嫌な出来事、夢にします

楠樹 暖

嫌な出来事、夢にします

 仕事で発注数を一桁多く注文してしまい、会社に大きな損失を与えてしまった。十二時までなら訂正ができたのだが、気がついたのは午後になってから。せめて午前中に気がついていれば……。上司からも長々と説教をくらい、私はかなり落ち込んでしまった。査定にも響くし散々だ。

 とぼとぼと夜の街を歩いていると私を呼び止める声に気がついた。

「そこの人、何か困ったことがありますね」

 占い師である。

「よかったら見てあげましょうか? 進むべき道が見えてきますよ」

 藁をもすがる気持ちで、私は占い師の前に座った。

「ふむ、何か失敗をして困った顔をしていますね。できれば、失敗をやり直したいと思っていませんか?」

「そんなことができれば是非そうしたいですよ。夢物語じゃあるまいし」

 占い師は怪しげな錠剤を私の前に差し出した。

「この薬を飲むと、今日一日の出来事がすべて夢だったことにできるのです」

「夢……。夜に見るあの夢ですか?」

「その通りです。夢から覚めたあなたは、朝目覚めて『あぁ、悪い夢を見た』と思うだけです。またその日、一日をやり直せばいいのです。まぁ、騙されたと思って一つお飲みください。御代は満足していただけたらで結構ですので」

 なぜか占い師の言葉には逆らえずに、私は薬を一粒飲み込んだ。

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「どうです? 何か変化が出てきませんか?」

「何か、自分が自分でないような、ふわふわした感じになってきました」

「成功ですね。家に帰ってぐっすりお眠りください。では、よい目覚めを」

 彼は家に帰ると、風呂にも入らずにベッドへと直行した。彼は願った。あの失敗が夢になっていますようにと。

 彼はいつものように目を覚ました。昨日の出来事はまるで夢のようだった。

「あの薬は効いているのか?」

 彼がテレビをつけるとニュースが流れていた。昨日見たのと同じ内容だ。新聞の日付を見ても昨日の日付だ。彼は喜んだ。これで、失敗をやり直せると。

 彼は急いで身支度をし、いつもより早めに出社した。彼は急いで発注内容を確認した。やはり一桁多く間違えている。彼は発注数を正しい数値に修正した。

「ふぅ、これで一安心だ。あの薬は本物だったんだ。占い師にはお礼を言わないと」

 仕事を終え、占い師のところへ行ったが、占い師は彼の顔を見て何も声を掛けない。

「あのう……昨日ここで……」

 占い師は最初きょとんとしていたが、はっと気がついた顔になった。

「あぁ、嫌な出来事を夢にする薬のお客さんですね。すみません、私にとっては、あなたは今日初めてお会いしたので……」

 彼は思った、昨日の出来事がすべて彼の夢だったのなら、お金を払わずに済ませることができたのではないかと。しかし、あの薬で彼が助かったのは事実であり、いくら感謝しても、し足りないくらいだ。

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 私は薬のお金を渡した。

「あなたが誠実な人でよかったです」

 占い師は微笑んだ。

「ところで、そろそろ薬を飲んで丸一日たったくらいじゃないですか?」

 言われてみると確かにそうだ。昨日(夢の中の昨日のことだが)もこのくらいの時間に私は薬を飲んだのだ。

「薬の効果は一日ですので」

 家に帰り、風呂に入ってから私はベッドへ潜り込んだ。すがすがしい気分だ。あの失敗の事を気にせずぐっすりと眠れる。私は深い眠りについた。

 目が覚めると新しい朝になっていた。私はすがすがしい気分のまま出社した。

 にこにこしながら仕事をしていると上司がやってきた。

「お前の減給が決まったよ」

「えっ? 何のことですか?」

「お前の発注ミスの件だよ。昨日の今日で忘れるなよ」

「えっ? あれは昨日の午前中に訂正したはずじゃ……」

「何、寝言を言ってるんだよ。寝ぼけているなら顔を洗ってこい!」

 えっ? えっ?

 嫌な出来事を夢にする薬は?

 やり直した方の昨日が夢だった?

 財布の中の減った紙幣の枚数は、占い師に払った薬代の現実を告げていた。


(了)

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嫌な出来事、夢にします 楠樹 暖 @kusunokidan

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