File51:巣立ちの時


「……っ! く……はぁっ!! あ……」


 オーガが起き上がってこない事を確信すると、カーミラは即座に『イヴィル形態』を解除した。同時に『イヴィル形態』の時に受けていたダメージや、強大な魔力を垂れ流しながら戦っていた反動が一気に襲い掛かる。


 思わずその場に膝を着いて激しく喘ぐ。そして自身の胸に手を当てて、自らの精神状態・・・・を顧みる。


(……大丈夫。まだ、私は私・・・よ。ローラの事も愛してるし、皆の事も大切だわ。そう……何も変わってなどいないわ)


 半ば自らに言い聞かせるように考えるカーミラ。だが実際にはセネムのうなじを見て、心の奥底から沸き上がる衝動を意図的に抑え込まねばならなかった程だ。だがカーミラはその事実を敢えて無視した。


 まだ自分は自分のままであるという感覚は本物だ。これ以上二度とあの『イヴィル形態』にならなければ問題はない。


(『ローラ』……。お願い、私を守って。私はまだローラと一緒に生きていたいの)


 500年前に悲劇的な別れを経験した恋人の顔を思い出しながら願う。彼女の中でヴラドの力が『ローラ』の力を浸食し始めているのだ。絶対に『ローラ』に負けてもらう訳には行かなかった。


 それと同時に『ローラ』と同じ顔、同じ姿を持つモニカの事が頭に浮かんだ。もしここから無事に脱出できて彼女とも再会出来たら、この件について相談してみようと心に決めていた。何か良い解決方法か、そうでなくとも対症療法を知っているかも知れない。



 今後の方針が決まると少し落ち着いてきた。同時に周囲の状況に目が行った。


「ミラーカ、大丈夫か!?」

「ガゥゥッ!」


 セネムとジェシカが膝を着いた彼女を心配して駆け寄ってきた。カーミラはセネムに対して衝動・・を感じてしまった後ろめたさから、僅かにバツが悪そうな表情で目線を逸らした。


「え、ええ、私は大丈夫よ。ありがとう。奴に勝てたのは皆のお陰よ」


「いや、何の。君のあの力が無ければ、到底歯が立たずに全滅していただろう。あのような隠し玉があったとは意外だったな。【悪徳郷】との戦いでもあれを使って勝ったのではないか?」


「ええ、まあね……。ただ身体にとても大きな負担が掛かるから余り多用は出来ないのよ。出来れば二度と使いたくはないわね」


 真実は言わずに、さりとて完全に嘘でもない言い方でお茶を濁す。しかしセネムもジェシカも特に疑う事無く頷いた。


「うむ、そうであろうな。あれほどの力だ。確かに多用はせんほうが良かろう。まあ……奴のようなレベルの敵がそうそういるとも思えんが」


 セネムの言葉に3人の視線は、自然と倒れ伏したオーガの姿に向けられる。その側にはシグリッドが佇んでいて、黙ってオーガを見下ろしている。




『グ……フ、フ……。ああ……やはり・・・こうなったな。これが俺の運命だったようだな』


 驚くべき事にオーガはまだ死んではいなかった。しかし致命傷を受けたのは確かなようで、その首の傷だけでなく身体中から夥しい血を流しながら虫の息で喋っている。それを見下ろすシグリッドの表情は既に戦いの時の勇ましい物ではなく、どこまでも悲し気であった。


『ふふ、そんな顔をするな、シグリッド。お前は今ようやく、俺という呪縛・・から解き放たれて自由になるんだ。お前は自分の人生を生きるんだ』


「……私の人生の喜びは、ルーファス様にお仕えする事でした。それを失くしてこの先どう生きていけと……?」


『それでは駄目なんだ。どう生きていくのかはお前が自分で考えるんだ。それこそが自分の人生という物だ』


「…………」


『あっちの世界での財産は予め殆どは慈善団体に寄付しておいた。しかし僅かに残った分に関して、お前を相続人にしてある。それをどう使うかもまたお前の自由だ』


 オーガはゆっくりとシグリッドに向けて手を伸ばした。しかしそれが攻撃を目的とした動作でない事はカーミラ達にも解った。彼の手がシグリッドの頬に触れる。そして彼女の頬を伝っていた涙を拭い取る。


『泣くな、シグリッド。お前を引き取ったのは、いつかこの日が来る事を見越してお前に俺を止めてもらう為だった。そしてお前は立派に役目を果たしてくれた。こんな風に騙す形になってしまったのは本当に済まなかった』


「ル、ルーファス様……!」


 泣くなと言われたシグリッドだが、その目から新たな涙が次々と溢れてくる。オーガは黙って見守っていたカーミラ達に視線を向けた。


『済まんがお前達をシグリッドの友人・・だと見込んで頼む。彼女と、これからも友人でいてやって欲しい』


「……ええ、勿論よ。約束するわ」


 カーミラは躊躇う事無く請け負った。勿論セネムとジェシカも同様だ。ローラ達だってこの場にいればきっと同じ返答を返しただろう。



『……ありがとう。そして見事俺を斃したお前達には、『元の世界に帰る』という報酬が与えられる』



「……っ!!」


 カーミラだけでなく、シグリッドも含めた全員が目を剥いた。


『俺の魔力は元の世界と繋がっている。俺が死ぬ時に発生する魔力の残滓は、元の世界と繋がる簡易的な『ゲート』を作り出す。それを通って元の世界へ帰るんだ。……お前達自身の世界にな』


「そ、そういう事だったのね。でも、ローラ達は?」


 自分達が帰れるとなればやはり心配なのは、ローラを含めたこの場にいない面々の事であった。だがオーガはゆっくり手を振った。


向こう・・・は向こうで、同じような試練に曝されている頃だろうな。だが、心配はない。ローラ達もきっと無事に生還するはずだ。自分の相棒・・を信じてやれ』


「……! そう、ね。そういう事なら私もローラを信じるわ」


 仔細は不明だが、ローラ達も今頃何らかの戦いに巻き込まれているという事か。そして同じようにその戦いに勝てば元の世界に戻れるのだろう。


 ならばカーミラに出来る事は相棒・・たるローラを信じる事だけだ。彼女ならきっと打ち勝ってくれるはずだ。 


「私もローラを信じるぞ。彼女は私達などよりもずっと強い女性だからな」


「ガゥッ!!」


 セネムとジェシカも賛同してくれた。シグリッドは何も言わなかったが、ただカーミラの顔を見てはっきりと頷いてくれた。



『これで俺も安心だ。さあ……どうやらお別れの時が来たようだ。さらばだ、シグリッド。大丈夫だ。お前は強い。独り立ち・・・・しても十分やっていけるさ』


 オーガの身体から黒い瘴気が立ち昇りはじめ、それに比例して彼の身体が崩れて消滅していく。


「ルーファス様……!!」


『じゃあな。お前との生活……悪くなかった、ぞ』


 そう告げるとオーガの……いや、ルーファスの身体は完全に瘴気の塵となって消滅していった。



「く……う、うぅぅ……!」


 ルーファスが消えた後もシグリッドはうずくまって嗚咽を漏らし続ける。彼等の関係は余人には計り知れない物があるようだ。カーミラ達はシグリッドの心情を慮って敢えて慰めの言葉などは掛けずに、自分達もまたルーファスという1人の人間の死を悼んだ。


 そして……


「……! 見ろ!」


 セネムが指差す先、地面とスレスレの空間の一点に、あの『ゲート』をそのまま小さくしたような虚空の穴が開いた。これがルーファスの言っていた『出口』か。


「シグリッド……。彼の思いを無駄にしてはいけないわ。行くわよ」


 カーミラが未だうずくまったままのシグリッドを促す。すると彼女は涙を拭って立ち上がった。


「……解っています。ルーファス様……今までお世話になりました。行って参ります」


 彼女はルーファスが消えた場所に向かって完璧な作法で一礼する。そして未練を断ち切るようにカーミラ達と合流した。


「よし、皆準備はいいわね?」


 カーミラが確認すると全員がうなずいた。そして4人は小さな『ゲート』を潜って、ルーファスの墓標となった地下迷宮から脱出していった。

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