File3:2人の聖職者

 とあるファッション雑誌社の所有するスタジオ。そこでは女性向けファッション誌に掲載する為のモデルの写真撮影が行われている所であった。


 白無地の背景の前でポーズを取っているのは、肌の露出が殆どないシックな装いのファッションモデル……イラン人女性のセネムだ。頭にはスカーフが巻かれている。


 彼女に向けられたカメラが幾度もフラッシュを瞬かせる。カメラマンの指示で次々とポーズを変えていくセネム。未来の読者の目を惹き付けるような挑発的な表情でカメラのレンズを見据える。



「ようし! これだけ撮れれば充分だ! お疲れ様!」


 カメラマンの言葉で写真撮影が終了する。するとすぐにセネムが現在契約しているモデル事務所の社長が近寄ってきた。


「いやぁ、今回も良かったよ、セネム。あのカメラマンは腕はいいが気難しい事で業界じゃ有名なんだが、殆どリテイクが出なかったんだから大した物だよ」


「ありがとう、ジャック。仕事を評価してもらえるのは嬉しい」


 セネムは撮影時の緊張を解いて、少し柔らかく微笑んだ。社長はウンウンと頷きながらも、若干阿るような雰囲気で彼女を見やる。


「セネム、本格的にアメリカに移住して専属になる気はないかい? そうすれば君ならもっと上に行ける。こんな地方誌じゃなく、ニューヨークやDCでも刊行されてる全国誌での仕事も夢じゃない。僕が保証するよ」


 本心から言っているのは確かだろう。だがそこにはセネムをプロデュースする事で、自身や事務所の躍進を狙う打算も見え隠れしていた。セネムは溜息を吐いた。


「ジャック、その話は前にもしただろう? 私はイランから籍を移す事は出来ないんだ。こうして就労ビザを取って外国人労働者として働くのが精一杯なんだ」


 一般には秘匿されているが、セネムの本職・・は『ペルシア聖戦士団』という超法規的組織に所属する聖戦士なのだ。組織には厳格な掟があり、その一つに必ずイスラム教圏のいずれかの国家に籍を置いていなければならない、という物がある。


 ファッションモデルはあくまで表向きの職業に過ぎない。だが当然その事情を彼に説明する訳には行かないので、セネムはいつもこの問答を切り抜けるのに難儀していた。


「セネム、家庭の事情だという話は前にも聞いたけど、今はリベラルな時代だよ。君ももっと自分を主張するべきだ。君のような女性が家庭という殻に押し込められて世に出れないなんて間違ってる」


「ジャ、ジャック。過分な評価はありがたいが……」


 副業・・とはいえ、ここまで言ってくれる事自体は悪い気はしない。だが無理な物は無理なのだ。セネムが困って対応に苦慮していると……


「……!」

 部屋の入り口付近に立ってこちらに手を振っている金髪の女性の姿が見えた。セネムは露骨にホッとしたように笑う。


「あー……ジャック、済まないがこの後友人と約束があってな。もうそこで待たせてしまっている。この話はまた今度という事で……」


「ん……? ああ、そうか……仕方ないな。でも僕は諦めないよ。必ず君の考えを変えてみせる」


 ジャックは入り口に控える女性の姿を見て、渋々といった感じで引き下がった。セネムは嘆息しつつ、彼の気が変わらない内に急いで帰り支度を整えてから、入り口で待っていた女性と合流した。



「ふぅ……待たせてしまって済まないな、モニカ・・・。では行こうか」


「うふふ、あなたも大変そうですね、セネムさん。でも彼は本気のようですし、案外満更でもないんじゃないですか?」


 連れ立って外に出ると、金髪の女性――モニカがクスクスと笑う。街中なのでいつもの修道服ではなく、ローラやミラーカ達が見繕った私服姿であった。セネム自身もスカーフを巻いたイスラム女性らしい服装であった。


「からかわないでくれ。本当に困っているんだ」


 セネムが情けなさそうな口調でボヤくと、モニカは増々笑みを深くした。2人はそのまま歩いて近くの喫茶店に立ち寄る。



「さて、それじゃまずは、お仕事お疲れさまでした」

「ああ、ありがとう、モニカ」


 店外の路上に面した席に着いた2人は、紅茶で口を湿らせてから改めて挨拶を交わす。最近2人はこうしてプライベートで会う事が多かった。


 切欠はセネムが自分を生き返してくれた・・・・・・・・モニカに対して、この恩は生涯を懸けて返す、望みがあれば何でも言ってくれと申し出た事にあった。


 モニカは、それなら自分の友達になって欲しいと『望み』を伝え、それ以来の友人関係であった。


 彼女はこの世界の事に何でも興味を示したが、特に宗教関係については詳しく知りたがった。なので2人は他愛のない雑談に終始する場合もあれば、キリスト教とイスラム教、互いの宗教の教義について討論めいた話をする事もあった。


 それらのやり取りを経て、今ではかなり互いに遠慮のない間柄になっていたのだった。



「それで、モニカ。今日は折り入って話があるとの事だったが……それは街全体に漂う、この捉え所のない邪気に関してか?」


 ひとしきり挨拶が終わると、セネムは神妙な表情になって本題に入る。モニカもまた憂慮の表情になって頷く。


「お気付きでしたか。流石はセネムさんですね。ええ、その通りです。セネムさんにはこのような邪気を発する存在について心当たりはありますか?」


「いや、生憎と無いな。強いて言うなら……以前に祖国の任務で邪神パズスの眷属と戦った事があるが、その眷属を斃した時に一瞬だけ現世に顕現したパズスの邪気が一番近いかも知れん」



 セネムは一年程前に組織の任務で戦った魔の存在を思い返していた。あの時は再びアメリカに赴く条件として、組織から過酷な任務を割り振られていたのだった。LAでは丁度『シューティングスター』なる存在が暴れていた頃だ。


 イラン国内で現世にパズスを顕現させようと目論む眷属を斃す事には成功したのだが、すんでの所で間に合わずにパズスが顕現しかけてしまった。


 他の聖戦士達も総出で封じ込めに当たり、辛うじて顕現は阻止できたものの、あの時に一瞬だけ感じた心臓が止まるかと思う程の邪気は忘れようにも忘れられない。あれに比べたらマリードやイフリートなど赤ん坊のような物だ。


 今この街に漂っている邪気のような物は、勿論あれ程の霊圧はまったく感じないが、何となく邪気の性質・・が似ている気がするのだ。

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