謎の地下迷宮

謎の地下迷宮1

                       聖歴2026年4月22日(水)


 翌日、慎一郎は市民病院にいた。


 自分の〈副脳〉に竜王メリュジーヌを名乗る少女が現れたという事態をどう両親に説明しようかと頭を悩ませていた慎一郎であったが、それは意外にもあっさり解決した。

 〈念話〉を通じて自分から姿を出したメリュジーヌがファミレスの時よりもわかりやすく説明してくれたからだ。


 おっとりしていて何でも受け入れる傾向のある母親はともかく、役所勤めで堅物のイメージがあった父親が簡単に納得してくれたのは意外というよりも、助かったという感情の方が大きい。


 そしてその父親の勧めで今日は学校を休み、朝から市民病院で検査を受けている、というわけだ。




 人口四十万人の都市の市民病院にしては大きめのそこには、脳神経外科が存在していた。ここは〈副脳〉のトラブル関連について相談に乗ってくれる。中学生以上の生徒には健康診断の時におなじみだ。


 白く塗られた壁にリノリウムの床の建物の一室。やや小さめの机の上には医学書が乱雑に積み重なっていた。壁は白く発光するようになっており、写真を貼り付けられるようになっている。白いカーテンの奥にははやり白いシーツのベッドが置かれているが、今は誰も使っていない。


 保健室みたいだな、と慎一郎は思った。ここは市民病院内の診察室。ひと通りの検査を終え、担当医師の話を聞いているところだ。

 机に向かって何事か書いている医師は書き物を終え、こちらを振り返る。


「〈副脳〉に別人格が入り込むなどということは前代未聞ですが――」

 と、前置きした上でカルテを見ながら語り出す。五十歳くらいの頭のはげた、眼鏡の医師だ。


「確かに、〈副脳〉は何らかの未知の術式によって埋め尽くされているようです」

『じゃから、それがわしだと言っておるじゃろうが』


 しかし、医師はその言葉には反応せずに話を続ける。この医師とは〈念話番号〉の交換をしていないので、メリュジーヌの声が聞こえていないのだ。


「しかし検査の結果、浅村君本人の脳にはその術式は展開されていないようです。今のところは問題ないと言ってもいいでしょう。頭痛や悪寒などの症状も現在は治まっているようですし」


 と、そこまで言ったところでカルテから顔を上げて慎一郎を見る。

「それでどうします? この〈副脳〉を破棄して新しい〈副脳〉を作るという手もありますが……。もっとも、〈副脳〉が実用段階にまで生育するまで十年かかりますが」


『なんじゃと!? それは困る! ええい、シンイチロウ、なんとかせい!』

 メリュジーヌは医師の襟を掴み、がくがくと揺らしているが、それはもちろん医師には伝わっていない。


「い、いえ……。さすがに十年も〈副脳〉なしで生活するのはキツいので……。それに、新しい〈副脳〉を作るとなるとお金の問題もあるので両親と相談しないと……」


 現代社会の基本を支える〈副脳〉はもはや欠かすことのできない魔法道具である。これがないと最小限の魔法も使えず、生活に大きな支障を来すのは間違いない。

 交通事故などで〈副脳〉を失ってしまった人たちのためにさまざまな社会保障が用意されているが、十五歳の高校生にそれを自ら捨て去るという選択肢は存在しない。


「わかりました。では、しばらく経過観察ということで。一ヶ月に一回いらしてください。それ以外にも何か不調があったりしたらいつでも来て下さい」

「はい、ありがとうございます」


『ふぅ、助かった……』




 ありがとうございます、と部屋を出るときもう一度頭を下げ、診察室から待合室へと移動する。


『ふん、お主は金があればわしを捨てるのか』

 どうやら、メリュジーヌは先ほどの〈副脳〉を破棄する話についてまだおかんむりのようだ。


「そう言うなって。ただでさえおれの〈副脳〉に竜王がいるなんて信じていない風だったのに、メリュジーヌがいるから破棄なんてできませんなんて言ったらまたややこしいことになるよ……」


『まあいいじゃろう。わしは結果主義なのでな。結果的に今こうして無事なのであれば良い』


 隣で歩く銀髪の幼女がない胸を張る。その格好は昨日のシンプルなワンピースではなく、ややピンクがかったタイトスカートに頭には看護帽。今メリュジーヌはナースの格好をしているのだった。


 このメリュジーヌは慎一郎の脳内でのみ展開されている映像だから、服装は自在に変えられる。しかし何故この幼女がナース服を着ているのか、慎一郎にはさっぱり理解できない。


「で? どうしてナース服なんて着てるんだ?」

『む? これはこの時代の標準的な服装ではないのか? それ、そこの女もこっちの女も皆着ているではないか』


「ああ……あれはこの病院の人だからだよ。看護師ってわかるだろ? 看護師の制服」

『なるほど……。そういうわけじゃったか。まあ、これはこれでわし好みだし、しばらくはこのままでいよう』


 先ほどまでの不満顔はどこへやら、すっかり上機嫌で鼻歌まで歌っている。


『この時代の女達は実に様々な格好をしておる。わしも女として着飾らなければなるまい。シンイチロウ、お主の記憶には女の服装についての知見が驚くほど空っぽじゃったから、わしがみずから研究せねばならん』

「……わるかったな」


 慎一郎はおしゃれには無頓着な方だと自覚はしている。女子の服はもちろん、今自分が着ている私服だって親が買ってきた物を適当に組み合わせて着ているに過ぎない。今までの人生の中で自分で服を買った経験などない。


『それにしてもここには奇妙な道具が山のようにあるの。あの、穴蔵のような道具に首を突っ込んだときはまるでドラゴンに飲み込まれるようじゃった』

 そんな経験あるのかよ、自分もドラゴンのくせに……と思いつつ、説明してやる。


「あれは脳の断面を見る機械らしい。何でも、魔力を照射して特別な術式を用いて……仕組みはよくわからないけど、おれやメリュジーヌの脳に異常がないか、あれでわかるんだってさ」


『なんとも面妖な。わしは昨日からこの時代の魔法技術の進歩に驚きっぱなしじゃ。すでに人間の魔術はドラゴンも越えているかもしれんのぉ。六百年という時代の流れ、いや、人間のたゆまぬ努力には恐れ入る』

 しみじみというメリュジーヌ。


『特に、あの『れてび』とかいう道具は良い。あれがあればわしの威光を世界中に知らしめることなど造作もない』

「テレビ、な」


 メリュジーヌは特にテレビを気に入ったようで、昨夜からテレビにかじりついて離れようとしない。慎一郎が寝てからもずっとテレビを見ていたようで、脳の半分が起きていたせいか、全く寝たりないまま朝を迎えてしまった。




『次のニュースです。来日中のアメリカ連合王国統一王は、迎賓館にてミズチ殿下主催の晩餐会に出席し――』


 待合室のテレビはニュース番組を流している。時刻は午後三時。今から学校へ行ってももう終業だ。


『む? ミズチとは?』

 テレビの音声に反応したのはメリュジーヌだ。


「え? ミズチ殿下、知ってるの? ……って当たり前か。ミズチ殿下もドラゴンだからな」


 画面の中の端正な顔立ちをする青年を見ながら言う。画面で見る限り人間にしか見えないその青年は、本体を〈竜石〉と呼ばれる石に格納した日本を守護する〈竜人〉ミズチ殿下。日本では多くの人の敬意を受けている。


『そうか……日本はミズチの故郷じゃったな。あやつはわし直属の〈十剣じゅっけん〉の一番刀として、巨人どもとの戦いではなかなかの戦いをしてみせたのじゃ』

 懐かしそうに言うメリュジーヌ。もしかして、かつて肩を並べて戦った仲間が今は遠くに行ってしまったことに寂しさを覚えているのかもしれない。


『じゃが……』

 メリュジーヌは眉をひそめる。


『あれは本当にミズチか? どことは言えんが、わしの知るミズチとは何かが異なるような気もするが……』

「そうなのか? まあ、六百年前と今とじゃいくらドラゴンでも顔くらい変わるだろ」


 ドラゴンは永遠を生きる存在。人間の一生はもとより、六百年という人間にとって永遠に近い年月であっても一瞬といえるかもしれない。メリュジーヌだって三千歳を越えているという。〈聖歴〉という暦自体がメリュジーヌの竜王即位から始まっているからその歴史の長さも半端ない。


『うむ、そうかもしれんな。わしがこの時代に降臨したこと、ミズチを始め眷属にもいずれ伝えねばならん。シンイチロウよ、ミズチに会えるよう、手配をしておけ』

「え? えっと……どうすればいいんだろう。ははは……」

 ある意味総理大臣よりも遠い存在への無茶な要求に、乾いた笑いで返事をするしかない。


「浅村さん。浅村慎一郎さん」

「あ、はい。おれです」


 呼ばれたので会話を打ち切り、受付へと向かう。市民病院の外来受付は午前中のみなので、午後のこの時間、待合室には他に誰もいない。


「本日は検査のみですので、診療費はいりません。次回、一ヶ月後にお越しいただくことになりますが、先に予約を――」


 そんなこんなで検査は終わり、市民病院をあとにする。

 自動ドアから出て、駐車場を通って正門から外に出ようとしたときに、声を掛けられた。


「浅村慎一郎君、だよね?」

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