File33:魔神討伐

『ん? んん?』


 異変・・は唐突に起こった。一方的にミラーカとセネムを押していた炎の魔人が戸惑ったような声を上げて、その攻勢が止んだのだ。


 炎の魔人だけでなく、ローラ達も何が起きたのか解らず一瞬戸惑う。だが……


「――皆さん、今ですっ!!」

「……!」


 シャイターンに捕らわれていたはずのヴェロニカが自らの足で立って、炎の魔人に向けて両手を掲げていた。その後ろではジェシカが2体のシャイターン相手に死闘を繰り広げている。


(ジェシカ、ヴェロニカ……!)


 ローラは一瞬で状況を把握した。それはミラーカ達も同様であった。


『この……小娘がぁ……! この程度の力で僕の動きを封じたつもりかい!?』


 炎の魔人が怒りと共に魔力を高める。


「……ぅ! は、早く……もう限界です……!」


 ヴェロニカの力だけでは炎の魔人を抑え込めておける時間は長くない。早くも限界を迎えようとしていた。だが隙を作るには充分な働きであった。


 ローラは即座に『ローラ』の力を引き出す為に集中を始める。そしてミラーカとセネムは、


「はあぁぁぁっ!!」「うおおぉぉぉっ!!」


 炎の魔人が動きを止めたこの一瞬のチャンスを逃さずに、最後の力を振り絞って距離を詰めるとそれぞれの得物を炎の魔人の身体に突き立てた!


『ぬがっ!? き、さまらぁっ!!』


 ヴェロニカの力は既に破られていたが、その代わりに2人の戦士の刃が炎の魔人をその場に縫い止める。


「ローラァァァッ!!」


 ミラーカの絶叫。ローラはデザートイーグルの照準を炎の魔人に合わせる。


『……っ! き、君はまさかその銃に……!?』



 炎の魔人の動揺。ローラは『ローラ』の浄化の力を……弾丸に纏わせていた・・・・・・・・・



 上手く行くかは賭けだった。何かに纏わせられる類いの力なのかもまだ解っていないのだ。ましてや500年前には存在していなかった、神秘の力とは最もかけ離れた銃の弾丸などという物質に…… 


 だが賭けは成功した。いや、あるいは『ローラ』がこちらに合わせてくれたのかも知れない。


(『ローラ』……ありがとう!)



『や、やめろぉぉぉぉっ!!!』



 ――ドウゥゥゥゥンッ!!



 重い銃声。その瞬間、銃口から火薬とは異なる光が迸った気がした。


『お……おぉぉ……』


 炎の魔人が自らの胸に手を当てて呻く。その胸には銃弾が貫通して出来た銃創が穿たれていた。ただの銃弾では傷一つ付けられなかった身体を貫通したのだ。


 そしてその銃創から炎の魔人が持つ邪悪な魔力とは正反対の清浄な力が漏れ出る。その光はまるでひび割れのように炎の魔人の全身を駆け巡り……


『あ、あり得ない……。折角力を手に入れたのに……。この力を使って好きなようにやるはずだったのにぃぃぃぃ!!』


 その言葉を断末魔に、炎の魔人の身体は内側から爆発するようにして砕け散った!


「……!!」


 ローラも、ミラーカもセネムも……爆発から距離を取って目を覆うようにして庇った。再び視線を戻した時、そこには炎の魔人の姿は影も形もなくなっていた。



 霊王イフリート……数奇な運命を辿ったマイケル・ジョフレイ市長の最後であった。



****



『契約者が……。我が契約者が……あり得ん! このような事が……!』


 最大戦力を失ったマリードが明らかに動揺する。シャイターン達も唖然として戦いを止めていた。


 未来すら見通すこの上級魔神をして、この結末を予測できなかったのだ。最も不可解なのは女刑事ローラの見せたあの浄化の力……


 ただの人間であるはずの彼女に何故あのような力が使えるのか、マリードには理解できなかったのだ。



 ミラーカの望みを叶える・・・・・・際に、ただの幻覚や幻影では吸血鬼である彼女の感覚を欺けないと判断して、彼女の精神・・だけを実際の過去に飛ばした。


 それによってミラーカは本物・・の『ローラ』と邂逅し、結果として甘い思い出の中に浸って現実逃避してしまっていた。決して自発的に目覚める事の無い心の檻に囚われたのだ。


 そこまではマリードの狙い通りだったのだが、ローラが死神の骨を所持して過去にまで干渉できた事は完全に想定外であった。ヴラド3世の時もそうだったが、自分と同等かそれ以上の力の持ち主による干渉に対しては、マリードの予見能力が働かなくなるのだ。


 その不確定要素がこの目の前の事態を招いた。セネムが前に進み出てくる。


「さあ、貴様の切り札は滅んだぞ? 友人がメフメト2世の文献を調べて、貴様を封印する方法を発見してくれた。貴様のお遊びはこれで終わりだ、魔神よ」


『……!』


 セネムの視線は市長のデスクの端に置かれている……『魔法のランプ』に注がれていた。封印の方法を知っているという言葉は嘘ではなさそうだ。


 あのランプはどうしても自分と契約者の手元に置いておかねばならなかった。あの中にマリードの本体・・があるからだ。本体から遠く離れる事は出来ないのだ。


『おのれ……ただ黙って封印などされぬぞ。我が力の真髄を見せてやろう……!』


 マリードは両手を大きく頭上に掲げた。



****



「……っ!」


 マリードの元に凄まじい魔力が渦巻く。マリードに直接的な戦闘能力はないはずだが、これを放置するのは危険だという事だけは、ここにいる全員が本能的に理解していた。


「セネム! 奴を封印するにはどうすればいいの!?」


「あのランプだ!」


 セネムは市長のデスクにある『魔法のランプ』と思しき物体を指差す。



「願いには願いで返す! あのランプを擦って心の底から念じるのだ! 二度と現れること能わずと!」



「……!」

 ローラは弾かれたようにランプに向かって駆け出した。ミラーカとセネムも追随する。



『おのれぇ! やらせはせんぞ!』


 上半身が人間で下半身が犬の姿をしたシャイターンが、両腕が変形した銃をローラ達に向けてくる。


 右腕のハンティングライフルから強烈な銃弾が発射される。同時に左腕のアサルトライフルも火を噴いた。


「ふっ!!」「むんっ!」


 だがミラーカとセネムがローラを庇うようにその間に立ち塞がり、迫りくる銃弾を悉く斬り払っていく。



 その間にもランプに向かって駆け寄っていくローラ。だが……


『おおっと、行かせないよ?』

「……!」


 床から巨大な目の怪物が出現し、ローラの行く手を塞ぐ。そして先端に目の付いた無数の触手をローラに伸ばそうとするが……


「ガウウゥゥゥッ!!」

「あなたの相手は私達よっ!」


 ジェシカが飛び掛かり、ヴェロニカが『衝撃』を放って妨害する。


 頼もしい仲間達が作ってくれた道をローラはひた走る。そしてその手が遂に『魔法のランプ』に触れた!


 だが同時にマリードもその魔力を一気に解放した。




 ――『お前の欲する事を為せ!』




「――――っ!!?」

 ローラはその瞬間、自分の中を突き抜ける何か・・を感じた。これは……欲望や願望を無差別に増幅する思念波のような物だ。ローラは自分の中に突如湧き上がってきた危険な欲望を自覚した。


 途轍もない誘導力だ。このまま何もかも投げ打って自分の欲求に従いたい……。そんな気持ちが極限まで増幅される。ローラだけではない。ミラーカもセネムも、ジェシカやヴェロニカも皆が自分の欲望を増幅されているらしく、頭を抱えて蹲っていた。


 戦闘能力は無いと思われたマリードにこんな切り札があったとは予想外だった。だがこの力は諸刃の剣のようで、眷属のシャイターン達まで狂乱したように苦しんでいた。


 このままでは欲望を満たす事以外何も考えられなくなる。ローラは必死に己の内なる欲望と戦う。



 その時、ローラは身体の内から湧き上がってくる欲望とは別の力を感じた。『ローラ』から渡されたあの力だ。その清浄な力は、ローラの中の危険な欲望とそれに従いたくなる心を浄化し、正気を取り戻させてくれた。



「……!」

 マリードはこの思念波をローラ達だけでなく、この建物の外……つまりLAの街に対して無差別に広げようとしていた。


 こんな物が街に拡散されたら未曽有の大人災が発生する事になる。最悪都市機能が崩壊する恐れさえある。それだけは絶対に阻止しなければならない。



 ローラはランプを一心不乱に擦った。そして心の底から願う。



(二度と……現れる事、能わず! 私の……私達の前から……消えてぇぇぇぇっ!!)


『おぉ!! うおぉぉぉっ!? おおおぉあぁぁぁぁああぁぁぁっ!!!』



 奇怪な叫び声と共にマリードが苦しみ出す。頭を抱えるようにして苦しむマリードの姿が徐々に崩れて、紫色の煙へと変じていく。そして煙は一直線にランプの口の中に吸い込まれていった。


 ランプが激しく震える。全ての煙が吸い込まれると振動が収まった。そして……


「……! ランプが……」


 ローラの見ている前で真鍮製の輝くランプが見る見る内に古びていき、錆と汚れで見る影もない、みすぼらしいランプの姿へと変わってしまった。


 同時に部屋を……いや、この建物全体を覆っていた思念波と邪悪な魔力がぱったりと消失した。





「……お、収まった」

「や、やったのね、ローラ」


 うずくまっていたセネムが恐る恐るといった感じで顔を上げる。ミラーカはローラの方を向いて微笑む。ジェシカとヴェロニカも顔を上げて自分の身体を改めていた。


「ええ……皆と『ローラ』のお陰よ」


 ローラもまた微笑み返す。だが首魁のマリードが封印されても、死んだ訳ではないせいかシャイターン達は健在のままであった。


『んんーー。これはちょっと……予想外すぎる展開だねぇ』

『この場は退いた方が無難か……』


 ミラーカ達は消耗してはいるが、戦闘能力を完全に失っている訳では無い。自分達より上位の存在であったイフリートを倒したローラの能力も脅威だ。


 この状況で2対5で戦うのは分が悪いと判断したらしく、目の怪物は床に潜り込むようにして、犬の怪物は窓を叩き割って外に飛び出して退散していった。


「待て……! く、逃がしたか……」


 セネムが悔し気に唸る。彼女を含めて全員がかなり消耗しており、とても追撃する余裕は無い。


「……とりあえず今は放っておくしかないわね。どの道マリードや市長が倒れた今、大した悪事は働けないでしょう。それでもまた悪さをするようなら、その時改めて退治すればいいわ」


 ミラーカが疲れきった表情でかぶりを振った。とりあえずこの状況ではそうする以外に選択肢が無いのは確かだった。


「ふぅ……そうだな。大いなる邪悪は打ち払われたのだ。とりあえずはそれで良しとするしかないか」


 セネムも渋々ではあるが納得してくれた。



「……皆。今回は私の個人的感情で、本当に皆に迷惑を掛けてしまったわ。謝って済む問題じゃないけど、それでも謝らせて。本当に……ごめんなさい」



 ミラーカが立ち上がると、ローラを含めて全員に謝罪した。ローラは既にあの修道院で謝罪を受け、自分の怒りもぶつけ、気持ちの整理は済んでいた。だが……


「そう……ですね。ミラーカさんの事情は理解しましたし、私達の事はいいです。でもローラさんを悲しませた事は許せません。ローラさんがどれだけショックを受けていたか、知っているんですか?」


 ヴェロニカが表情を殺して立ち上がった。


「それは……いいえ、知らないわ」


 ミラーカは切なげに表情を歪めるが、それでも一切言い訳をせずにヴェロニカの怒りを受け止める。


「だったら教えてやるよ……」


 獣化を解いて人間に戻っていたジェシカもユラっと立ち上がった。そして拳を握りしめる。


「歯ぁ食い縛れよ!」


 ――バキィッ!!


 鈍い殴打音が響いた。頬を殴られたミラーカがよろける。避けようと思えば避けられたはずだが、敢えて避けなかったのだ。


「……ホントは100発殴る予定だったけど、何か知らねぇけどローラさんがアンタの事を許してるみたいだから1発で勘弁してやるぜ」


「……ありがとう、ジェシカ」


「アタシじゃなくてローラさんの慈悲深い心に感謝しな」


 ミラーカが目を伏せる。厳しい表情でそれを見ていたヴェロニカも頷いた。


「ミラーカさん。今ここで二度とローラさんにあんな思いをさせないって誓えますか?」


「ええ……誓うわ」


「だったら私もあなたを許します。今の誓いを忘れないで下さいね」


 ヴェロニカが表情を緩めた。息を詰めて今の一幕を見守っていたローラも、肩の力を抜いてホッと息を吐いた。




 セネムが咳払いして話題を変えた。


「おほん! ……このランプは私が『結社』に持ち帰ろう。結社からトルコ政府に交渉してもらって、こちらの方で厳重に管理できるよう提案してみるつもりだ」


「そうして貰えると助かるわ。……でもそれなら向こうに帰る事になるのよね?」


 セネムは元々マリードを封印もしくは浄化する為にアメリカを訪れたのだ。その目的が果たされた今、ここに留まる理由はない。


 頭では解っていたが、ローラとしてはやはり寂しかった。セネムは今や自分達の立派な仲間であった。それに今後も人外の怪物に襲われる可能性がある事を考えると、彼女は非常に心強い味方でもある。


 それはローラだけでなくミラーカ達にしても同様であった。


「そう、ね。正直あなたは頼れる戦友・・だったわ」


 戦友……つまりは対等の力の持ち主だと認めたのだ。それはプライドの高いミラーカからすると最大級の賛辞であった。


「セネムさん、帰っちまうのか!?」

「可能であれば、今後も力を貸して頂く訳には行きませんか……?」


 ジェシカとヴェロニカも勿論セネムを心強い仲間だと認めていた。4人からの視線を受けてセネムが若干瞳を潤ませる。


「み、皆……そう言ってくれて嬉しい。私もこの街でのみ様々な邪悪が発生する理由に興味がある。また今後も邪悪が発生する可能性があるなら、それらの討伐の為、そして君達の力になる為に是非ともこの力を役立てたいとも思う」


 セネムはその瞳に強い力を宿らせる。


「このランプを持ち帰り、そして結社の説得の為に一度はテヘランに帰るが……必ず再びこの街に戻る事を約束する。その時はまた私を受け入れてくれるだろうか?」


 逆にセネムから問われ、ローラは力強く頷いた。


「勿論よ! あなたはもう私達の仲間なんだから、いつでも大歓迎よ! 必ず戻ってきて」


 手を差し出す。


「ありがとう、ローラ。ありがとう、皆!」


 セネムもその手を握り返した。女達の間で固い友情と信頼が結ばれた瞬間だった。




****




 こうして『ディザイアシンドローム』事件は人知れず幕を下ろした。セネムはイランへと帰国し、ローラ達もまた日常へと戻っていった。


 続報としてクレアから、ランプを持ち出したトルコの役人ムスタファ・ケマルを逮捕した旨を知らされた。やはり賄賂を受け取ってランプの持ち出しを進めていたようで、収賄の容疑でトルコからの逮捕の許可も取れたとの事。取り調べは主にニックが担当したらしい。


 ローラからの報告を受けて、ジョンは『ディザイアシンドローム』の終息を正式に発表した。ローラは無事に退院したリンファと共に、刑事として通常・・の事件捜査に精を出す日々に戻った。



 だがミラーカも気にしてはいたのだが、逃げた2体のシャイターン……デリックとフランシスの行方は杳として知れず、その後彼等の仕業と思われるような事件も発生する事は無かった……

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