File15:最強のメイド

 世界的に有名なハリウッドスター、ルーファス・マクレーン。特にアメリカ人であれば誰でも最低顔と名前は知っているだろうとまで言われるほどの著名人……いわゆるセレブだ。


 だが彼が出演する映画やドラマは有名でも、彼の私生活・・・となると途端に知る者も少なくなる。


 他のセレブたちが大なり小なり様々なゴシップのネタに事欠かないのに対して、ルーファスは殆どこうしたゴシップの対象になった事が無く、私生活が謎に包まれたサイレント・セレブリティでもあった。


 ただその代わり様々な事業や慈善団体などに莫大な投資や寄付をしたりといったニュースは時折流れる。


 良く言えば品行方正、悪く言えば(特にパパラッチを始めとしたゴシップ紙の関係者やその読者からすれば)、やや退屈な面白みに欠けた人物であった。


 だがそんな人物だからこそ、万が一スキャンダル(そうでなくとも何か大衆の興味を惹くような事柄)が発覚した日には、特段の注目を集める事は間違いない。


 そういったスクープ?を狙ってパパラッチや、最近ではスマートフォンの発達普及によってSNSでの投稿目的で興味本位の素人までが屋敷の周囲をうろついたり、時には不法侵入・・・・しようとする事もある。



 今夜もまたそういった輩が庭の塀を乗り越えて敷地に侵入しようとしていた。数は3人。20歳前後の大学生と思しき若い男達で、全員がスマホを片手に持っている。


 夜の闇に紛れて侵入した彼等であったが、いくらも進まない内に……


「……御用が御有りなら正面玄関からお越し頂けますか? いずれにせよこんな時間にアポイントも無しに押し掛けるのは非常識ですが」


「「「……っ!?」」」


 冷徹ともいえる落ち着き払った若い女性の声に、男達は一様にギクッとして動きを止める。見るとそこには長い銀髪をポニーテールにしたメイド服姿の女性が静かな所作で佇んでいた。


 ルーファス邸で唯一の住み込み使用人シグリッドである。彼女は冷徹ながらやや呆れた様子で男達を見やる。



「ゴシップネタ探しですか? 不法侵入している時点で、例えどんなネタであっても意味を為しませんよ? 今すぐお帰り頂ければ見なかった事にして差し上げます」


 シグリッドが警告するが、男達は果たして彼女の言葉の意味を理解しているのかどうか。


「……! 何だ、このメイド? 偉そうに。俺達を馬鹿にしてんのか?」


「ここ一年くらいで、この屋敷に若い美女が何人も出入りしてるらしいじゃねぇか。ルーファスの愛人なんだろ?」


「ていうかこのメイドも前から噂あったよな? ルーファスとデキてるんじゃねぇか? おい、正直に言えよ」


 不法侵入を見咎められたというのに、全く意に介した様子無く好き勝手に喚く男達。どうやら自分達がしている事が犯罪行為であるという自覚すら薄いらしい。


(……SNSの発達も結構ですが、こういう低能な輩がこれからも増えるのは困りものですね)


 シグリッドは内心で嘆息しつつ、男達に更なる冷たい目線を注ぐ。


「今すぐお引き取りを。でなければ警察を呼びますよ?」



「ち……おい、やっちまおうぜ」


 男達の1人が仲間達を促すと、残りの2人も躊躇いなく頷いた。


「ああ、1人で出てくるとは馬鹿な女だぜ」

「よく見るとすげぇいい女だぜ。こいつも輪しちまうか」


 あろう事か彼等は逃げる所か、その目を凶悪に歪めて懐からナイフを取り出した。見下げ果てた連中だ。こうなるともう強盗と変わらない。しかも言葉の内容から、以前にも性犯罪の前歴がある事を匂わせている。ならば……容赦する理由は無い。



「へへ、おい。こいつでその綺麗な顔に傷を付けられたくなかっ…………いぎっ!?」


 男の1人がニタニタ笑いながら彼女の眼前にナイフをちらつかせてきたので、逆にその腕を取って軽く捻ってやる。


 彼女の膂力と特殊な技術によって、男の手首が異音を立てて容易く折れる。


「ぎっ!! ぎゃあぁぁ――――がばっ!?」


「静かにして下さい。近所迷惑です」


 手首が折れた激痛から絶叫しかけた男の顔面にパンチをかますと、男は鼻血を噴き出しながら昏倒した。


「こいつ……ふざけやがって!」


 それを見た男の1人が怒りに顔を染めてナイフで突きかかってきた。逆上して完全にこちらを殺すつもりになっている。本当に見境が無い連中だ。


「ふざけているのはあなた方です」


 シグリッドは極めて冷静に返すと容易くナイフを躱して男の腕を取り、引っ張りながら抱え込むようにして肘関節と逆方向にへし折った。コマンドサンボなどで良く使われる軍隊式の格闘術だ。やはり絶叫しかけたので、首筋に手刀を当てて黙らせる。


「ひっ!? な、何なんだ、お前!?」


「今まで無力な女性しか相手にしてきませんでしたか? あなた方も犯罪にはリスクが伴うという事を学習した方が宜しいかと」


 残った1人が動揺したようにナイフを向けるのに、シグリッドは氷のような冷たい声音で返す。


「う、うるせぇ! 女の分際で偉そうにしてんじゃねぇ!」


 男が喚いてナイフを振りかぶって斬り下ろしてくる。シグリッドはその攻撃をやはり容易く躱すと、手首に手刀を当ててナイフを叩き落とす。男が痛みに怯んでいる隙にその背後に一瞬で回り込んで裸締めを極める。


「ぐぇぇっ!?」


 男が必死で暴れるが、当然シグリッドはビクともしない。そのまま男を締め落とす。



(……最近こういう連中が増えてきましたね。この街全体に嫌な魔力が漂っているように感じますし、その影響でしょうか)


 地面に倒れ伏してピクピクと蠢く男達を見下ろしながら、シグリッドは内心で嘆息した。そして携帯を取り出すとビバリーヒルズ警察に電話を掛けるのだった。

 



*****




「シグリッド、昨夜はお手柄だったな」


 翌朝。リビングのソファでくつろぎながらシグリッドの淹れたコーヒーを飲みながら、ルーファスが彼女の働き・・を労う。シグリッドにとっては最も幸せな時間。しかしやはり昨夜の件について進言はしておく必要があるだろう。


 あの後は警察が来て、その事後処理などのゴタゴタで、今朝になってようやく落ち着いて話が出来るようになったのだ。シグリッドが頭を下げる。


「恐縮です。しかし今後もああいった輩が沸く事を考えると、この屋敷のセキュリティをもう一度見直した方が良いかも知れません」


「そうだな。君という最強のセキュリティがいるから、その辺りは疎かになっていたかも知れん。余り君に頼り切って負担を増やしてしまうのも本意じゃないしな」


 シグリッドの進言にルーファスは少し冗談めかした様子で片目を瞑って微笑した。


「……いえ、私が勿論常にルーファス様をお守り致します。しかし私だけではどうしても行き届かない部分もありますし……」


 シグリッドはあくまで真面目な表情を崩さない。ルーファスは苦笑して肩を竦めた。


「ははは、解ってるさ。勿論君の忠告はありがたく受けておくよ。俺と契約したいセキュリティ会社はごまんといるから、その中から選んでおくよ」


「……恐縮です」


 シグリッドは再び頭を下げた。そんな彼女をコーヒーを飲み終わったルーファスがまじまじと見つめる。敬愛する主に真っ直ぐ見つめられてシグリッドは急に落ち着かない気持ちになる。


「ル、ルーファス様?」



「……いや、君を引き取ってからもう14年か。早いものだと思ってね」



 ルーファスがしみじみと呟いた。言われて彼女もその事実に気付いた。丁度自分の年齢の半分の期間をルーファスの元で過ごしたのだと。


 ノルウェー北部のとある僻地で生まれ育った彼女は、当初は自分の角を隠す事ができず、また幼少時から異常な身体能力を発揮して、周囲の村々から忌み嫌われて、寒い森の中でたった1人で暮らしていた。


 実の父親は知らず、母親にはとっくの昔に捨てられていた。母によるとシグリッドは「自分を襲った化け物の子」なのだという。捨てられるのも当然だ。


 額の角も、高い身体能力も全てはその『父親』から受け継いだ物らしい。だが母はそれしか語らずにシグリッドを捨て、彼女は自分の正体も、力や外見の制御方法も知らずに、ずっと1人で生き抜いていたのだ。


 不幸中の幸いというかその身体能力と耐久力のお陰で、過酷な森暮らしでも何とか生きる事が出来ていた。


 だが強靭な肉体も、孤独・・という最強の敵には敵わなかった。ある時耐えかねて近くの村に近付いた事があったが、村人達は子供に至るまで彼女の姿を見ると、まるで凶暴な熊か狼でも現れたかのように恐れ戦いて、集団で石を投げつけ猟銃まで撃ち込んで追い払った。



 身体ではなく心に深い傷を負った彼女は絶望から塞ぎ込んで、それまでは森の獣を狩る事で飢えを凌いでいたが、それすら止めて衰弱していくに任せた。こんな思いをしてまで生きていく事が嫌になったのだ。


 だが皮肉にも彼女の強靭な肉体は飢えによる衰弱にもしぶとく抵抗し、それでも二か月近く何も飲まず食わずでいる事で、ようやく緩慢な死が訪れようとしていた。


 ようやくこの残酷で酷薄な世界から逃れる事が出来る。彼女は棲み処の岩室の中で横たわりながら僅かに微笑んだ。


 その時、霞む視界の中に誰かの姿が影となって映り、自分を覗き込んでいるのに気付いた。死者の国から自分を迎えに来た死神かと思ったが、そうでない事は口に垂らし込まれた温かい液体で解った。


 それは薄く味付けされたスープか何かのようだった。ほのかに肉の出汁が効いている。普通の人間より遥かに強靭な肉体は、瀕死に衰弱していても問題なく、いやそれどころか貪欲にその栄養を身体に取り込んだ。


 またシグリッド自身も森で暮らすようになってからこのかた味わった記憶の無い、温かく美味しいスープの味に一気に意識が覚醒した。そして無意識に、半ば貪るようにして差し出されたスープを飲み干した。


 大都会LAで暮らすようになった今に至るまで、あの時ほど美味しいスープを飲んだ事がないと断言できる。


 スープを貪り終わってからようやく多少の落ち着きを取り戻した彼女は、そのスープを差し出した人間が間近にいる事に今更ながらに気付いて、今度は一転して警戒心剥き出しに獣のような唸り声を上げてその人物を威嚇した。



 これがシグリッドとその人物――ルーファス・マクレーンとの出会いであった。



「…………」


 シグリッドはその時の記憶をまるで昨日の事のように鮮明に思い出す事ができた。それ程鮮烈な体験であったのだ。


 彼女が一瞬の感慨に耽っている間、ルーファスも昔を懐かしむような遠い目をしていた。


「今になってこんな事を思い出すのは、勿論丁度君を引き取った時の年齢と同じ年数が経過したのもあるが……それだけでなく半年前に君が一度死んだ・・・からだろうな」


「……っ!」


 シグリッドの身体が抑えきれずに僅かに震えた。そう……彼女は半年前にあの【悪徳郷】との死闘で、文字通り一度命を落としているのだ。今こうしてここに立っている事は奇跡以外の何物でもない。本来彼女はあそこで死んでいたのだ。


 それを思うと彼女の中に、何ともやりきれない後悔と慚愧の念が湧き上がる。自分は何があってもルーファスを守ると誓った。そのはずなのに……


 だがあの時は自分の命を犠牲にしてでもローラ達の力になる事に、ほぼ躊躇いを感じなかった。結果として彼女を拾ってここまで育ててくれたルーファスを悲しませる事になると解っていたはずなのに……!



 シグリッドは立ち尽くしたまま拳を握り締める。彼女の心境を慮ったルーファスが、少し慌てたように手を振った。


「いや、別にその事を責めたりしてる訳じゃない。君があそこで文字通り死力を尽くして敵を倒してくれたからこそ、ローラ達は勝利できたんだ。それは間違いない。君もその事を後悔してはいけない」


「は、はい……」


「ただ……あの時に感じたんだ。何事にも絶対という物はない。君との別れだってある日唐突にやってくるかも知れない、とね」


「……ル、ルーファス様」


 シグリッドは戸惑ったように言葉に詰まってしまう。その時彼女には何故かルーファスが非常に遠い存在に見えた。まるでそこにいるのに、そこにいないかのような。


 そんなルーファスが苦笑してかぶりを振った。



「いや、済まない。栓の無い事を言ったな。さて、今日はこれから雑誌社のインタビューで出掛けてくる。夕方には戻るから留守を頼む」


「……畏まりました。今日の夕食はルーファス様の好きなチキンのトマトソース煮をご用意しています。早目のお帰りをお待ちしております」


「お、それは楽しみだな。君の肉料理はどれも絶品だが、特にアレは極上だからな」


 ルーファスが屈託ない様子で嬉しそうに笑う。その姿を見てシグリッドは何となくホッと胸を撫で下ろすのだった。

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