのを自覚していたが、そう言わなければ失礼になると思った。それくらい似合っている。
結希奈の顔を見るのが恥ずかしかったので、そのままタオルを頭からかぶり、乱暴にわしゃわしゃと髪を拭いた。
「ようこそ、お越し下さいました」
廊下の奥の方から声がした。タオルの間からのぞき込むと、結希奈が週末に着ているのと同じ巫女装束に身を包んだ女性が歩いてくるのが見えた。
見た目から判断すると二十歳くらいだろうか、切れ長の目だが、全体的に柔和な印象を持つその女性は、短く切りそろえた髪が非常によく似合う美人だ。しずしずと歩くその姿は背が高くてすらりとした体型とも相まって清楚というほかに形容しようがなく、神に仕える巫女とはこういうものだろうと思わせる。
「お茶をお持ちしました」
巫女姿の女性はどうぞ、と身をかがめて持ってきたお盆から茶碗を取り出して慎一郎に勧める。
「巽さんよ」
結希奈が女性の紹介をした。
「昔からうちの神社でお手伝いをしてもらっているの」
「巽です。以後お見知りおきを」
巽と呼ばれた女性がしずしずと頭を下げる。その姿があまりに様になっているので慎一郎も慌てて頭を下げた。
「浅村慎一郎です。その、高橋さんとは部活が一緒で……」
「結希奈さんからよく聞いてますよ、浅村さん」
こう言ってにっこりと微笑む。慎一郎も思わず釣られて笑ってしまった。
「何ニヤついてるのよ」
隣で結希奈が小声で突っ込んできたので「ニヤついてなんて……」と反論したが、結希奈は全く聞く耳持たずといった状態だった。
「冷める前にどうぞ。粗茶ですが」
巽がお茶を勧めてきたので、遠慮なく湯飲みを手に取って口を付けた。
「あちちっ!」
熱かった。
「もう、何やってるのよ。気をつけなさいね」
結希奈が床に少しこぼしてしまったお茶を吹いてくれた。慎一郎は今度はちゃんと冷ましてからお茶を飲んだ。
「ふう……」
知らず息が漏れるほど心地良いお茶だ。雨で冷え切った身体の中を温かいお茶が満たしていくのがわかる。冷たくて縮こまっていた身体が解きほぐされるようだ。
「おいしいです」
素直な感想が出た。巽はにっこりと笑って、「良かったです」と微笑んだ。
「それじゃ、行こうか」
慎一郎がお茶を飲み終わるのを待ってから結希奈が立ち上がった。いよいよ竜海神社のご神体との対面である。
高橋家と神社の本殿は渡り廊下で接続されているらしいが、今日は外から回っていくことにした。同級生の女子の家に上がり込むのは何だか気が引けたからだ。もちろん、巽からの「風呂に入って身体を温めていっては」との申し出も断った。後者に関しては結希奈も猛反対だったのであるが。
仕事があるという巽と別れ、ここに来たときと同じように結希奈と二人、神社の境内を歩いて行く。さっきと違うのは結希奈の服装くらいだ。
この家には住み込みで働いている巽のほか、父親と妹が住んでいるらしいが、幸か不幸か、父親と妹は封印時に外出しており不在だったらしい。そのため、最初は神社の仕事が回るか不安だった(結希奈は迷宮探索もしなければならなかった)が、今ではここで寝泊まりしている女子生徒達が持ち回りで神社の仕事を手伝ってくれるのでずいぶん楽になったらしい。
そんな話をしているうちに本殿にたどり着いた。傘の水を払い、靴を脱いで結希奈と共に中に入っていく。
そこは薄暗く、ひんやりとしており、厳粛な気持ちになる。神様がここにいるというのにも納得できそうな雰囲気だ。
静かな本殿の中を結希奈の後ろについて歩いて行く。先ほどとは違って無言でも気まずい雰囲気がないのはこの厳粛な雰囲気のおかげだろうか。
「ここで待ってて」
来客スペースのようなやや広めの部屋に通されると、結希奈はそう言い残してさらに奥へと歩いて行った。
そこは広い部屋に大きめの机がひとつ置かれているだけの部屋で、部屋の隅には給湯スペースがある。
特にすることもないので窓から外を眺めてみた。
そこからは神社の境内は見えず、ただ竜海の森の木々が広がっているだけだ。雨はまだ降り続いている。
そのままぼんやりと外を眺めていると背後から足音がした。振り返ると、結希奈が木の盆のようなものを持ち、部屋に入ってくるところだった。盆には白い布がかぶせられており、そこに何が置かれているかはわからない。よく見ると、結希奈は白い手袋をしていた。それほど大切なもののようだ。
結希奈が盆を机の上に置いて腰掛けたので、慎一郎はその正面の席に座った。
「うちのご神体は“竜の尻尾”。ご先祖様が“鬼”を封印したときに力を貸してくれた竜の尾の先と言われているわ」
結希奈が盆にかぶせられた白い布を取ると、そこには、干からびた、人間の手首ほどの大きさのチューブのようなものが置いてあった。
「メリュジーヌ」
『起きておる』
慎一郎がメリュジーヌを起こそうとしたが、彼女はすでに起きていた。巫女姿のメリュジーヌの映像が現れ、竜海神社のご神体をじっと食い入るように見ている。
「なにかわかる?」
『ううむ……』
結希奈の問いかけにも答えず、難しい顔でご神体を見るメリュジーヌ。
そして――
『わからぬ』
「は!?」
思わず大声が出た。結希奈も、
「わからないって、どういうこと? ジーヌならこれ見て何かわかるかもって思ってたのに……」
『そうは言ってものぉ。何度も言っておるが、ドラゴンの時ならともかく、今のわしは人間並みの能力しか持たん。お主らとて、何かの骨を見せられて人間の骨かどうか判断せいと言われても困るじゃろ?』
「まあ、確かに……」
「それもそうね」
これには納得せざるを得ない。
『もっとも、わしももうちょっと何かわかると思ったんじゃが、今のわしは思ったよりも役立たずのようじゃ』
メリュジーヌの肩が少し下がっているように見えた。
「高橋さん、他に竜に関するものはないの?」
「うーん……」
結希奈は頭をひねって考えるが、結局何も思い出せなかった。
結局、この日の竜海神社訪問は空振りに終わり、こよりの立てた“巨大モンスター干支説”の検証も未完に終わったのであった。
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