File50:イヴィル・カーミラ

 実際の時間は一秒にも満たない刹那。ヴラドとの取引・・を終えたカーミラの身体が変化・・を始める。


「く……グ……」


「……!? おい、ミラーカ? どうした、ミラーカ!?」


 突如苦しみ出したカーミラの様子に、セネムが訝しんで問い掛ける。ジェシカとシグリッドも唖然として彼女を見つめる。


 何故なら、彼女らの見ている前でカーミラの身体が急速に黒い剛毛に覆われ始めたからだ。そして白かった皮膜翼も漆黒に染まっていき、オーガによって穿たれていた傷も恐ろしい勢いで塞がっていく。


 そしてその目も瞳が無くなり赤黒い色をした球体に変わる。同時に彼女から発せられる魔力が爆発的に上昇した。



「お、おぉ……ミ、ミラーカ。君は……」


「……ふぅぅぅぅ。……細かい事を説明している時間は無いわ。一つ言えるのは、私は余り長くこの姿を続けていたくないという事だけ。私が活路を開くわ。皆は援護に徹して頂戴」


 不気味な悪魔じみた姿に変わったカーミラだが、前回と違い意識は彼女のままだった。前回は彼女が死に瀕していた為に、一時的にヴラドがその身体を操作・・して対応していたのだ。


 だが今回は彼女自身の意志でヴラドと取引を交わして力を貸してもらった。意識は自分のままという条件でだ。下手にヴラドが表に出てきて、セネム達とも敵対するような事態を避けたかったというのもある。


 ヴラドにとっては大した違いはないようで、あっさりと承諾された。そして現在に至る。



『ほぅ、それは……。結果として自分の首を絞める事になるのが解っていながら外法の力に頼るか。……それがお前の選択か』


 オーガが警戒しつつも、どこかカーミラを哀れむ口調になる。彼には彼女の力の正体が解っているようだ。だが関係ない。今彼女がやるべきは、この力を使って一刻も早く目の前の障害を排除する事だけだ。


「グゥォォォォォォォォッ!!!」


 その口からまるで野獣のような咆哮を上げて、カーミラは一直線にオーガに突撃する。先程までとは比較にならないスピードだ。


 オーガが迎撃に巨拳を撃ち込んでくる。迫力だけで気死しそうになるほどの拳打だが、今のカーミラはそこまでの脅威を感じない。その軌道を見切って最小限の動きで躱すと、そのままカウンターで刀を一閃させる。


『……!』



 ――赤黒い血が飛散した。



「おお……や、奴の身体にが……!」


 セネムが驚愕する。カーミラが斬り付けたオーガの脇腹部分に一筋の切り傷が走っていたのだ。今までどれだけ攻撃しても傷1つ付かなかった鋼鉄の肉体が、初めて切り裂かれた瞬間だった。


『おおぉぉぉっ!!』


 傷を負った事に怒ったのか、オーガが咆哮と共にカーミラに打ち掛かる。両の拳が凄まじい勢いで連打される。その一発でもセネム達が受けたら致命傷になりかねない剛撃だ。それが目にも留まらない速度で連続して撃ち出されるのだ。


 文字通りの死の弾幕にセネム達は震えるが、カーミラは些かも怯まず真っ向から連打を迎え撃つ。


 オーガの拳打を躱しつつ反撃の刃を煌めかせて、着実にオーガにダメージを与えている。だがオーガはどんな耐久力なのか全く連打の勢いを衰えさせる事無く、身体中から血を噴き出しながらも攻撃を続け、そして……


「あ……!!」


 遂に連打の勢いを捌き切れなくなったのか、カーミラがその内の一発をもらってしまう。巨大な拳がクリーンヒットしたカーミラは、まるで砲弾のような勢いで地面と並行に吹き飛び、岩壁に激しく衝突した。


 その衝撃で岩壁には大きな陥没と亀裂が走り、まるでこの洞窟全体が揺れているように震動した。


「グハッ!!」


 カーミラは激しく吐血した。たった一発受け損なっただけでコレだ。やはりこの化け物の力は桁違いだ。今のヴラドの力を借りた……言ってみれば『イヴィル形態』であっても尚、非常に厳しい強敵だ。


『ははは! どうした、ミラーカ!! お前が代償を払って得た力はそんな物か!』


「く……!」


 オーガが哄笑しながら地響きと共に突進してくる。カーミラは血反吐を飲み込みながらも強引に立て直し、オーガの巨体を迎え撃つ。





 そして再び始まる超常のせめぎ合い。オーガの肉体も傷が増えているが、ミラーカも最初より動きが鈍くなっている。あの一撃がかなり効いている様子だ。このままではミラーカが不利だ。


「……私達も行きましょう。ミラーカさんを援護するんです」


 その様子を見て取ったシグリッドが、呆然と戦いを眺めていたセネムとジェシカを促す。2人はびっくりしたような顔でシグリッドに視線を向ける。


「な……しょ、正気か? あの戦いに割って入るなど自殺行為だぞ!? それ以前に我等に何が出来るとも思えんが……」


 優秀な戦士であるセネムをしてそう言わしめる別次元の戦いが目の前で展開されていた。あれに介入するなど自殺行為。それにはシグリッドも同意であった。だが……


「出来るか出来ないかではありません。やるんです。今のままではまだミラーカさんが不利です。ならばその分を私達が補う事で勝てるかも知れません」


「……!」


「それにミラーカさんとの戦いでオーガも傷ついています。私達の攻撃も今なら通じるかも知れませんし」


「む……!」


 セネムも言われてその可能性に気付いた。それに確かにこのままではミラーカの方が不利だ。ならば例え力及ばずとも加勢する事に何の躊躇いがあろうか。


「ガゥゥッ!!」


 ジェシカもやる気は充分のようだ。激しい唸り声を上げて闘気を高めている。セネムは決心した。


「よし、やろう。オーガはミラーカの相手に掛かりきりだ。奴に気付かれないように迂回しながら接近するぞ」


「ありがとうございます、セネムさん」


 シグリッドは礼を言いつつ、セネムの指示に従って動き始める。ジェシカも同様だ。





 オーガの拳が再びカーミラにクリーンヒットした。


「がはっ……!!」


 カーミラは再び血を吐き出しながら吹き飛ばされた。地面を転がりながらすぐさま起き上がるが、正直ダメージは甚大であった。


「ふぅぅ……! ふぅぅ……!! はぁぁぁ……!!」


(参ったわね。これでも勝てないなんて……)


 大きく乱れた呼吸を整えながら内心で毒づく。かなりいい勝負ができるまでにはなった。事実オーガも無傷ではなく、全身傷だらけで身体中から赤黒い血を流している。だがそこまでだ。致命傷を与えるには至っていない。


 逆に自分の方は奴の攻撃を2発受けただけで、既に満身創痍だ。このままでは負ける。彼女にはそれが分かっていた。



『く……く……。よく頑張ったが、どうやらここまでのようだな。所詮お前達の力では俺は倒せないんだよ』


 オーガが嗤いながら近づいてくる。既に勝ちを確信しているようだ。カーミラは歯噛みした。だがその時……


「ギャウゥゥゥゥゥゥッ!!」


『……!』


 獰猛な唸り声と共に小さな影がオーガの背中に飛びついた。ジェシカだ。彼女はそのまま牙や爪を使ってオーガに攻撃する。


『ぬが! こいつ……!』


 カーミラが付けた傷を狙って攻撃しているらしく、オーガが怒り狂って振り解こうと暴れる。だがそこに別の2つの影が左右から挟撃する。


「ふっ!!」「むん!」


 シグリッドとセネムだ。シグリッドは強力な脚力を用いた蹴り技、セネムは二振りの霊刀で、やはりオーガの傷口を狙って攻撃を仕掛ける。


 本来であれば通じないはずの彼女らの攻撃も、今のあちこち傷ついているオーガになら通じる。事実オーガは怒りの咆哮を上げて暴れ狂う。


『ええい! 邪魔だ、雑魚共がぁ!!』


「……っ! ミラーカ! 我々が援護する! 一気に畳みかけろ!」


 オーガの反撃に怯みながらもセネムがカーミラを促す。



「……! セネム! 皆も……。ええ、ありがとう!」


 彼女らの加勢に一瞬驚いたカーミラだが、勿論仲間達が作ってくれた絶好の機会を逃すほど愚かではない。すぐに刀を構えて自らも突撃する。


 自身も既に傷だらけでありながら、それでもセネム達3人を圧倒しかけていたオーガだが、そこにカーミラが戦線復帰した事で完全に戦況が傾いた。


 一対一の時は対処できていたカーミラの攻撃に、セネム達の横槍によって対処できなくなる。そして遂にカーミラの刀がオーガの首筋に食い込んだ!


『……ッ!』


「死、ねぇぇぇぇぇぇっ!!」


 カーミラは全力で刀を振り抜く。オーガの極太の首の半分ほどに横一直線の切れ目が走る。そして……


 ――ブシュゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!


 その首筋の切れ目から、呆れるほど大量の血液がまるで噴水のように飛散した。



「やった……!!」


 セネムが喝采を上げるのも当然だ。オーガは強靭な肉体を持つが吸血鬼のような再生能力はないようだし、であるならば今の一撃は明らかに致命傷だ。だが……


 ギヌロッ! とオーガの目が動いた。驚くべき事に首を半ばから切断されても尚この怪物は死んではいなかった。


 その巨大な拳で貫手を作ると、カーミラに向かって恐ろしい速度で放った。


「……ッ!!」


 貫手はカーミラの胴体を丸ごと貫いて背中に抜けた。オーガの腕は相当な太さなので貫手は彼女の心臓をも砕いていた。カーミラの身体が大きく震え、その口からも、ゴボッ!と大量の血液が零れ落ちる。


 普通なら勿論致命傷だが彼女は吸血鬼だ。血に塗れた口を笑みに吊り上げると、自らの腹を貫くオーガの腕を両手でつかみ取った。


「これで……逃がさない、わよ」


『……!』


 オーガが腕を引き抜こうとしても、両手でしっかりと把持しているカーミラがそれを許さない。オーガは咄嗟にもう一方の腕を振り上げて、カーミラの首を頭ごと叩き潰そうとする。当然その攻撃が当たれば、既に心臓を破損している彼女は即死だ。だが……


「させません!」

「ギャウッ!」


 シクリッドとジェシカの2人がその腕に飛びついて全力で押し止める。一時的にオーガの両腕を抑えその動きを封じた。今が絶好のチャンスだ。



「セネム、止めをッ!!」


「……!! うむ、任せろ!」


 自らの役割を理解したセネムが跳び上がるようにして、オーガの首筋の切り傷目掛けて、全力で二刀を深々と突き入れた!


『……!! ……ッ!!』


 流石の怪物も、致命傷から更に霊力を帯びた武器を押し込まれて内部から破壊されては堪らない。図らずも最初の方で彼自身が言っていた、「自分の口の中(体内)を攻撃するのは容易くない」という台詞を破られた形だ。


 オーガの全身が弛緩する。そして、ゆっくりとカーミラの身体から腕が引き抜かれ、その巨体が地響きを立てて地に倒れ伏した。

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