File27:深謀の悪魔

 その夜、ホテルを出たムスタファはレンタカーに乗り込むとどこかへと走り出した。張り込んでいたニックはジョンと連れ立って車に乗り込みその後を追跡していく。


 ムスタファの運転する車は街から遠ざかって西に向かっていく。サンタモニカを通り過ぎ、そのまま北に進路を向ける。この先にはトッパンガ州立公園を中心とした広大な自然公園が広がっており……夜ともなれば闇に包まれた山野に人の気配は完全に途絶える。


「……おい」


「ああ、気付かれてるね。遠慮なくご招待・・・に応じるとしようか」


 そのまま車を走らせると、やがて開けた空き地のようなスペースに出た。周囲は生い茂る草木ばかりだ。つまりはおあつらえ向き・・・・・・・という訳だ。


 先にここまで来たムスタファの車が停まっており、彼は既に車から降りて待ち構えていた。ニック達も車を停めると躊躇う事なく車外へ出る。



「やあ、いい夜だね、ミスター・ケマル」


「あなた達は何者です? 私に何の用ですか?」


 流暢な英語で質問するムスタファ。


「おっと、これは失礼。僕はFBI捜査官のニコラス・ジュリアーニ。こっちはLAPDの警部補ジョン・ストックトンだ」


 名乗るとムスタファの眉がピクッと上がる。


「FBIとLAPDの仲が良いとは知りませんでした。いずれにせよこの国の司法に目を付けられる覚えはありませんが?」


「ミスター・ケマル。お互いに余計な前置きはなしにしようじゃないか。君は『ディザイアシンドローム』……つまりジョフレイ市長とそのバックに居る『ランプの精霊』と繋がりがある。そうだね?」


「……! あなたは……」


 ムスタファの目付きが変わる。だがニックは構わずに話を続ける。


「精霊が封じられていたランプはまだ持っているのかい? 『ディザイアシンドローム』の力の詳細や精霊の正体など、色々話を聞かせて欲しいんだよ」


 ムスタファは視線を下げて俯いたと思うと、肩を震わせて笑った。


「く……ふふふ、あなた達はどうも知りすぎてしまっているようですね。ならその口を封じさせてもらいます。永遠にね……」


「……!」



 ムスタファのその言葉と共に、ニック達の周囲を何かが取り囲んだ。鉤爪の生えた異様に長い手足が蜘蛛を連想させる醜い人型の怪物達だ。優に20体以上はいる。



「これは魔神の尖兵……霊鬼ジャーンです。今更後悔しても遅いです……よ?」


 そこまで言ったムスタファは、ジャーンに取り囲まれて絶体絶命のはずのニックとジョンが、全く落ち着き払っているのに気付いた。



「こいつら自由に呼び出せるのか? だとするとグールや〈信徒〉よりも使い勝手はいいかもな」


「どうだろうね? 個体としての強さや汎用性にもよるだろうけど。いずれにしても興味深いね」


 まるで野球観戦でもしているかのような気軽さで雑談する2人。奇怪な怪物に囲まれているという緊張感は微塵もない。


「……どうやら自分達の置かれた状況が解っていないようですね。殺しなさいっ!!」


 目を細めたムスタファが叫ぶと、ジャーン達が一斉に襲いかかってきた。ジャーンの鉤爪が振るわれるがジョンはそれを容易く避けると、


「むん!」


 いつの間にかその手に握っていたサーベルのような武器をジャーンの頭に叩きつける。魔力を帯びたサーベルはまるでケーキのスポンジに入れられるナイフのように、ジャーンを身体を抵抗なく両断した。


 ニックは片手を突き出すと、そこから砂の弾丸が勢いよく射出された。拳銃弾程度なら通さないはずのジャーンの肉体をあっさりと貫通して消滅させていく。すると真後ろから飛びかかってくる個体が。


「ふっ!」


 ニックは素早く向きを反転させる。その右手には砂で形作られた剣が握られており、すれ違いざまに一閃。やはりジャーンを容易く裁断していた。



 2人は生け垣の剪定のような気軽さで次々とジャーン達を刈り取っていく。程なくして20体はいたと思われるジャーン達は残らず殲滅されていた。



「ぬ……ぬ……あなた達、一体何者ですか? その力、明らかに人間ではありませんね?」


 ムスタファの唸るような問いにニックは肩をすくめた。


「そういう君も既に人間を辞めているようだけど……自分達だけが特別だと思わない方がいいよ?」


「……! く、ふふ……調子に乗るのもそこまでです。私がマリード様から授かった力を見せてあげましょう……!」


 ムスタファが不敵に嗤いながら両手を広げる。だがニックは別の事柄が気になっていた。


マリード様・・・・・、ね……)


 博識なニックはそれだけで『ランプの精霊』の正体を看破していた。その間にムスタファが変化・・を完了させていた。



「こいつは……」


 ジョンが目を瞠る。それは一言で表すなら、蝿人間・・・といった所か。


 蝿を人間サイズまで巨大化させたような醜い頭部。その身体も人間としてのシルエットは保ちながらも、節や体毛に覆われた昆虫めいた外見に変わっていた。脇腹からは昆虫の脚を思わせる触腕のような物が生えている。


 そして背中にはやはり蝿のそれを巨大化させたようなキチン質の虫翅が備わっていた。人間の四肢の先には、蝿にはない鋭い鉤爪のような物が確認できた。



「んー……中々インパクトのある外見だね。さしずめ『ザ・フライ』の現代風アレンジバージョンという所かな? 余り『ランプの精霊』には似つかわしくない姿だね」


『……我々霊魔シャイターンは個々に抱いている欲望が反映された姿となるのです。私は美しい女を穢すのが大好きでしてね。トルコでは数多くの女を人知れず陵辱してきましたが、何か一つ物足りませんでした。それが何だったのか、この姿になってようやく理解できたのです』


 ムスタファ――蝿の怪物は自分の両手を目の前に掲げた。


『この姿と力を授かってから、既に何人もの女を攫い穢してやりました。女共の恐怖と嫌悪に引き攣る表情を見て私は自分の内に秘めた欲望を自覚しました。即ち醜いもので美しいものを穢したいという欲望を……!』


 その時の光景を思い出したのか、蝿の怪物が恍惚とした口調になる。ジョンがかぶりを振った。


「やれやれ、予想以上の変態野郎だな。ニック、本当にこいつで良いのか・・・・・・・・?」


「ああ。むしろ僕達の目的にとっては都合が良いくらいだよ。ローラ達の事を教えてやるだけでも色々と御しやすそうだ」


 ニックが苦笑しながら頷いた。


『何の話をしているのです? 私の力は女を穢すだけではありませんよ。余裕ぶっていられるのも今の内――』



 ムスタファがごちゃごちゃ喋っている内に、ニックとジョンが変身・・した。


 ニックは皮膚がボロボロに崩れて乾燥し、目や鼻が削げ落ちた恐ろしげなミイラ……〈従者〉の姿に。そしてジョンは髪が逆立ち、目が赤く発光し、背中から黒い被膜翼が飛び出した戦闘形態に。


 変わったのは姿だけでなく、発散される魔力も格段に上昇している。



『何……!? これは……吸血鬼にミイラ男!? こんな奴等が存在するとは……一体何の冗談ですか?』


「少なくとも蝿の化け物には言われたくねぇな」


 ジョンも苦笑しつつ翼をはためかせる。既に臨戦態勢だ。


『……面白い。吸血鬼だかミイラ男だか知りませんが、霊魔シャイターンとなった私の敵ではありません。まとめて片付けてあげましょう』


 同じく臨戦態勢となった蝿の怪物がその虫翅を広げて威嚇するような動作を取る。同時にその身体から発せられる魔力が上昇した。


 ニックは冷静にシャイターンとやらの『陰の気』は、自分達と同等程度だと判断した。即ち2対1であればこちらが有利という事だ。だがあくまで有利というだけだ。絶対ではない。


 それでは駄目だ。絶対でなければ駄目なのだ。



『なるほど……中々の力だね。素晴らしい。ならこっちも援軍・・を呼ばせてもらおうかな』



 なのでニックはここで温存・・していた『手札』を切る事にした。合図の魔力を送る。すると即座に反応があった。


 ――ビシュッ! ビシュッ!


『ぬ……!?』


 夜の闇を割って何かが飛来する音。蝿の怪物は素早く反応してそれを躱した。足元に突き立ったのは長い……生体毒針・・・・


『何者です!』


 その誰何に答えた訳でもないだろうが、毒針を打ち込んだと思われる存在がニック達の後ろの闇からヌッと姿を現した。


 それは一見・・、大型ネコ科の四足獣のシルエットを持っていた。大きさは成体のライオンほどもあるだろうか。だがその獣には本来哺乳類が備えているはずの体毛の類いが一切なく、代わりにまるで硬骨魚類のような鱗がその身体を覆っていたのだ。四肢の先も水かきに鋭い爪が付いたような形状になっていた。


 そして更に驚くべき事に、その頭部は鮫に似た形状をしていた。鮫と硬骨魚とそして大型のネコ科が融合したような……奇っ怪な四足獣の姿がそこにあった!


『な……』



『紹介しよう。僕の可愛いペットの『フォルネウス』だ。ペットとは言っても、その力は僕達にも引けは取らないよ?』



『……!』


 ニックの言葉は事実で、水陸両用の四足獣――フォルネウスから発せられる『陰の気』は彼等に劣らない程の大きさだ。蝿の怪物からしてみれば、いきなり強敵がもう一体増えたような物だ。


 動揺する蝿の怪物だが、そこに更なるダメ押しが……



 ――大気を切り裂くような鋭い音。今度は上から・・・何かが迫ってきた。



『チィっ!』

 蝿の怪物が大きく飛び退ると、半月状の刃・・・・・のような物が彼の後ろに立っていた木の幹を綺麗に輪切りにした。


 同時に上空から翼の羽ばたくような音と共に、『ソレ』が姿を現した。まず目につくのは巨大な猛禽類・・・の翼。差し渡しで12、3フィートは確実にありそうな巨大な翼だ。


 そしてその翼をはためかせているのは、やはり猛禽と人間が融合したような外観の、堂々たる体躯の鳥人間・・・とでも形容すべき存在であった。


 その顔も嘴を備えた鳥に近い形状の物で、頭頂部にはまるで鶏冠とさかのように赤い羽毛が逆立っていた。



『彼も僕達の同志で、名前はないけど便宜上『末弟』と呼んでいる。勿論僕達の弟って意味じゃないよ?』



『……ッ!』


 地面に降り立った鳥人間――『末弟』を紹介するニックの軽口に反応するような余裕は、最早蝿の怪物には無かった。新たに出現した『末弟』とやらの『陰の気』は、ニック達と同等か下手するとそれ以上だ。



 フォルネウスと『末弟』……。これこそが、かつてその存在を知ったジョンが勝利を確信したニックの隠し玉・・・であった。




 かつてローラが『ディープ・ワン』事件や『エーリアル』事件の事後処理を、友人であるクレアに頼んでいた事がニックにとってプラスに働いた。


 彼はFBIに押収されたエルンストの研究資料を独自に読み解き、『完成品』を再現する事に成功していたのだ。〈従者〉の力を手に入れた後、彼はカナダに赴き成体のピューマを捕獲して『完成品』を投与したのである。


 その結果誕生したのがこのフォルネウスだ。人間に投与する事のリスクは『ディープ・ワン』自身が証明してくれていた。フォルネウスの『陰の気』は『ディープ・ワン』より落ちるが、ニックはそれよりも確実な忠誠心の方を優先した。



 そして可能なら見つけたいくらいの気持ちで、エンジェルス国立公園での『エーリアル』の巣の捜索に加わっていたニックは、運良く捜索隊に発見される前に『エーリアル』の巣を先んじて発見。『エーリアル』の卵を一つだけ見つからない場所に隠しておいたのだ。


 その後生まれた『子供』を保護し、人間に見つからない方法での『狩り』の仕方を教え、手懐ける事に成功していた。『末弟』が生まれた際に最初に見た者がニックであった事も影響しているようだ。


 鳥の雛のインプリンティングに近い現象によって、『末弟』は自由意志を持ちつつもニックに従うようになった。


 そして完全に長じた『末弟』は、かつてミラーカを追い込んだ『長男』に等しい力を既に身に付けていた。




『さて、どうする、ミスター・ケマル? この状況でもまだ君に勝ち目があると思うかな?』


『ぬ……ぬ……』


 ミイラ男のニック。吸血鬼のジョン。半魚半獣のフォルネウス。そして鳥人の『末弟』……。


 1体でも厄介な魔物達が4体も徒党を組んでいるのだ。如何に霊魔シャイターンとしての力に自信があるとは言え、この状況で勝てると思うほど蝿の怪物もお目出度くはなかった。



『……何故問答無用で襲いかかって来ないのです? 何が望みですか?』


 自身の敗北を認めた蝿の怪物が問う。それを聞いたニックは作戦の成功を確信した。


『君の主の……マリードやジョフレイ市長の事だけど……。僕の予感が正しければ、恐らく彼等は直近の内に滅びる事になる』


『何ぃ……!?』

 蝿の怪物が目を剥いた。といっても蝿の顔なので傍目には分からなかったが。


『間違いない。それがどんな手段による物かは分からないけど……。確実に彼等は封印なり消滅なりを免れないはずだよ』


 それが今までのローラやミラーカ達の足跡を調べてきた上でのニックの結論であった。確かにマリードや市長の力は強大だろう。だが強大というならこれまでの敵も皆そうだった。しかしヴラドもメネスも、他の魔物達も……全ては結果が証明している。


 マリードもまたその連鎖・・を断ち切れるような存在ではない。ニックはそう確信していた。


『仮にあなたの言う通りになるとして……それを私に話す意図は?』



『簡単な事さ。君を同志として迎え入れたいんだよ。僕達の……【悪徳郷カコトピア】のメンバーの一員として、ね』



『……!? カ、【悪徳郷カコトピア】? つ、つまり私にあなた達の仲間になれという事ですか!? 何の為に!? 既にこれだけの戦力を有しておきながら……』


『これでもまだ足りないからだよ。近い内に君の主のマリードを打倒する者達……。彼女ら・・・を排除する事が僕らの当面の目標でね。君の主にも打ち勝つような相手だよ? 戦力はあればあるだけいいに決まっている』


『…………』


 蝿の怪物は考え込むような動作を取った。ここで考え込む時点で、ほぼ交渉・・は成功と見て良いだろう。


『……正直マリード様が滅びるなどと言われて、素直にそれを信じる事は不可能です。もし本当にあなたの言う通りその者達がマリード様を滅ぼすような事があれば……その時はあなた方と手を組む事もやぶさかではありません。今はそれしか言えません』


 この反応は予想できていた。というか妥当な落とし所だろう。そしてニックはローラ達が勝利する事を確信していた。


『ああ、それで構わないさ。僕の言葉が正しかったとすぐに解るだろうからね。それまでは【仮契約】という事で一つよろしく頼むよ』


『ええ、いいでしょう……』


 ニックが差し出してきた手を、蝿の怪物はやや警戒しながらも握った。ミイラと蝿の化け物の握手である。見ていたジョンがウェッと何かを吐き出す仕草をした。



『さて、話が纏まった所で君が持つ情報やなんやを、大人しく待っている僕の可愛い相棒に話してあげて欲しいんだ。一応必ず成果を持ってくるって約束しちゃったからね』


『ほぅ……可愛い相棒……。女性ですか?』


『え? ああ、まあ……ね。一応言っとくけど、彼女には手を出さないようにね?』


 ニックが念を押すと、蝿の怪物は両手を上げて『降参』のポーズを取った。


『そういう事であれば手は出しませんとも。美人とお話が出来るだけでも充分ですよ』



 こうして闇に蠢く魔物達の跳梁はひとまず幕を下ろした。次々と現れる怪物達以外にも自分達を虎視眈々と狙っている存在が、すぐ側で大きな力を蓄えつつある事をローラ達はまだ知らない……

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