File34:ゴケグモvsベッコウバチ


「……あれよ。でも私も鍵は持っていないの」


 ブリジットが指し示した奥まった場所に、部屋が三つ程並んでいた。その内の二つに使用されている形跡があった。


「鍵に関しては問題ないわ。ありがとう、ブリジット」


 部屋に駆け寄って小窓から中を覗き込んでみる。そこには黒い髪の少女が寝台に腰掛けて項垂れていた。


「……ねぇ、あなたマリコよね?」

「っ!? あ、あナた誰……?」


 顔を上げた少女は写真で見た通りの容貌であった。ジェシカの友人マリコで間違いなさそうだ。


「心配しないで。私はナターシャ。ジェシカの友達よ。あなた達を助けにきたの」


「……! ジェ、ジェシカ……? ジェシカがここニ来てルの? 私、彼女に謝らナいと……」


「ええ、後でいくらでも話す時間は出来るわ。まずここから脱出すればね。鍵を開けるから待ってて」


 隣の独房にはカロリーナがいるようで、同じようにクレアが覗き込んで事情を説明していた。ナターシャはマリコの独房の鍵を開けるべく、再び砂の詰まったペンを取り出して扉に向けようとする。


 彼女は作業に集中する余り、ブリジットが自分の真後ろに忍び寄っていた事に気付かなかった。ブリジットは懐から注射器を取り出すと、何も気づいていないナターシャの無防備な首筋に針を突き刺そうとして――



「危ないっ!!」


 針が刺さる寸前、横からクレアが注射器を蹴り飛ばした!


 ブリジットの手から注射器が落ちて床を転がる。そこで初めてナターシャも気付いた。


「え……ブ、ブリジット……?」


「ナターシャ、下がってなさい。こいつは……敵よ!」


「……っ!?」

 クレアがブリジットの姿を睨みつけながら警告。ナターシャは目を瞠る。一方騙し討ち・・・・に失敗したブリジットも忌々しそうに舌打ちしてクレアを睨んでいる。



「ち……あのヴェロニカって女と同じように騙し討ちしてやるつもりだったのに……。いつから気付いてたの?」


「……っ!」

 本性・・を表したブリジットの台詞にナターシャは息を呑む。あのヴェロニカがあっさりと敵に気絶させられて捕らわれた理由が解った。


 一方クレアは厳しい表情を保ちながらも冷静だ。


「流石に本職の女優って所かしら? 素人なら騙せたでしょうけど、私だって本職のFBI捜査官よ? 咄嗟の演技にしては上等だったけど、私に微かな違和感も抱かせない程じゃなかったわね」


「……!」


 どうやら最初から怪しんでいたという事のようだ。だが確信まではなかったので泳がせていたのだろう。


 ブリジットは一瞬顔を歪めたが、すぐに持ち直すと……懐に手を入れた。警戒したクレアが飛び掛かろうとするが、ブリジットが手を抜き出す方が早かった。


「動くな!!」

「……っ!」


 その手には黒光りする拳銃が握られていた。ナターシャも護身用に持っていた、女性でも扱いやすい小型の拳銃だ。だがその弾は人間を殺傷するには充分である。



「ニック達の邪魔はさせないわ。あなた達には大人しく独房に戻ってもらうわよ?」


「あ、あなたは……」


 ナターシャが戸惑う。ブリジットは明らかに正気・・だ。邪悪な怪物達の味方をする行為が正気かどうかはさておいて、少なくとも洗脳されたり脅されて従っているという感じではない。


「そのニック達が人食いの怪物だと知っているんでしょう? 彼等に自発的に協力するなんて正気の沙汰じゃないわ」


 同じ疑問を抱いたらしいクレアが問い掛ける。問われたブリジットは、その美貌が台無しになるような歪んだ笑みを浮かべる。


「あなた達のようないい子ちゃんには解らないでしょうね。私はね……楽しければ・・・・・なんでもいいのよ」


「……何ですって?」


「人間社会の裏に潜んで人間を食い物にする人外の怪物達……。そんな存在が本当に実在したのよ!? この世のどんな仕事やアトラクションよりも刺激的なのは間違いないでしょう? 彼等はまさに私が求めていた非日常・・・そのものなのよ!」


「……!」


「私自身がその非日常の一部でいる為には何だってするわ。人だって殺すし、私以外の女が何千人食われようが知った事じゃないわ。むしろそれが彼等の仲間でいる条件なら、喜んで生贄を差し出すわ」



(く、狂ってる……!)


 ナターシャは咄嗟にそう思った。彼女は恐らく人よりもほんの少し、人生に刺激を求める性格だったのだ。そして人よりもほんの少し、自分の欲求に忠実だったのだ。


 それが偶然【悪徳郷カコトピア】という存在を目の当たりにしてしまい、その箍が外れてしまったのだ。


 恐らく彼女は既に後戻りできない罪にその手を染めてしまっているのだろう。そして誰に強制された訳でもなく自らの意思でニック達の仲間・・になっている以上、説得や交渉は不可能だ。 



「さあ、お喋りはここまでよ。両手を頭に置いて床に伏せなさい。今クリスに電話して来てもらうわ」


「……っ」

 【悪徳郷】のメンバーに1人でも来られたらもうお終いだ。その前にブリジットを阻止しなければならない。彼女の注意と警戒は主にクレアに向いている。ナターシャはマリコの独房を開ける為に砂の詰まったペンを握ったままだったのを思い出した。


(お願い……上手くいって!)


 ナターシャはブリジットに気付かれないように、手首の動きだけでペン先を彼女の方に向けた。するとナターシャの意を汲んだ砂の塊が勢いよく射出されて、ブリジットの腕に絡み付いた。


「……!? な、何よ、これ!」

「……!」


 小さな蛇のように蠢いて纏わりつく砂の塊に動揺したブリジットの注意が逸れる。そしてクレアはその隙を逃さずに彼女に飛び掛かった。銃を持つ腕を掴み上げて奪い取ろうとする。そうはさせじと暴れるブリジット。


 拳銃から銃弾が発射され、天井に当たって弾ける。ナターシャは悲鳴を上げてうずくまった。


 しかしもみ合いを制したのは、やはり現役の警察官でもあるクレアの方だった。拳銃を奪い取ると、その銃床でブリジットの延髄の辺りを殴りつけた。


「かっ……」


 短く息を吐き出すような呻き声と共に、ブリジットが床に崩れ落ちた。どうやら気絶したようだ。




「ふぅ……しばらくは目を覚まさないと思うわ。ありがとう、ナターシャ。ナイスアシストだったわ」


「ど、どう致しまして。こっちこそ助かったわ、クレア」


 戦いが終わったのを確認して立ち上がるナターシャは冷や汗を拭っていた。クレアがいてくれなかったらどうなっていた事か。恥ずかしながらブリジットの演技を全く見抜けなかったので、あの注射器でヴェロニカと同様に気絶させられていた可能性が高い。


「いいのよ。さあ、早く2人を解放してヴェロニカの所へ行きましょう」

「そ、そうね」


 クレアに促されてナターシャは、ペンに戻って来た砂の塊を使ってマリコとカロリーナの独房の鍵を順に外していく。


「あ、ありがトうございマす」


「……ヴェロニカの知り合いなんですって? 後で全部説明してもらうわよ?」


 解放された2人は礼を言いつつも戸惑っている様子だ。どうやら2人は独房が隣同士だったのもあって、声だけである程度やり取りをしていたらしく、お互いの素性や捕らわれた経緯などについては知っていた。


 そしてクレアによるとカロリーナは、ヴェロニカが『力』を行使する所を目撃してしまったらしい。マリコもここまで巻き込まれてしまえば、煙に巻いて誤魔化すのは不可能だろう。先程のブリジットとのやり取りも聞かれているのだ。


 超常犯罪捜査官のクレアとしては頭の痛い問題かもしれない。もし今夜を無事に切り抜ける事が出来たらジェシカやヴェロニカら当事者は勿論、ローラも交えて彼女達にどのように対応していくか話し合う必要があるだろう。


 だがそれは全て後で考える事だ。今はとにかく急がねばならない。ブリジットの妨害で大分時間をロスしてしまった。



「勿論よ。今夜を無事に終えたら全部説明するわ。でもその為にも今は黙って私達についてきて欲しいの」


 ナターシャの言葉にとりあえずは神妙に頷く2人。彼女達も今が非常事態だという事は充分理解している様子だ。


 クレアによるとヴェロニカの独房は3階にあるとの事。ブリジットから奪った銃で武装した彼女の先導によって、慎重にかつ可能な限り急いで3階フロアに向かう。


 【悪徳郷】の面々は勿論、その眷属達とも遭遇する事はなかった。表でローラ達が派手に立ち回っているお陰だ。さもなければとっくに気付かれて捕まっていただろう。勿論ナターシャ達が全く警戒されておらず、独房から脱出される事を考慮していなかったのも理由だろうが。


 幸いな事にヴェロニカの入れられている独房はすぐに見つかった。クレアが5階でのマリコやカロリーナの独房の位置から類推してくれたのだ。


 それは見事的中して、最も奥まった場所にある扉の小窓を覗き込むと、見覚えのあるラテン系の美女がライフガードの赤いハイレグ水着姿で寝台に腰掛けて項垂れていた。 



「ヴェロニカ! ヴェロニカッ!!」

「へ……? え……あ……ナ、ナターシャさん?」


 独房の中のヴェロニカが事態を把握できずに間抜けな声を上げて、ナターシャの顔を仰ぎ見る。


「そう、私よ! クレアもいるわ。そして、マリコとカロリーナもね!」

「……っ!!」


 だがナターシャのその言葉だけで状況を察したらしく、驚きに目を見開くとすぐに念動力で扉の鍵を開けた。ドアを開けて4人で中に滑り込む。



「ク、クレアさん! 無事だったんですね! それにマリコも……! あ……」



 クレア達の無事な姿を見て喜色を浮かべるヴェロニカだが、最後の1人……ルームメイトのカロリーナの方を見ると、途端にその声が尻すぼみになり何かに怯えるような表情になった。


「2人共、話は後でも出来るわ。今は――」


「――ええ、わかってるわ。聞きたい事は一杯あるけど、今はそっちの都合を優先してよ。何かよく解んないけど、あの化け物共を倒すのに必要なんでしょ? ヴェロニカのあの『力』が」


 ナターシャが急かすと、カロリーナは解ってるという風に頷いた。


「カ、カロリーナ……」


 ヴェロニカは呆気に取られたような、信じられないような顔になる。カロリーナは少し照れくさそうな表情で目を逸らして頬を掻いた。


「か、勘違いしないでよ? これが無事終わったら、私が何に巻き込まれたのか、そして何よりあの超能力みたいなやつについて、絶対に納得いく説明をしてもらうからね」 


「……っ。あ、ありがとう、カロリーナ。ええ、約束するわ。絶対に無事に戻ってきて説明する」


 ヴェロニカが少し涙ぐむ。そんな彼女にマリコも不安そうな声を掛ける。


「せ、先輩……。ジェシカもコの件に関わってるンですよね? わ、私も彼女に謝らナいと。私、もう何を聞いテも二度と彼女を裏切らナいと誓いまス」


「マリコ……ありがとう。私の口からは言えないけど、ジェシーは絶対に話してくれるわ。彼女とよく話し合って」


「は、はイ!」


 マリコも何かを覚悟したような表情で頷く。ナターシャが改めてヴェロニカと向き合う。



「ヴェロニカ。今、ローラ達が表で戦っているの。私達だけでここまで来れたのはそのお陰よ。でもきっと苦戦してるはず。虜囚で疲れているとは思うんだけど……」


「解ってます、ナターシャさん。大丈夫です。カロリーナ達を助けて頂いてありがとうございました。後は私に任せて下さい」


 既に凡その状況は把握したらしいヴェロニカが、その褐色の美貌を引き締めて頷く。



 その後裏手の非常口から脱出すると、ナターシャ達4人は病院の敷地を囲む森の中の茂みに隠れている事になった。下手にこの施設から遠ざかって逃げようとすると【悪徳郷】の面々に察知されてしまう危険性が高い。



「すべてが終わったら必ず迎えに来ます。それまではここにいて下さい。クレアさん、皆をお願いします」


「……解ったわ。あなたも気を付けて」


 拳銃を構えたクレアが神妙に頷く。既にこの場で交わすべき言葉は交わした。後は見送るのみだ。ナターシャ達は何も言わずに戦場へと赴くヴェロニカを見送った。


(私に出来る事はここまで。お願い、ヴェロニカ。お願い、ローラ。皆、どうか無事に帰ってきて……!)


 自らの役目を果たしたナターシャに出来る事は、ただひたすら仲間達の無事と勝利を祈る事だけであった……

 

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