犬馬の養い2
聖歴2026年6月17日(水)
明け方、思わぬ寒さに目が覚めた。身体がぶるりと震える。この季節、さすがに明け方は寝袋なしでは寒いか。
「まさか、コボルト村で二泊もするとはね……」
そうごちるが返事はない。メリュジーヌはまだ眠っている。寝たいときに寝て起きたいときに起きる。自分の身体を持たないメリュジーヌは気楽な生活をおくっている。
「う……うぅ~ん」
大きく伸びをする。地面の上で直接寝ていたせいで縮こまっていた身体の節々が伸ばされて気持ちいい。
「……雨?」
頬を濡らす雨粒に手を当てながらつぶやいた。
慌てて近くで寝ている徹と斉彬を起こし、手早く荷物をまとめてコボルト達から借りている小屋へと避難した。
「あっちゃー、本格的に降ってきたな」
徹が眠い目を擦りながら言った。封印後、外から全く情報は入ってきていないが、時期的にはもう梅雨入りしていてもおかしくはない頃だ。これからこんな天気が続くのだろう。
「おい、あれゴンじゃないか?」
斉彬が指さす方を見る。コボルト達の区別はあまりつかないが、確かにあの服は昨日ゴンが着ていたもののようにも見える。雨の中ゴンは大きな荷物を背負い、愛用の槍を持って足早にどこかへ向かうところだった。
「ゴン!」
斉彬の声にゴンが気づくと、コボルトの戦士長は尻尾を振りながら嬉しそうにこちらに駆け寄ってきた。
「おはようっす。皆々様、お早いっすね」
「お前もな、ゴン。ところで、そんなに荷物を抱えて、どこに行くんだ?」
斉彬の疑問ももっともだ。まだ夜も明けきっていないこんな朝早くに一人で大荷物。昨日の大騒ぎだ。他のコボルト達は深い眠りの中で誰一人起きてきてはいない。
「いやー。ちょっと、前の村を見てこようかと思ってるっすよ」
ゴンは後ろ頭を掻きつつそう言った。何やら見られたくないものを見られたような、そんな照れくさそうな表情をしている。
「前の村……?」
慎一郎が訊いた。確かに気にはなっていた。このコボルト村は家も畑も真新しい。それは、巨大イノシシの被害に遭って再建中だからだと思っていたのだが、村自体ができて間もないということではないのだろうか。
「へぇ、実は……」
ゴンの話によると、コボルト達はもとはもう少し西の迷宮の中で〈犬神様〉と呼ばれるコボルト達が崇め奉る存在と暮らしていたという。
コボルト達は〈犬神様〉の加護の元、豊かで平和に暮らしていたのだが、およそ一ヶ月前に事態は急変する。
〈犬神様〉が突然乱心し、コボルト達を襲い始めたというのだ。
それだけならばコボルト達は何か神の怒りに触れたのだと受け入れるしかなかったろうが、ただの獣に成り果て、目に止まるものすべてを破壊しようとする狂乱の神にコボルト達はやむなく前の村を捨て、ここに移り住んだのだという。
「一ヶ月前か……」
「やっぱ、気になるよな」
慎一郎の呟きに徹も同意を示す。一ヶ月前と言えば北高が封印された頃と時期が重なる。
「よし、じゃあオレ達も行くとしようぜ、その昔の村とやらへよ」
同じ事を考えたのだろう。斉彬がこちらに向けて親指を立てる。徹はこめかみに指を当てて〈念話〉をしている。おそらく結希奈かこよりに連絡をしているのだろう。
「そんな! 悪いっすよ! これはおいら達の問題で……」
そのゴンの言葉を遮るように背後から声がした。
「かたいこと言いっこなしよ、ゴンちゃん。あたしたち、仲間じゃないの。ねえ、こよりちゃん」
「ええ。それに、どっちにしろ迷宮の探索はしなきゃいけないんだから、道に詳しいゴンちゃんがいてくれた方が心強いわ」
徹が開けた〈
「どうした? 早く荷物まとめろよ」
いつの間に準備したのか、いつもの学校指定の鞄と〈副脳〉の入ったケースを持ち、明るく笑う徹。
「姐さん……栗山殿……」
ゴンはうつむき、身体を細かく震わせている。時々屋根の下の土間がぽつぽつと濡れているのは決して雨のせいではないだろうが、それを指摘する者は誰もいない。
「恩に着るっす! このゴン、皆々様の舎弟となるっす! 一生ついて行くっす!」
がばりと地面に身を投げ、見事な土下座を再び見せる。
「よーし、ならパン買ってこい!」
斉彬の声にゴンが顔を上げる。
「ぱ……パンっすか……? い、今すぐ!」
立ち上がり、駆けだしていきそうなゴンを皆で慌てて止める。もちろん冗談だ。
『なぬ、パンじゃと!?』
今起きたのだろう、メリュジーヌの寝ぼけたような声に一同は笑い声を上げた。
「それじゃあ、行くか」
『いや、待て……!』
慎一郎の号令をメリュジーヌが遮った。
その声は緊迫している。またモンスターが……! と思ったが――
『その前に朝飯じゃ』
思わずずっこけるが、その直後にくぅ~というかわいらしい音が聞こえてきた。
「さ、賛成~」
結希奈が顔を赤くしつつも手を挙げ、出立の前の朝食が採択された。
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