Interlude:饗宴

 アメリカは中西部、ワイオミング州。全米で最も人口密度が少ない州であり、州内にいくつもの広大な自然公園を抱える風光明媚な土地柄だ。


 住んでいる住民もそんな風土を反映してか穏やかでのんびりした人間が多いと言われ、凶悪犯罪とは縁遠い場所でもあった。


 しかし……現在『シューティングスター』が暴威を振るうLAからも遠く離れたこの平和な土地で今、恐らくこの州が出来てから初めてであろう未曽有の凶悪犯罪が発生していた。



 ワイオミング州の州都シャイアン。普段は穏やかなこの街は恐怖に包まれていた。この日もまた街外れの道路脇にズタズタに引き裂かれ噛み裂かれた・・・・・・、原型を留めない無残な女性の死体が発見されたのだ。

 

 これで同じ手口の死体が、判明しているだけでも9件。被害者は十代の女子高生から三十代の主婦まで、全員若い女性だ。


 若い女性ばかりを狙った犯行。そしてまるで大型の獣に襲われたような無残な死体。それらは街の住人達に、新聞やニュースで見たとある事件を連想させた。


 2年程前に西の大都市ロサンゼルスを騒がせた悪夢の殺人鬼……『ルーガルー』を。


 『ルーガルー』事件は人知れず終息を迎えており、犯人は射殺されたと発表はされていたが、結局犯人の情報もその後公開される事は無く、不可解な謎を多く残した事件だった。


 もしかしたら警察は犯人を取り逃がした事を隠蔽する為にあのような発表をしたのではないか、そしてLAから逃れた『ルーガルー』は新たにこのシャイアンを狩場・・に選んだのではないか……。


 憶測が憶測を呼び、街はパニック寸前になっていた。ロサンゼルスやニューヨークなどの大都市とは違って、このような凶悪犯罪に慣れていないシャイアン市警はこの『ルーガルー』の再来ともいえる凶悪犯に何ら有効な対策も取れずに、日々被害者は増えていく一方であった。



 不穏な雰囲気に包まれたシャイアンの街に、2人の旅行者・・・・・・が来訪したのはそんな時であった。




「ふん、ここか……確かに居やがるなぁ。自分の『陰の気』を隠そうともせずに堂々と……。怖いもの知らずは若さの証拠かね。全く、その能天気・・・さが羨ましいぜ」


 既に日も落ちた夜の街の入り口。車から降り立った男はそう言って頭を掻きながらボヤいた。殺人鬼に怯える街には似つかわしくない、自身こそ能天気な口調。


 男はLAPDの警部補であるジョン・ストックトンであった。ネルソンによって『シューティングスター』の捜査から除外された彼は、降って湧いた休暇・・にかこつけてこの地を訪れていたのだ。その目的は……


「……しかしミスター・ジュリアーニは何故この事を知っていたのでしょう? ここはLAからも遠く離れていますし、FBIの情報だけでこの事件の犯人が人外の怪物・・・・・だとどうして解ったのでしょうか?」


 もう1人の同乗者も車から降りて、伸びをするように身体を解しながらジョンに問い掛ける。それは……かつてトルコ政府の役人であったムスタファ・ケマルだ。


 FBIに逮捕され故国から切り捨てられた彼は、ニックから貰った偽の身分証を手にしてアメリカ国民・・・・・・になりすましていた。公的・・には彼は未だに連邦刑務所に収監されている事になっている。


 ジョンは肩を竦めた。


「さあな。同盟を組んでしばらく経つが、あいつの得体の知れなさはホントに謎だよ。あいつならどこで何を知っていたとしても不思議じゃない」


「……それで納得出来てしまうのが彼の空恐ろしい所ですね」


 ムスタファが同意する。ジョンは苦笑しながら頷いて彼を促す。


「そういうこった。考えても無駄な事は考えないに限る。とりあえず奴の方針に従っとけば問題はない。考えるのはそれが得意な奴に任せて、俺達は俺達の任務・・をこなしちまおうぜ」


「そうですね。ではここからは『陰の気』を追いやすいように、窓を開けて走るとしましょうか」


 2人は再び車に乗り込むと、人気のない夜の街の中をどこへともなく走り去っていった。



****



 シャイアンの郊外は州の人口密度の少なさを反映してか、広い農地や草地が広がり家々がまばらに立ち並んでいる牧歌的な様相となっていた。家同士は密集しておらず適度な間隔を空けて建てられているので、庭や土地なども広く、家の中の物音が隣家まで届く事は殆ど無い。


「……つまりは犯行現場・・・・としてもうってつけって訳だ」


 郊外のとある一軒家の前で車から降り立ったジョンが呟く。『陰の気』を辿りながら車を走らせ行き着いたのがこの場所であった。他の家からもかなり距離があり、今のような深夜の時間帯ともなれば人や車の通りもほぼ途絶える。


「魔力からして対象・・は在宅中のようですね。もしかするとお楽しみ・・・・の最中でしょうか?」


 ムスタファも車から降りて目の前の一軒家を見上げる。ジョンは肩を竦める。


「かもな。だがそれならむしろ都合がいいってもんだ。一気に踏み込むぞ」


「おや、いきなりですか? こういう場合はまずベルを鳴らして、出てきた人物がきちんと対象かどうか確認するべきでは?」


 これが人間の警察・・・・・による通常・・の凶悪犯への捜査なら無論そうするべきだろう。だが……


「それだと確実に押し問答になるし、余計に警戒される。いくら人通りが無くて隣の家が遠いとは言っても、誰が見てるかなんて分からんし玄関先で騒ぎを起こしたくない。それに忘れたか? 俺達は人間じゃないんだ。人間のセオリーなんざ無視して、人外のセオリーって奴をこいつに教えてやるんだよ」


「……やれやれ。現職の刑事の言葉とは思えませんね」


 ムスタファは苦笑したが特に反対する事は無かった。玄関には当然鍵が掛かっていたが、ジョンが吸血鬼の膂力で強引に捻るとあっさりと破壊されて扉が開いた。



 中はやや広めの間取りだが、特筆する点もない一般的な中流家庭の内装であった。


「……いませんね。二階でしょうか?」


 ムスタファが階段を見上げる。家の中は『陰の気』が充満しており、ここにいるのは間違いないが細かい居場所の特定までは不可能だ。だがジョンは自らの知覚に反応する物を感じた。


「いや……微かだが、血の匂い・・・・が漂ってきやがるな。ここより下……地下か」


 2人の視線は地下室の入り口と思しき扉に向く。とその時、甲高い女の悲鳴と……獣の唸り声・・・・・がその扉の奥から聞こえてきた。


「……!」

 2人は目配せすると、躊躇う事無くドアを破って地下室の階段を跳ぶように駆け下りた。そしてそこで目に飛び込んできた光景は……



「お……おぉ……」


 ムスタファが感心・・したような声を上げる。地下室は一般の家庭と比べてもかなり広々とした空間であった。その地下室の壁に、手枷によって拘束された3人の若い女性いた。全員衣服をボロボロに引き裂かれた半裸姿で、目に恐怖の涙を受かべている。


 そして彼女らの前に立ちはだかるモノ……それは人間ではなかった・・・・・・・・


 その身体は灰色っぽい剛毛に覆われ、異常に長い腕、四足獣が無理やり直立したような歪な脚。四肢の先には鋭い鉤爪。そしてその頭部は……人間ではなく狼そのもの・・・・・の頭が付いていた。



 それはまさに、狼男・・としか形容しようのない怪物であった!



(あのマイヤーズ警部補……『ルーガルー』に比べると体格はヒョロい感じだな。恐らく『陰の気』も警部補に比べれば小さいな。まあ多分一般・・の人狼よりちょっと強い程度って所か)


 ジョンは冷静に分析する。『ルーガルー』事件の時にはまだ人間だったので『陰の気』を感じる事は出来なかったが、それでも何となく肌で感じるプレッシャーのような物が『ルーガルー』に比べると劣っている気がする。


 ただ比較対象がアレ・・なので劣っているとは言っても、この人狼自体はそれなりに強力な怪物のようだ。恐らく単体ならジョン達とそう変わらない位だろう。


(ま、そうじゃなきゃあのニックがわざわざご指名・・・しないだろうしな)


「よう、捜したぜ。エリオット・マイヤーズ・・・・・だな?」


 ジョンは場の雰囲気に全くそぐわない、極めて軽い調子で声を掛ける。確認の体だが、目の前の人狼の正体はニックからの情報で既に解っている。


 人狼がこちらに振り返った。その狼の瞳がジョン達を見据える。自分の姿を見ても全く恐れる様子の無い2人に戸惑っているようにも見える。


「た、助けて! こいつは化け物よ! お願い、警察を呼んでっ!」


 捕まっている女性達が、自分達を助けに来たと勘違い・・・してジョン達に必死に救援を求める。だがジョンの目線は人狼――エリオットから動かない。


「……これだけ近付けば解るよな? そう……俺達もまた人間じゃないんだよ。と言っても、お前さんと同じ人狼って訳じゃない」


 ジョンのその言葉を合図に2人は変身・・した。ジョンは皮膜翼の生えた吸血鬼の戦闘形態の姿に。ムスタファは醜い霊魔シャイターン……蝿人間の姿に。


「……グルゥッ!?」

「ひ、ひぃぃぃっっ!!?」


 恐らく自分以外に初めて人外の存在を見たのだろうエリオットが驚愕して唸る。女性達も(主にムスタファの姿を見て)引き攣ったような悲鳴を上げる。


 咄嗟に臨戦態勢に入り掛けるエリオットをジョンは手を挙げて制した。



「落ち着け、俺達は敵じゃない。むしろ味方だ。……今日はお前さんを俺達の同志・・として勧誘に来たんだよ」


「グ……?」

 エリオットが動きを止める。何を言われたか分からないと言った風情だ。


「いくらシャイアン市警が無能とは言っても、この狭い田舎町じゃそう遠くない内にお前さんの犯行だと特定されるだろうよ」


「……!」


「そうなったらどうする? 流石に1人で警察に喧嘩は売れまい? じゃあ別の街に行くか? 余所者・・・となりゃ犯行が露見するのはもっと早いだろうな」


「グゥ……」

 エリオットの唸り声が小さくなる。どうやらそこまで深く考えていなかったらしい。ムスタファも口添えする。


『今我々はLAを拠点として、ある種の同盟・・を組んでいます。人外同士の互助会とでも言いましょうか。我々以外にも何名かの同志がいます。そして我々のリーダーは非常に優れた知性と情報網の持ち主で、我々に対してLAで安全に狩り・・をする為の『狩場』を提供してくれています。その見返りとして私達は彼の目的に力を貸すという訳です』


「…………」


 いつしかエリオットは敵意の唸り声を止めて、こちらの話に聞き入っていた。ジョンが再び引き継いだ。


「ま、そういう訳だ。そしてお前さんはその俺達のリーダーの御眼鏡に適った。俺達の仲間になって共にLAに来い。LAは楽しいぞ? こんな田舎町じゃ味わえない刺激が盛り沢山だ。女だってもっと美女がより取り見取りだ」


「グ……グゥゥ……」

 エリオットが唸った。しかしそれは先程までの敵意の唸りではない。エリオットの身体が小さくなっていく。獣人化を解いたのだ。それを見て取ってジョンとムスタファも変身を解いて人間の姿に戻る。


 人間に戻ったエリオットは、意外な程若い……大学生くらいの男であった。茶色の髪は長く肩の辺りまで伸び放題となっていたが、人間の顔は線の細い中々のハンサムだ。恐らくこの顔で女性達を釣る・・事が出来ていたのだろう。



「しばらく前からこの衝動・・がどうしても止められなくなって……。本当にあんた達の仲間になれば、安全にこの衝動を発散・・できるようになるのか?」


「ああ、約束する。ただし勿論無条件じゃない。今こいつが言ったように、共通の目的・・・・・に向かって一緒に戦ってもらう事になるがな。その為の戦力としての勧誘だ」


「共通の目的?」


 エリオットの問いに頷くジョンの瞳に昏い怒りの焔が宿る。


「そうだ。甘っちょろい理想論を振りかざして、俺達に衝動を抱えたまま生きろと強制してくる人外の裏切り者がいる。俺達がやってる事が露見したらそいつとは間違いなく敵対して殺し合いになる」


「……! つまりそいつを……?」


 ジョンが再び頷く。


「ああ、力づくで排除する。その為の戦力を集めているんだ。因みにそいつにも仲間がいる。恐らくそいつらとも戦いになる可能性が高い。そしてその中には……お前さんの従妹いとこもいるはずだぞ?」


「……っ!?」

 エリオットが目を見開いた。


「彼女はお前と比べると狼の血が若干薄いようで、お前を悩ませているその衝動に苦しむ事もなく、友達や恋人に囲まれ人生を謳歌している。不公平だと思わないか? お前は衝動のせいで女達だけじゃなく、実の家族や恋人・・・・・・・までその手に掛けちまったってのに」


「……っ!!」


 エリオットが拳を握り締めて身体を震わせる。その目には先程のジョンにも劣らない昏い怒りの感情が宿っていた。そしてその瞳のままジョンを仰ぎ見る。



「……やる。あんた達の仲間になる。俺をLAに連れて行ってくれ。後悔はさせない」



「良く言った。歓迎するぜ、エリオット。LAに戻ったらおっつけ他の同志やリーダーにも紹介するよ」


 ジョンはエリオットと固く握手を交わす。呪われた【悪徳郷カコトピア】のメンバーがまた1人増えた瞬間であった。



「……話が無事に纏まって何よりです。ではここを引き払うとして……後始末・・・の方は如何致しますか?」


 それまで黙っていたムスタファが発言する。その目は先程からずっと、壁に囚われて恐怖に身を震わせている3人の哀れな女性に注がれている。ジョン達が救いの手などではなく、怪物の仲間だったと知ってより深い絶望に叩き落とされているようだ。


 ムスタファの露骨な視線と意思表示にジョンは苦笑した。


「そうだな……ここには丁度3人いる。どうだ、エリオット? 俺達の仲間になった記念だ。獲物・・も仲良く分け合おうじゃないか」


 エリオットが肩を竦める。


「ああ、構わないよ。本当は真ん中の1人だけの予定だったのに、友達らしくて目撃されちゃったから一緒に攫ってきただけだったしね。仲間になる証としてあんた達に献上・・するよ」


「そうこなくちゃ」


 そして3体の怪物は嬉々として再び変身した。女性達の恐怖と絶望の悲鳴は、地下室に阻まれ隣家まで届く事はついぞ無かった……






 翌日。シャイアン市警の裏手にあるゴミ捨て場に、3人の女性の死体が捨てられていた。


 1人は今までと同じ暫定『ルーガルー』による手口と同一の死体。しかし他の2人はこれまでとは全く異なる手口で、1人は身体中の血を完全に抜き取られた上で喉を砕かれた死体。もう1人はまるで高濃度の硫酸でも浴びたかのように、肉が溶けて骨まで剥き出しになったようなおぞましい死体であった。


 驚き慌てふためくシャイアン市警だが、何故かこの日を境にシャイアンにおける凶悪殺人はぱったりと止んだ。人々は訳が分からないながらも、再び平和が戻った事にホッと安堵の溜息を吐くのだった……


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