竜と名のつく地で2

「それで今日は遅刻ギリギリだったってわけか。ちびってないか?」

「誰がだよ!」

「本当か? どれどれ、俺が直々に調査を……」

「馬鹿かお前は!」


 そんなやりとりに栗山徹くりやまとおるが屈託のない笑顔で笑う。


 クラスメイトの徹とは入学式での席がたまたま隣同士だったことから意気投合して、入学からまだ半月だというのにクラスで一番の友人と言っていいほどの関係だ。


 明るめに染めている髪からもわかるようにやや軽薄で、女の子が大好きという面もあるが、基本的に陽気で誰とでも親しくなれる、そんな奴だ。


 その時、始業の鐘が鳴った。しかし教科担任はまだ来ない。教室はまだ始業前の雰囲気だ。もちろん、慎一郎と徹のおしゃべりも止まらない。


「あっ、そうだ慎一郎。今日の放課後、暇か?」

 基本的に行動の主導権は徹だ。だいたい徹がプランニングをして、慎一郎がそれに付き合うという基本パターンができあがりつつある。


「暇だけど、どこか行くのか?」

「いや、そうじゃなくて……おっと、先生来た。この話はまたあとでな」

 扉が開いて教科担任がやってきた。今日の一限目は日本史か……


「教科書開け―。テキストの八ページ。竜の時代から始めるぞ。前回はヨーロッパ大陸で竜族が巨人族を駆逐して新大陸まで追い払った所までやったな。竜王メリュジーヌの活躍と戴冠からだ。栗山。二つ目の段落からだからだ。読んでみろ」

「えー、なんで俺なんですか!」

「今日が二十一日だからだ」

「いや、俺、出席番号二十一番じゃないし」

「いいから読め!」

「はいはい」

「はいは一回!」

「は~い」


 そのやりとりに教室が爆笑に包まれる。お調子者の徹らしい一幕だ。

 そんな感じでまだ少し新鮮味の残る、だけど確実に日常になりつつある普段通りの一日が始まった。




「今日は最も簡単な召喚魔法である、風の精霊を呼び出すことにしましょう」


 二限目は隣のE組と合同で召喚魔法の授業だ。


 魔法。それは自然界において普遍的な法則に則り発現する現象をいう。


 自然現象はすべて魔法で説明できる。それらは種々の条件が整えば誰でも――人間の関与がなくても――全く同じ効果が得られる。着火は可燃物に炎の魔法が作用したものだし、引力は地球による引き寄せ魔法の結果である。


 そこから法則を学び取り、より体系的に、効率的にまとめて『技術』としたものを魔法技術――〈魔術〉と呼ぶ。魔術は現代社会を形作る上で欠かせないテクノロジーであり、魔法技術立国と言われるここ日本では当然のことながら小学校の頃から学ぶ必修の授業である。


 魔術実験室での授業は初めてだ。三つ分の教室をぶち抜き出作られている広い部屋で、窓と黒板の他は椅子も机もないが、壁には細かい魔法陣が描かれており、万一の時に暴走した魔法が外に飛び出ないような工夫がされている。


 とはいえ、今日は授業の初日。小学生でもできる基礎精霊の呼び出しにE組とF組の生徒達は早くも緊張の糸が緩んでいる。


「俺って実は召喚魔法、結構得意なんだぜ」

 そう言うのは同じ班になった徹だ。確かに、小柄な徹は剣術よりも魔術が得意そうな印象がある。

「もっとも、本当に得意なのは黒魔法なんだけどな」


 現在、魔術は黒魔法、白魔法、召喚魔法など、いくつかのカテゴリに分類されている。中でも黒魔法は特に発達しており、社会を支えるインフラはもちろん、生活のちょっとした便利な事柄まで、普段使用している魔法の大部分は黒魔法と言ってもいい。

 黒魔法は〈スクリプト〉と呼ばれる呪文を唱えることによって実現する魔法だ。その手軽さと応用範囲の広さから古代より魔術の中心とされている。


「よし、慎一郎。俺と勝負だ。どっちがデカい風精霊を呼び出すか、な。負けたら昼飯おごるんだぞ」

「おれはやらないって……」

 聞いているのかいないのか、徹は呪文を唱えて風の精霊を呼び出す。


「いでよ、風の精霊!」


 召喚魔法は別に異世界から生物を呼び出すわけではない。触媒と魔力、呪文を使って擬似的な使い魔を作り出す魔法だ。かつては異世界から呼んでいたと考えられていた名残で今でも召喚魔法と呼ばれる。

 呪文によって周囲の空気が集まり、風が巻き起こされる。それを固定し、使役することで……。


「ねえ、なんか大きくない?」

 徹の召喚をみていた同じ班の女子が騒ぎ始めた。確かに初級の精霊を呼び出すにしては風が強く、そして教室じゅうの空気が集まってきている。


「おい、お前まさか……!」

 慎一郎が叫ぶが集中しているのであろう、徹の耳には届かない。そして轟音とともに風が実体化して……。


「しまっ……!」

「きゃーっ!」


 教室に甲高い悲鳴が溢れる。徹が召喚に失敗して、風を教室じゅうにまき散らしたために女子のスカートが盛大にめくれ上がる。

 短いスカートの裾から見える白い肌、そしてその奥の――


「こらー! なにやってんの!」

 隣の班の女子のひとりが教科担任を連れてきた。担任は急いで無効化の呪文を唱え、すぐに風は収まった。


「初級の魔法って言ったでしょ。栗山君、放課後職員室ね」

 教科担任は教室の全員に聞こえるような大声で、「やり方を知っていても、失敗したら今のようになるから、ちゃんと言われたものを召喚すること。わかった?」と注意する。


 「はーい」とあんなことが起こったにもかかわらずどこか気の抜けた返事。高校生ともなればあの程度の魔法事故には慣れっこである。自転車で転びそうになった程度のトラブルでしかない。




「ちょっと」


 声を掛けられて振り向くと、そこには女子生徒がいた。短く切りそろえた黒髪にややつり上がった大きな瞳。気の強そうな女子生徒だ。そういえばさっき担任を連れてきたのはこの生徒だったなと慎一郎は思い出した。何度かみたことがある程度だから、おそらくE組の女子だろう。


 手を腰に当てていた女子生徒はその手を伸ばし、指先を慎一郎のとなりに立っていた徹に突きつける。びしっ! と音がしてきそうなほどだ。


「あんたね、言われたとおりにできないばかりか、失敗するなんて、何考えてるの? もうちょっと人の迷惑を考えなさいよ! 周りに女子だっているんだからね!」

 と、第一印象通りのキツい言葉を投げかけてくる。


「まあまあ、難いこと言いっこなしだよ、高橋さん」

 徹がヘラヘラとした口調で答える。普段から軽い感じの徹だが、女子を前にするとさらに軽くなり、その軽さは空気の比重以下になるとも言われている。


「な……なんであたしの名前知ってるのよ! 気持ち悪い!」


「え? そりゃあ、校内のかわいい女子の名前は全部チェックしてるからだよ。当たり前だよ、なあ?」

 と、何故かこちらに話を振ってくるので、「おれに聞くなよ」と突っぱねる。


「と、とにかく、気をつけなさいよね!」

 かかわると厄介だとでも思ったのだろうか、高橋と呼ばれた女子生徒は教室の反対側、E組の生徒が集まる方へと戻っていった。


「笑えばかわいいのになあ。いや、あれはあれで……」

 と、徹は本人が聞いたら間違いなくパンチが飛んできそうなことを言っている。


「あの、徹ちゃん……」


 そこには小柄な女子生徒が立っている。髪を後ろで二つしばりにしてるだけの、地味な印象の女子生徒だ。


「ん? ああ、瑞樹か」

 それまでのテンションの高さとはうって変わって徹はつまらなそうに返事をする。


「え、お前知り合いなの? 『徹ちゃん』?」

「まあな。こいつは岸瑞樹きしみずき。古い知り合い……っていうか、腐れ縁だ。で? なんの用?」


 他の女子に対する態度とは明らかに異なる反応。まるで思春期の少年が母親に接するときのそれだ。

「あ、あのね……。先生には私からも謝っておくから……だから、その……」

「いいってば。余計なことするなよ」

「でも……」

「いいから!」

「ひっ!」


 徹のらしくない大声に瑞樹と呼ばれた少女は肩をすくめる。それをみた徹はばつの悪いように頭を掻き、


「……悪い。けど、これは俺の問題だから。余計なことするなよ。わかったな?」

「う、うん……」

 納得のいかない表情をしていたが、瑞樹はクラスの女子に呼ばれて自分のグループの方へ戻っていった。


「いいのか?」

「……いいんだよ」

 それ以上の深入りはすべきでないと思い、その話は終わりにした。




「はいはい。それじゃあ、順番に見ていくから。先生の前で召喚してちょうだい」

 まだ多少のざわつきはあるが、授業は通常状態に戻った。北高はこれでも進学校である。自由な気風はあるが、生徒は基本真面目で、少しのトラブルがあっても授業を邪魔する生徒はいない。



 

「はい、おっけー。じゃあ、次は……浅村慎一郎君」

「はい」


 暗記している呪文を詠唱して風の精霊を呼ぶ術式を開始する。普段使いの魔法であれば〈副脳〉にあらかじめインストールしておいた〈スクリプト〉を使い、一瞬で魔法を行使するのだが、授業で〈スクリプト〉の使用は厳禁である。だから学生は真面目に呪文を唱えなければならない。それはつまり、呪文を覚えなければいけないということだ。呪文の暗記はいつの世も学生を苦しめる。


 〈副脳〉。それは近代錬金術の成果であり、現代の社会を支える上でなくてはならないモノである。〈副脳〉とは簡単に言えば脳のクローンであり、現代人第二の脳である。


 現代に生まれた子供は誕生とともに遺伝情報を採取され、〈副脳〉の培養を始められる。それは十数年の歳月を掛けて成長し、元の持ち主と魔術的に連結されてもう一つの脳として機能する。

 成長するのに十年強の歳月がかかるため、多くの子供は中学生になったら〈副脳〉を使い始める。中学生以上の人々が常に持ち歩いている人の頭ほどの大きさのプラスチックによく似た――実際は耐衝撃に優れたヒヒイロカネと呼ばれる素材だ――ケースを持ち歩いているが、それが〈副脳〉である。


 〈副脳〉は現代社会において欠かせないアイテムであり、様々な魔法の〈呪文〉が〈スクリプト〉として記憶されている。個人が魔法を起動させ続けるためには脳の容量が必要だが、基礎的なものならともかく、実践的な魔法を常時複数起動させていては日常生活が危うくなるレベルで脳を使用してしまうので、それらの〈スクリプト〉は副脳に代行させることが多い。


 本人と〈副脳〉は特別な魔術回路で接続されており、〈副脳〉を使用する際に特に意識することはない。

 複数の〈副脳〉を接続すればより大規模な魔法を使えることができるが、日常生活でそこまでの大規模魔法を必要とするシチュエーションはほとんどないし、〈副脳〉の培養やメンテナンスには結構手間がかかるので、警察や軍隊など、限られた職業の人たちが使うに限られている。


 人々は普段の生活において〈副脳〉を使い〈念話〉を行ったり、様々な情報を得たり、火や風を起こしたり、ときにはこれを使ったゲームなどで楽しんだりもする。


 基本的に高校までの授業で〈副脳〉を使った魔術の授業は存在しない。それはこれまでは基礎的な魔法のしくみを学ぶためだからであるが、〈副脳〉の持ち込み自体が禁止されている学校は少ない。それほど日常生活に浸透しているのだ。



 

「風の精霊よ!」

 慎一郎が呪文を完成させ、風の精霊を呼ぶ。


 空気が動き、それが風となる。風は慎一郎の目の前に集まり竜巻へとなっていく。それはただの竜巻からさらに意味あるものへと、風の精霊風の精霊へと姿を変え……ない?


「……?」

 風はそのまま消滅してしまった。もしかして失敗? こんな初級魔法で?


「いでよ、風の精霊!」

 何かの間違いだろうと、もう一度召喚してみるが、結果は同じ。


「うーん……。浅村君、失敗、と」

 まさか失敗するとは思っていなかったのだろう。教科担任も驚いたように結果をノートに記す。

「次の授業までに復習、しておきなさいね。じゃあ次」

 そう言い残して教科担任は次の生徒の召喚を見に行った。

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