File26:蠢動せし闇

 あの『作戦会議』からクレアはトルコの文化観光省の役人、ムスタファ・ケマルという男の行方を追っていた。詳しく調べてみると表向きはトルコに帰国したはずなのに、その後もLAに留まっている事が判明した。しかも何度かLA市庁舎にも出入りしている姿が目撃されていた。


「ふむ……市庁舎といえば、君達が『ディザイアシンドローム』の主犯だと睨んでいるジョフレイ市長がいる場所だよね? 博物館のPRの件でも彼はジョフレイと関わりがあった。そしてトルコに帰るといいながら、実際には居残って市庁舎に出入りもしている……。彼がジョフレイ市長と何らかの関わりを保っているのは間違いないようだね」


 クレアと共にムスタファの調査に当たっているニックが、顎に手を当てて考え込むようなポーズでそんな風に結論付けた。



 2人はムスタファが滞在していると思われる郊外のホテルを突き止め、そのホテルの入り口を見張れる位置にあるダイナーで食事がてら張り込みをしていた。


「そう、ね……。何とかして任意同行させる手段はないかしら。ランプの事も含めて彼には聞きたい事が沢山あるのよ」


 もしかしたらジョフレイの能力の詳細や、討伐・・の手がかりとなる情報もあるかも知れない。


「ジョフレイの事だけじゃない。ミラーカが睨んだ通り、彼のバックには恐らく『ランプの精霊』がいる可能性が高い。その辺の話も詳しく聞いてみたい所だね」


 ニックの声には抑えきれない好奇心のような物がにじみ出ていた。クレアは溜息を吐いた。ニックは正直切れ者だし、頼りになるのは間違いない。だがこの不謹慎とも言える好奇心や探求心が玉に瑕であった。


(……その頭脳をもっと真面目に犯罪検挙の為に活かしてくれれば言う事ないのにね)


 だがこの好奇心や探求心があったからこそ、失態から局内で孤立していたクレアは救われたという面もあるので余り邪険にもできない。



「まあ何でもいいけど、まずは話ができる所まで持っていかないとね」


 当然だが映画やドラマの中のFBIやCIAのように、人知れず強引に拉致してしまうという事はできない。あんなものは陰謀論めいたフィクションの中だけの話だ。


 何か軽犯罪をでっち上げて任意同行というのもマズい。相手は曲がりなりにもトルコの役人なのだ。下手をすると国際的な問題となってしまう。彼は何か具体的に法を犯したという訳ではない為、トルコ側にあれやこれやと確認する事も出来ない。


 何とも頭の痛い問題であった。そう思っているとニックが再び考え込むようなポーズを取った。


「ふむ、そういう事なら……手がない事もないよ?」


「え?」

 思わず顔を上げると、ニックは意味ありげに微笑んでいた。


「僕にちょっと考えがあるんだ。ただし少々危険を伴う・・・・・から僕に任せて欲しいんだ。君は朗報を待っていてくれ」


「え……き、危険って……」


「ミスター・ケマルはジョフレイ市長と繋がっている可能性が高い。となると不用意に彼と接触すれば、こちらが『ディザイアシンドローム』の標的になる事もあり得るからね」


「……! ま、まさか、あなた……」


 ニックは不敵に微笑んだ表情のまま頷いた。


「東洋の諺に『藪をつついて蛇を出す』という物がある。任意同行できる理由が無いのなら、彼自身にその理由を作ってもらえばいい」


「……っ!」

 つまり自らを囮にするという訳か。クレアは思わずテーブルから身を乗り出していた。


「そ、そんな……危険すぎるわ! 『ディザイアシンドローム』が具体的にどんな力かも解っていないのよ!?」


「おや? 君がそんな風に僕を心配してくれるとは、光栄の至りだね」


「ふざけてる場合じゃ――」


「――僕は至って真剣だよ。これしか方法はないんだ。僕は僕の好奇心を満たす為なら、自分の命だって賭けられるよ」


「……!」


 ニックは笑みを引っ込めて、言葉通り真剣そのものな目でクレアを見据えてきた。クレアは急に落ち着かない気持ちになった。


「そ、それなら、私も……」


「いや、駄目だ。これは僕の我が儘みたいな物だからね。それに君を巻き込みたくない。明らかな危険があると解っていれば尚更ね。どうか僕を信じて待っていて欲しい」


「ニ、ニック……」


 滅多にない真剣な目で見つめられ、我が身を案じられ、クレアは自分の耳が赤くなり胸の動悸が早くなるのを自覚した。


 彼はまじめな顔をしていれば、見てくれ・・・・はすこぶるいい男であった。はっきり言えば、かなりクレアの好みに合致していた。それでいて頭が切れ、度胸もあり、ユーモアのセンスもあって話していて退屈しない。身なりも良くファッションのセンスも悪くない。


(……認めるしかないわね)


 組んで最初の頃はその言動が鼻に付いたりもしたが、今ではすっかり彼を男性として意識してしまっている事を。



 そしてそんな内心惚れている男性からこのような視線や言葉を投げ掛けられて、クレアは容易く平静さを失ってしまう。


「わ、解ったわ……。でも……必ず無事に戻ってきて」


 愛しい男を信じて帰りを待つ女……。そのシチュエーションに酔ったクレアは、それ以上の疑問を抱く事なくニックに任せる選択をしてしまった。また一応、ニックなら勝算のない賭けはしないはずだという理解もあったので、それを言い訳・・・にしてもいた。


「ありがとう、クレア。約束するよ」


 ニックは身を乗り出して……彼女の頬にキスをした。


「……ッ!」

 クレアはビクッと身体を震わせたが、やはりそれを拒む事はなかった。


 ここで彼女がムスタファへの対処をニックに一任してしまった事が、後になってローラやミラーカ達をより追い詰めてしまう結果となるのだが、当然それはまだクレアには知る由もない事であった……




*****




 それは丁度市庁舎でセネム達の死闘が繰り広げられていた頃……



 どことも知れない闇の中に蠢く、複数の魔物の存在があった。


「なるほどな……。それで俺達・・を呼び集めたって訳か」


 その魔物の内の1体が納得したように腕を組む。その魔物は……吸血鬼のジョンであった。


「ああ。僕の予想が正しければミスター・ケマルは恐らく魔の存在・・・・と化しているだろうからね」


 集団・・の中心にいる魔物が頷く。それは……ミイラ男となったニックである。


「つまりは俺達の同類って訳だ」


 ジョンの呟きにニックは苦笑しながら再び頷く。


「そうだね。だからこそ穏便な話し合いでは絶対解決できない。君達に来てもらったのは、相手がどんな力を持っているか未知数が故の準備という事だね。東洋の諺に『備えあれば憂いなし』という物があるが、まさにそれさ」


「カーミラの件にしてもそうだが、本当に慎重な奴だな」


 ジョンの若干呆れたような言葉に、ニックは肩をすくめた。


「これも東洋の諺だけど、『石橋を叩いて渡る』というヤツさ。そして今回の作戦はその一環となるはずだ」


「へいへい。ま、ここまで来て今更お前の方針を疑っちゃいないよ。……それじゃ、やるんならさっさと始めようぜ?」


「そうだね。じゃあ手筈通りに行こうか」


 そうして魔物達は夜の闇へと躍り出ていった。

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