Case8:『カコトピア』

Prologue:万魔殿

 LAの北部にあるトッパンガ州立公園。広大な自然公園に差し掛かる手前辺りに、山の木々に半ば埋もれるようにしてひっそりと佇む大きな建造物があった。


 その建物は廃病院であった。元はラムジェン社というバイオテクノロジー企業が保有し、治験に利用していたと噂される秘匿性の高い病院であったが、2年程前に親企業であるラムジェン社がとあるスキャンダル・・・・・・・・・によって会社ごと解体の憂き目に遭い、それに伴ってこの病院もそれまでの悪事・・が暴かれ閉鎖される事となった。


 人体実験に近い形で多くの患者が命を落としたこの病院は、その悪名から次の買い手が付かずに廃墟として朽ちるままとなっていた。建物は人の手が入らないと、それだけで驚くほど急速に荒廃する。


 この廃病院もまた放置されて2年足らずとは思えない程に荒れ果て、周囲の木々に浸食され窓という窓は割れて、壁は建材が剝き出しとなり、内部は捨て置かれた家具や医療器具、調度品などが散乱していた。


 どこからどう見ても立派な廃墟であり、不気味な雰囲気を醸し出すこの場所に好んで近付くものは殆ど・・いなかった。



 しかしこの日、この廃病院のやはり荒れ果てた駐車場跡に一台の車が停まった。時刻は深夜といって差し支えない時間帯。辺りには全く人の気配はなく、山道を通りかかる車の一台もない。


 そんな深夜の不気味な廃病院前に停まった車から1人の人物が降り立った。その人物はこんな鬱蒼とした深夜の廃墟には似つかわしくない、人目を惹く派手な美貌の……若い女性であった。


「…………」


 女性は自分からこの場所に足を運んでおきながら、気味悪そうに周囲の森を見渡し、そして廃病院を見上げていた。当然ながら廃墟には人の気配が全く無く、ただ夜の暗闇だけが蟠っている。


 女性は喉をゴクッと鳴らしながらも意を決したように廃病院に向かって歩き出した。



 正面玄関を潜ると、やはり荒れ果てたロビーに出る。屋内では月明りも遮られるので、女性は携行していた懐中電灯を取り出してスイッチを入れた。散乱した家具や破片などを慎重に避けて奥へ進むとエレベーターと非常階段があった。エレベーターは電気が通っていないので当然動かない。女性は非常階段を慎重な足取りで昇っていく。


 2階の扉の前に到達した。女性はやや躊躇いながらも扉の把手に手を掛けて開く。2階には長い廊下が伸びており、その両脇には頑丈な扉で施錠された病室・・が並んでいる。当然本来はもう使われていないはず・・の病室であったが……


「ねぇ! お願い、助けて! 助けて頂戴!」


「……っ」


 女性が廊下を歩く足音を聞きつけたらしく、病室の一つから別の女性の声が響いた。扉の小窓に取り縋ってこちらを見つめている。しかし女性は意図的にそれを無視した。


「ねえ、聞こえてるんでしょ!? 何とか言ってよ!」

「な、何で無視するのよ!?」

「まさか……あいつら・・・・の仲間なの!?」

「チクショウ! 出せ! 出せよぉ!!」

「助けてぇ! 誰かぁぁぁっ!!」


 声を聞きつけた他の病室・・・・からも女性達の悲痛な叫びが木霊する。各病室に閉じ込められているのは全員若い女性のようだった。廊下を進む女性にはこの廃病院に現在一体何人の女性が囚われているのか、正確な数字を知らなかった。かなり大勢・・・・・としか知らなかった。


 泣き叫び扉を叩く音を、耳を塞いで目を逸らしてやり過ごしながら、女性は半ば走るように勢いで廊下を進んでいった。


 そして必死の思いで廊下を抜けた先には……



「やあ、ブリジット! よく来たね! 指定の時刻より10分ほどの遅刻だけど、君は普通の人間で移動手段も限られてるからそこは大目に見ておくよ」



「……っ!」


 これまでの陰惨な廃墟、いや牢獄・・の雰囲気からは想像できないような場違いに明るい男の声が、彼女――ブリジットを出迎えた。


 いや、明るいのは男の声だけではなかった。そこは2階にある広い職員食堂と思しき場所であった。この廃墟は当然電気は止まっており、事実1階のロビーやこれまで歩いて来た廊下は僅かな燭台の灯り以外には一切の照明がない廃墟そのものであった。


 しかしこの職員食堂には電気が点いていた・・・・・・・・。ブリジットは驚きに目を瞠りながらも懐中電灯のライトを消して、たった今明るい声で自分を出迎えた男を見やった。


「ごめんなさい。待たせてしまったかしら……ニック・・・


 彼女の視線の先には気障な雰囲気の美形の男がいた。彼女が最近仲間に加わった【悪徳郷カコトピア】と名乗る秘密結社のリーダー、【ニック・ジュリアーニ】だ。見た目は普通の男性だが、彼女は彼の正体・・を知っていた。


「ははは、本当に構わないんだよ、ブリジット。皆、待ち時間を有意義・・・に過ごす方法は心得ているからね」


「……!」


 ニックが手を振って部屋の中を示す。そこには【悪徳郷】の他のメンバー達が揃っていた。皆荒れ果てた食堂に思い思いに瓦礫を集めたり、逆に退かしたりして自分のスペースを作っていた。



「よぉ、ブリジット! この前のトークショー見たぜ? 仕事は順調みたいだな」


 一番近くに陣取っていたメンバーが、やはり場違いに陽気な声を掛けてくる。黒髪に着崩した黒服。どこかのマフィアの一員のような出で立ちだが、これでもれっきとした現職の警察官……それも警部補である。


 【ジョン・ストックトン】。その正体はマフィアなど可愛く見える人外の吸血鬼だ。そして今その怪物の腕の中で哀れな生贄・・の女性が、目だけを恐怖に見開いてブリジットに助けを求めていた。ジョンはその女性の首筋に容赦なくを突き立てる。


「……!!」

 女性の身体がビクンッと跳ねた。だが女性がどれだけ暴れてもジョンは意に介さないで容易くその抵抗を抑え込む。やがて女性の顔が恍惚とした表情に変わり、そして……そのまま身体中の血液を吸い尽くされて息絶えた。


「……っ」

 ブリジットはその光景を直視していられずに目を逸らした。しかし目を逸らした先には別の悪夢が広がっていた。



 床に全裸の女性の死体が横たわっていた。その死体に……3体の怪物が群がって頭を突っ込むようにして、肉やはらわたを一心不乱に貪っていたのだ。周囲には既に食い散らかしたらしい他の女性の無残な死体がいくつか転がっていた。


 3体のうち1体はネコ科の大型肉食獣と硬骨魚類を掛け合わせたような怪物で、頭部はまるでさめのような外観をしていた。その鮫の頭を女性の死体に突っ込んで肉を食いちぎっていた。この怪物は【フォルネウス】という名前で、ニックの可愛いペットらしい。


 もう1体は猛禽類と人間を掛け合わせたような外観の、鳥人間とでも形容すべき怪物であった。背には一対の巨大な翼を備え、手足の先には猛禽類のような鋭い鉤爪が生えている。その鉤爪で肉を引き裂き、その顔に付いたくちばしついばんでいる。 


 この怪物は最近まで名前がなく『末弟』と呼ばれていたが(何故『末弟』なのかブリジットは知らない)、最近になってニックから【スパルナ】という名前を与えられていた。


 そして最後の1体は……狼と人間が合体したような狼男であった。灰色の体毛を返り血で汚しながら他の2体に負けない勢いで死体を貪り食っていた。


 この狼男は他の2体とは違って普段は人間の姿を取っている。まだ20歳前後の美青年で、【エリオット・マイヤーズ】という名だ。人間の時はハンサムなだけでなく性格も内気で大人しく、ブリジットも彼をとても可愛く思い気に入っていた。しかしこの狼男の姿になると、他のメンバーにも劣らない残忍な怪物へと早変わりする。


 凄惨な光景と血の匂いもさる事ながら、可愛い・・・エリオットが文字通りの獣と成り果てて浅ましく死体を貪っている光景を見るのが嫌で、ブリジットは再び目を逸らした。



「……っ!!」

 そしてそこでこの地獄に於いて、更に最も不快で穢らわしい光景を見る羽目になった。


 醜い……余りにもおぞましく醜いハエと人間を掛け合わせたような怪物が、全裸の女性を組み敷いて犯していたのである。女性は猿轡のような物を嵌められ呻き声を上げるのみだが、どれほどの汚辱を感じているかはその表情と涙で一目瞭然だ。


 そしてその蝿の怪物は行為・・が終わると更におぞましい行動に出た。その醜く長い口吻・・を女性の頭に突き刺したのだ。そしてそのまま頭の中身・・・・を吸引し始めた!


「――――っ!!!」


 見るに堪えない光景にブリジットは目を瞑り耳を塞いだ。しばらくして恐る恐る目を開けると、既におぞましい行為は終わっていた。哀れな女性は目、鼻、耳そして口と、あらゆる穴からドロドロの液体を垂れ流して死んでいた。


『おや? これはミス・ラングトンではありませんか。いらしていたんですね。これは失礼。遊び・・に夢中で気付きませんでしたよ』


「…………」


 蝿の怪物は初めてブリジットに気づいたように挨拶してきたが、彼女は顔をしかめて無視した。このおぞましい怪物の正体は【ムスタファ・ケマル】という名のトルコ人で、特に美しい女性を穢す・・行為に悦びを感じている歪んだ性癖の持ち主であった。


 ブリジットに対しても危険な欲望を抱いている節があり、この怪物揃いの【悪徳郷】の中でもある意味最も油断できない危険な存在と言えた。




「……大事な話があるので全員集合という事だったけど、クリスはいないの?」


 この食堂に居るのはニックと自分を含めてこれで全員だった。ブリジットは【悪徳郷】最後の1人の姿が見えない事に気づいてニックに問いかける。


「ああ、彼ならちょっと前に――」


「――お前を尾行してる怪しい連中を探知したので捕獲しておいた」


「……っ!?」

 突然背後から聞こえてきた男の声にブリジットは驚いて振り返る。食堂の入り口に、今しがた話題に昇っていた最後のメンバー、【クリストファー・ソレンソン】が佇んでいたのだ。


 整っているがオールバックで陰気そうな顔立ちであった。その背中から何本かの長いアーム・・・が展開しておりクリスの意思に従って自在に動いていた。


 彼は一見すると人間と変わりない外見だが、実はサイボーグであった。それもかつてブリジットを殺しかけたあの『シューティングスター』の技術によって改造された、オーパーツとでも言うべき特殊なサイボーグだ。


 そしてクリスはそのアームの先に2人の男を捕らえていた。これが彼女を尾行していた連中らしい。2人は自分達を捕らえるクリスのアーム、そしてこの食堂に広がる凄惨な光景と怪物達の姿に、これ以上無いくらいに目を見開いて顔を青ざめさせていた。


 ブリジットは溜息を吐いた。


「はぁ……きっとパパラッチね。気をつけてたつもりだったのに、一体どこから尾けてたのかしら」


「パパラッチに狙われるくらいになったのは、芸能人としては目出度い事かも知れないけどね」


 ニックが苦笑しながらも彼女の顔を見据えてきた。


「でも丁度良かった。この連中は、君の覚悟・・を試すのに使えそうだね」


「覚悟?」


「そう……今日集まってもらった理由にも関わるけど、これから僕達は遂に目的・・に向けて動き出す。君にもメンバーとして協力してもらいたいけど……中途半端な好奇心だけで付いてこられると却って僕等の足を引っ張る事になりかねない。だから今ここで君の覚悟を見せてもらいたいんだ。そして君が僕達の仲間である事を証明して欲しい」


「……具体的には何をすればいいの?」


 何となく嫌な予感を覚えつつも低い声音で確認するブリジット。ニックは薄く笑った。


「簡単な事だよ。彼等の処遇・・を君に決めてもらいたいんだ」


「処遇ですって?」



「そう……彼等を殺すか助けるかの処遇をね」



「……!」


「因みに君が彼等を助けると決めたら、本当に解放する。そしてその結果どうなるかは想像付くよね?」


 まず間違いなくこの2人によってブリジットの立場は危うくなる。人外の殺人鬼達とハリウッド女優の逢瀬・・。一般人ですら口止めしておくのは難しいのに、ましてやこの2人はパパラッチだ。


 怪物というのは荒唐無稽だと否定できても、誘拐殺人犯達との関係は否定できない。ブリジットは確実に逮捕される事になる。それを防ぐには……


「ああ、因みにここに監禁しておくというのは無しだよ。ここは僕等の餌置き場・・・・だから基本的に女性しか入れないんだ。見逃すか殺すかの二択のみだ。殺す選択をした場合も君は手を汚す必要はない。あくまで決断するだけだ」


 直接は殺さなくとも、彼女の選択がこの2人の生死を決めるのだ。ニックはブリジットが自らの決断によって人を殺せるかどうかを試しているのだ。ここで決断できなければ彼女に彼等の仲間になる資格は無いという訳だ。いつしか他の怪物達も全員こちらを注目していた。



「な、なあ、頼むよ! ここで見た事は誰にも言わない。一生忘れる! だから頼む! 見逃してくれ!」


「お、俺はこんな仕事してるけど女房も子供もいるんだ! もうこんな仕事は辞めて真っ当に働く! 誓うよ! 絶対に誰にも喋らないから!」


 パパラッチの男達も自分達が助かる可能性があると知ってブリジットに命乞いしてくる。


「だそうだよ? どうする? 君が見逃すと言うなら本当に解放するけど?」


 ニックはブリジットの耳元に囁く。彼女はやや青い顔をしながらも彼等をどうするかについては既に決めていた。問題はその決断が下せるかどうかだが……


「……見くびらないで頂戴、ニック。私があなた達の仲間になったのはただの好奇心なんかじゃないわ」


 彼女は決然とした表情でニックを睨みつけた。そして短い逡巡の末、決断を下した。



「彼等は助かったら命乞いなど忘れて絶対に私の事を暴露する。……殺して」



 男達の顔が一気に青ざめて絶望に歪む。だが彼等が何か言う前に、


 ――ザシュッ!!


 クリスの6本のアームの内、ブレードとドリルのアームが2人の男をそれぞれ背後から貫いていた。両方とも正確に心臓を貫いている。


 男達がビクッビクッと身体を痙攣させる。その目から、顔から急速に命の灯火が消えていくのが解った。


「……っ」

 ブリジットは顔を青ざめさせながらも、自らの決断の結果から目を逸らす事なく見届けた。クリスがアームを引き抜くと男達の死体がドサッと床に落ちた。


「いや、素晴らしいよ、ブリジット。君の覚悟は確かに見せてもらった。君は立派な【悪徳郷】の一員だよ」


 ニックが渇いた拍手の音を立てながらブリジットの決断を讃える。彼女はかぶりを振った。


「さあ、これでいいでしょう? あなたの計画を聞かせて頂戴」


「勿論だとも。皆、聞いてくれ」


 ニックはメンバーの全員に向かって声を張り上げる。




「これまで雌伏を続けてきたが、いよいよミラーカに対して隠し通す事が限界になりつつある。そして僕等の準備も充分に整った。だから……遂に、かねてよりの僕等の悲願達成に向けて行動を起こす事にする。即ち、ミラーカを確実に排除する為の行動をね」


「……いよいよか。待ち遠しかったぜ」


 真っ先に反応したのは吸血鬼のジョンだ。その顔が抑えきれない邪悪な悦びに歪む。


 因みにブリジットは直接見た事は無かったが、ミラーカとは彼等が敵対視している女吸血鬼の事らしい。吸血鬼でありながらジョンとは異なり人間の味方であるらしく、彼女を排除する事が彼等が怪物としての自由・・を得る為の絶対条件なのだとか。


「そして排除するのはミラーカだけじゃない。彼女の仲間達・・・も確実に僕等に敵対するだろうから、ミラーカと並行して彼女達・・・の排除も狙っていく」


「……!」

 ミラーカの仲間達という言葉に強い反応を示したのはエリオットだ。前に彼から直接聞いた事があるが、同じ狼の血を引く従妹がいるらしく、その従妹もやはり人間の味方なのだとか。彼はその従妹の事を憎んでいるらしい。


「だが約束通りローラに関しては俺が貰うぞ?」


 クリスが発言する。彼はそのローラという女刑事に強い執着を抱いているらしい。ローラとミラーカという女吸血鬼は恋人同士・・・・らしく、ミラーカを排除するという利害の一致によってクリスは【悪徳郷】に加わったのだ。


「勿論解っているよ、クリス氏。彼女だけは殺さない。だがそれ以外の女達には全員死んでもらう事になる。勿論殺す前に何をするのも・・・・・・君達の自由だ」


『皆、いずれ劣らぬ美女揃いとの事。これは楽しみですねぇ!』


 ムスタファが醜い蝿の顔で含み笑いを漏らす。奴に狙われる事になる女性にブリジットは心底同情した。


「それで、具体的にはどうするの?」


「まずは彼女らを存分に引っ掻き回して混乱させてやろう。もう充分に雌伏の時は過ごした。君達は各々自分のやりたいように彼女らを挑発してくれ。その後は……」



 ニックは仲間達に自らの計画を説明していく。深夜の廃病院の一角で行われる邪悪な会合は、ムスタファの張っている結界によって外部からは一切秘匿されていた。


 そして会合を終えたメンバー達は各々の目的に向けてLAの街に散っていく。ブリジットも再び車に乗り込んで何事も無かったように帰宅していった。




 そして明くる朝。この日からが、LAを舞台とした魑魅魍魎の怪物達が互いに食い合う血みどろの宴の始まりとなるのであった……

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