竜王メリュジーヌ5
結局、追加の山盛りポテトとペペロンチーノを頼むことになった。『メリュジーヌ』を名乗る幼女がだだをこね出して、どうにもならなくなったからだ。
「の割には誰もこっちを気にしてないようだけど……」
『今のわしは肉体を持たぬも同然じゃからの。その証拠にホラ、こうしてお主達とは〈念話〉で話をしている。お主達が今見ているわしの姿も〈念話〉を応用して出している映像に過ぎん』
「ああー、なるほど。この頭に直接話しかけてくる感じはそれか」
と、これは徹。
「お前、意外と適応力早いな。おれはまだ何が何だかさっぱり……」
そう言って慎一郎はフォークでペペロンチーノを巻いて口に入れる。
『むひょー! これも美味い! 何という美味さだ! わしはこんなに美味なものを食ったことがないぞ!』
「はははっ、ファミレスのメニューでそこまで喜ぶなんて、リーズナブルな幼女じゃないか」
そう言ってメリュジーヌの頭をぐりぐりしようとする徹だが、相手はただの映像。失敗して椅子の上でずっこける。
『むっ! わしは幼女などではないっ! こう見えても齢三千歳を越える竜の中の竜、竜王メリュジーヌじゃ!』
「メリュジーヌって、聞いたことあるなと思ったら、あの竜王メリュジーヌか」
竜王メリュジーヌ――かつて全世界の竜族を率いてヨーロッパ・アジア大陸から巨人族を駆逐した竜族の英雄にして竜の王。〈聖歴〉という暦は元々ドラゴンのもので、聖歴元年はメリュジーヌが竜王に即位した年であるとされる、世界史上の超重要人物――いやドラゴンだ。
六世紀頃から度々人里に現れ人間と交流、竜と人との間の和解に大いに貢献したが、およそ六百年前、十五世紀頃を境にその存在は歴史から忽然と消える。世界史のミステリーのひとつである。
平たく言えば、小学生でも知っている歴史上の超有名人だ。
「で、お嬢ちゃん。本当の名前は? 家はどこ? パパかママは?」
『むきーっ! わしを子供扱いするな! わしは正真正銘の竜の王、竜王メリュジーヌであるぞ!』
「いや、そう言われてもなあ……」
と、あきれ顔の慎一郎だが、その手は止まることなくペペロンチーノを口に運んでいる。
「慎一郎……。お前がそんなに食いしん坊だとは知らなかったが、それはこのお嬢ちゃんのために注文した料理だろ? ちょっとは自重しろよ」
「待ってくれよ! 体が勝手に動くんだよ! おれはもう腹いっぱいでこれ以上食いたくないんだ!」
『大丈夫じゃ。お主の味覚はわしにも伝わってきておる。お主が食えばわしも満足というわけじゃ』
「……は?」
『じゃから、わしの精神はそこの箱に入っている〈脳〉の中じゃ。その〈脳〉はお主の身体を肉体として認識しておるじゃろ?』
と、幼女は傍らに置いてあったヒヒイロカネ製のケース――〈副脳〉を指さす。
〈副脳〉は持ち主の脳のコピーであるから、当然、持ち主の身体を自分の肉体として認識する。視覚や聴覚、その他あらゆる感覚は『自分の肉体』から魔術回路経由で送られ、世界を認識する。だが――
「いやちょっと待ってくれよ。〈副脳〉に他人の意識が入り込むなんて話、聞いたことないぞ」
と、徹。
当たり前の話だ。2026年現在、〈副脳〉に人間の精神をインストールする手段は確立されていない。というか、そもそも『人間の精神が何か』ということさえ定義づけされていない。もっとも、そこまではただの高校生である徹や慎一郎が認識して話したわけではないが。
『入り込んだのではなく、召喚されたのじゃ』
「召喚?」
『そうじゃ、こやつ――シンイチロウというのか、この人間の雄……いや男子に、六百年前の世界から召喚されたのがこのわし、竜王メリュジーヌじゃ』
「お嬢ちゃん……〈召喚〉っていうのはだね、異世界から魔物を呼び寄せるんじゃなくて、魔力で素材を生き物のように固定して使役する魔術のことなんだよ。……小さいからまだわかんないかもしれないけど」
『じゃからわしを子供扱いするなと言っておろーに! わしの年齢はこの国よりも上じゃぞ!』
そう言いながら椅子の上でじたばたする銀髪の少女の姿はどう見ても子供でしかないわけだが。
『わしはこのシンイチロウに呼ばれて、六百年前の世界から時を渡り、こやつの〈副脳〉に精神のみの形で召喚された、そういうわけじゃ。わかったか?』
「いや、つじつまは合ってるし、女の子のいうことは無条件で信じることにしてるけど、こればっかりは……」
『なら信じればよいじゃろう。わしは正真正銘、竜王メリュジーヌじゃ』
「竜王メリュジーヌがこんなロリっ娘なんて聞いたことないぞ……」
徹はメリュジーヌに聞こえないように小さくつぶやいた。はずだったのだが――
『ロリではなーい!』
どうやらこの少女、地獄耳のようだ。慎一郎の耳を使っているはずなのだが。
「けど、今日の昼過ぎからどうも頭が重い気がするんだよな……」
と、これまで沈黙を守っていた慎一郎がつぶやいた。
「そういえばそんなこと言ってたな」
『普段二個の〈脳〉を使っていたのにその半分をわしが占有してしまったからの。頭の半分が使えなくなれば重くも感じるじゃろう』
「ということは君……仮にジーヌとでもしておこうか……」
『ジーヌとはわしのことか? ふむ……今までニックネームで呼ばれたことがなかったから新鮮じゃの』
「あれ、ダメだった?」
『いや、許可するぞ!』
「オッケー。じゃあ、ジーヌ。ジーヌは今日の昼から慎一郎の中にいるってこと?」
との徹の問いに、メリュジーヌはペペロンチーノを口に入れながら――使っているのは慎一郎の手と口だが――答えた。
『そうじゃ。昼過ぎに召喚が始まり、ついさっき召喚が終わった。なにせドラゴンの精神となると巨大じゃからの。意識と思考が働き始めるまで今までかかったというわけじゃ』
「昼過ぎに召喚……って、おれ、お前を召喚した覚えはないんだけど」
『そんなこち言われてもなぁ……。わしが聞いたのは確かにお主の声じゃったぞ、シンイチロウ』
「さっきから気楽に呼んでるけど、なんでおれの名前知ってるの?」
「そういえば……竜王メリュジーヌが日本語話してるのも変な話だよな」
徹が腕組みをしてうんうん唸る。歴史上のメリュジーヌは西ヨーロッパのドラゴンだ。ピレネー山脈にかつて居を構えていたが、現在のフランス・パリに下りてきて人々とともに暮らしたと中学時代の歴史で習った。
『それは簡単な話じゃ。わしの脳とシンイチロウの脳は――』
「いや、どっちもおれの脳だし」
『細かいことは気にするな。二つの脳はお互い魔術回路で接続されており、自由に記憶のやりとりが出来るわけじゃろ? つまり――』
「おれの脳から日本語を覚えたと?」
『そうじゃ。それだけでなくこの時代の常識とか人間関係とか、この時代の日本で生きていくには問題ない程度の知識はすでに備わっておる。お主の名前もじゃ、トオルよ』
「おぉ! それは嬉しいね、よろしくな、ジーヌ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! と、いうことは……」
突然慌て始める慎一郎。
『あ、大丈夫じゃ。知られて欲しくない奥底のことまではアクセスできん。せいぜい、お気に入りのエロサイトが――』
「わーっ、わーっ! 何言ってんだよ!」
「おっ、そのサイト、今度俺にも教えてくれよ」
「誰が教えるかよ!」
『きゃははははは! この時代は良いのぉ。争いもなく、子供がのびのびと勉学に励む。理想的な時代じゃ』
そう言いながら追加で運ばれてきたビザに慎一郎の手を伸ばし、慎一郎の口へと運ぶ。徹はドリンクのおかわりを取りに行った。
「どうでもいいけど、俺の手と口、使うのやめてくれない? 体が勝手に動くのって、気持ち悪いんだよ」
『ならシンイチロウ、お主が食え。わしはこの時代の食事が気に入った。六百年前とは比べものにならん。実に美味い!』
正直、もう腹はパンパンだったが、いうことを聞かないとまた勝手に手と口を使われそうなので、おとなしく従うことにする。
「で、ジーヌは何のためにこの二十一世紀の日本へやってきたわけ? まさか、飯を食いに?」
二人分のドリンクのおかわりを持ってきた徹がグラスをテーブルに置きつつ聞いた。「お、サンキュ」と慎一郎。
『そんなことは知らん。わしは呼ばれたから来ただけじゃ。おぉ、このドリンクはなんと言うんじゃ? これも美味じゃのぉ! しゅわしゅわした感覚が新鮮じゃ!』
「これはコーラって言うんだ。炭酸飲料だよ」
『コーラか! これは良い! トオル! もっとコーラをもってこい! それとおいそこの給仕! 追加じゃ! 肉を持って参れ!』
やれやれ、子供には勝てんと、肩をすくめながら徹はドリンクバーに舞い戻る。給仕――ウェイトレスにはメリュジーヌの〈念話〉が届かないので慎一郎が追加のオーダーを頼んでやる。
この日の放課後はいつも以上に賑やかな時間となったのであった。
「7150円になります」
「……!!」
「ま、まあ……オレも半分出すから、な」
「すまん……」
賑やかなのはファミレスでの時間だけでなく、支払いもであった。
ファミレスの前で徹と別れ、帰途につく。日は落ち、辺りはすっかり暗くなっている。市道を照らす街灯と、家路を急ぐのだろうか、様々な色形の自動車のヘッドライトがあたりを照らす。
取り敢えず、この状況をどう両親に説明するか……それを考えると頭が痛い。
『おぉ、あれはなんじゃ? 『牛丼』とは美味いのか?』
まずは頭の中で喋り続けるこの幼女を何とかしなければ……というか、基本的な常識は備わっているんじゃなかったのか? とメリュジーヌの説明に疑問を持つ慎一郎なのであった。
『アイス! アイスを食ってみたいぞ!』
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