File33:人質救出作戦
「……!」
建物の外から微かに聞こえる……銃声。そして恐ろしい叫び声。
(始まったみたいね……)
それをずっと待っていた
クリスによって捕らわれた彼女は、気が付くと殺風景な独房のような部屋に閉じ込められていた。恐らく【
「…………」
彼女はジャケットの懐を探って、一本の太いペンを取り出した。そしてそのペンのキャップを開けると、そこには本来の中身であるはずの芯やスプリングなどが入っておらず、替わりにぎっしりと
そしてその砂が詰まったペンの先を、鍵のかかった頑丈そうな扉の、鍵穴の部分に近付ける。すると……
「……!」
ペンの先から砂が、まるで自分の意志を持っているかのように蠢いて一つの塊になると、そのままスルスルと鍵穴の中に滑り込んでいった。
そして程なくして、カチャンッ! という音が鳴った。同時に鍵穴に入り込んでいた小さな砂の塊がペンの中に戻っていく。
ナターシャは恐る恐るといった風に扉の把手に手を掛けて引いてみると、ロックされていたはずの頑丈な扉が何の抵抗も無く開いた。
(す、凄いわね。でも……ありがとう、
ナターシャは心の中で友人に礼を言った。新聞記者の自分が持っていても怪しまれない小道具であるペンの中に、ゾーイの魔力を込めた砂を詰めておく。そしてゾーイがその砂に、ある程度ナターシャの意思に沿うように
その効果は遺憾なく発揮されており、ナターシャは友人が新たに得た力の多彩さに感心してしまうのだった。
慎重に廊下の様子を窺いながら独房から出る。殺風景な廊下には人や
思った通りだ。恐らく普段は
クリスを始めとした【悪徳郷】の面々も、ローラ達の方に注意が逸れているはずだ。ここに囚われているのはナターシャを始め無力な女性達ばかりのはずで、怪物達は欠片も警戒の必要性を感じていない。あのニックでさえもだ。
逆に言えば彼等を出し抜くチャンスは
最優先目標はヴェロニカの友人であるカロリーナと、ジェシカの友人であるマリコの救出だ。それさえ為ればヴェロニカは自力で脱出できる。予め2人の顔は写真などで確認してあるので、見間違える事はないはずだ。
(でも……参ったわね。こんなに広いなんて……)
どこかの打ち棄てられた病院か刑務所のような施設を丸ごと利用しているようだ。彼女がいる廊下だけでも同じような部屋がいくつも並んでいる。廊下は他にも伸びているし、どうやら他の階もあるような感じだ。この中から意中の人物を探し出すとなると相当の時間がかかる。時間を掛ければ掛けるほど発覚のリスクは大きくなっていくし、ローラ達が不測の事態に陥る可能性も上がっていく。
でもとりあえず動くしかないと、ナターシャは手近な部屋から覗いて中を確認していく。空き部屋も多かったが、中には見知らぬ女性が囚われている部屋もあった。しかし今は全員を救出している余裕はないし、無闇に救出して騒ぎが大きくなればニック達に気付かれてしまう。
ナターシャは心の中で囚われている女性達に、必ず後で助けるからと謝罪して他の部屋を見て回っていく。すると何部屋目かで……
「……!」
カロリーナ達ではないものの、見知った姿を見つけた。ルーファス邸での会議では
『……
扉の小窓から小声で呼びかける。すると向こうもすぐに気付いた。信じられないように、その細眼鏡を掛けた目を見開いている。
「え……ナ、ナターシャ……? あ、あなた、どうして……」
『話は後よ。今、表でローラ達が戦ってるの。私はヴェロニカに対する人質を救出する為にここに潜入したのよ」
「……!!」
流石というか、それだけで凡その状況を把握したらしいクレアは得心したように頷いた。どうやらヴェロニカが人質を取られて軟禁されている事は知っているらしい。
「なるほど……。そういう事なら私も手を貸すわ。このドアを開けられる?」
『勿論よ。待ってて』
当然というか扉には鍵が掛かっている。ナターシャは再び砂の詰まったペンを取り出した。そして最初と同じ要領でロックを解除する事に成功した。
まるで魔法のように鍵を開けてしまったナターシャにクレアは目を丸くしていたが、今は余計な問答をしている時間がないという事は彼女にも解っているらしく、礼だけ言って素早く独房から出てきた。
「救出対象は2人よ。ヴェロニカの友人でカロリーナというイタリア系の女性と、ジェシカの友人でマリコという日本人の少女よ」
「マリコ……以前にジェシカのバンドを聴きに行った時に、ドラムを叩いていた子が東洋人だったけど、多分その子ね。カロリーナの方は昨夜直接顔を見たから問題ないわ」
クレアは眼鏡を直しながら反駁する。FBIの捜査官だけあって大した記憶力だ。それに彼女の方も昨夜何かあったらしい。だがそれを詳しく聞いている暇がないのはナターシャも同じだ。
クレアが顎に手を当てて眉根を寄せる。何かを思い出しているようだ。
「カロリーナだけど……恐らくマリコも、囚われてるのは多分最上階の5階だと思うわ。あいつらが……ジョンとムスタファがそんな事を言ってたわ。5階は
「……! そこで間違いなさそうね。行ってみましょう」
方針を決めた2人は、忍び足でフロアの出入り口と思しき大きな扉まで向かう。幸いというか、ローラ達の奮闘のお陰か、誰にも見咎められる事はなかった。
扉の先は階段になっており、ナターシャは自分達がいるのが4階である事を知った。このすぐ上の階がそのVIPルームとやららしい。階段を昇ると5階のフロアに入る為の扉があり、そこをほんの僅かに開けて中を覗き見る。
「…………」
やはり病室の並んだ廊下が伸びているが、見える範囲には誰も居なかった。
普段ならそれでも正しい判断なのだろうが、そうやって無力な女性達を甘く見て足元を掬われるのは自分達の方だ。
ナターシャは後ろに追随しているクレアに目配せして頷くと、一気に5階フロアへと侵入した。このフロアのどこかにカロリーナやマリコが閉じ込められている部屋があるはずだが……
「あ、あなた達、ここで何してるの……?」
「――っ!?」
唐突に
(ん? 女性……?)
【悪徳郷】に女性のメンバーはいないはずだし、〈信徒〉も男性のみしか作れないはずだ。グールはその限りではないが、そもそもグールは喋る事が出来ない。という事は……
彼女らが顔を向けた先、廊下の真ん中に1人の女性が佇んでいて、驚愕の表情でこちらを見ていた。ナターシャはその女性の顔をどこかで見たような気がしたがすぐには思い出せなかった。だがその疑問はクレアによって氷解した。
「え……あ、あなた、ブリジット……? ブリジット・ラングトンよね? 何でこんな所に……?」
それでナターシャも思い出した。そうだ。新進気鋭の女優ブリジット・ラングトン。そして……かの『シューティングスター』のターゲットになりながらも、FBIの保護によって救われたという女性。
クレアとはその時に面識があったのだろう。向こうもクレアの事に気付いたようだ。
「あなた、確かFBIの……?」
「ええ、そうよ。クレア・アッカーマン。こっちは新聞記者のナターシャ。あなたこそこんな所で何をしているの? 気付いてるか解らないけど、ここは化け物共の巣窟よ。あなた……他の女性みたいに囚われてる様子がないわね?」
クレアが詰問口調になる。確かにこんな所に捕まっている様子も無い女性が1人でいるのは不自然だ。勿論グールでもないようだし、明らかに生身の人間だ。
ブリジットの顔が青ざめる……と同時に、こちらに向かって取り縋って来た。
「ま、待って、早まらないで! 私、あいつらに脅されていたの! ニックと、彼の仲間だっていうあの悪魔たちに……!」
「何ですって!? ニックに?」
クレアが動揺したように声を震わせると、ブリジットは泣きそうな顔で頷く。
「ええ。あなたも知っているあの『シューティングスター』に襲われた時、実際にはニックは醜いミイラみたいな化け物に変わって、それだけじゃなくて他の連中も次々に集まってきて、それで『シューティングスター』と戦って撃退したのよ。でもその時には意識を取り戻してた私が、彼等の正体を見ていたのがバレてしまって……」
「……なるほど。それで喋ったら殺すとでも脅されていた訳ね?」
ナターシャが確認すると、やはりブリジットは悲嘆の表情で頷いた。ニック達がその場で彼女を殺さなかったのは、FBIが『シューティングスター』から彼女を守ったという実績の為だろう。言われれば成程と納得できる状況だ。
「それからはずっとあいつらの奴隷みたいな扱いで……。あいつらがどんなに残忍な怪物か知ってる? 逆らったり逃げたりなんて考えも付かなかった……!」
「…………」
それも無理からぬ事だろう。恐怖に怯えた彼女の表情からしても、恐らく【悪徳郷】の連中が女をどのように扱うかを間近で見せられてきたのだろう。
警察に言った所で信じてもらえるはずがないし、誰も味方がいなかった彼女に他に選択肢が無かったのは間違いない。
「……今、私の仲間達があの怪物達を倒す為に表で戦っている。奴等を倒す事が出来ればあなたの悪夢は終わるのよ」
「……っ! お、終わる? あいつらが……いなくなる?」
ブリジットが信じられない物を見るように、涙を溜めた瞳を向けてくる。ナターシャは力強く頷いた。
「そうよ。その為に私達もこうして危険を冒してこの場所にいるのよ。ねえ、あなたは知らない? このフロアにカロリーナというイタリア人の女性と、マリコという日本人の少女が囚われているはずなんだけど……」
このフロアにも部屋が沢山あるので一つ一つ改めていては、クレアと手分けしても時間がかかってしまう。もしブリジットに心当たりがあれば……
「あ……そ、それなら知ってるわ。このフロアの一番奥の一角よ。案内するわ」
「……! ありがとう、ブリジット。助かるわ」
どうやらここで彼女に会えた事は僥倖だったようだ。ナターシャ達はブリジットの先導の元、フロアの奥まで進んでいく。
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