File22:アイ・オブ・ザ・シャイターン

 その後も散発的に襲ってくるジャーンの群れを蹴散らしながら市庁舎内を踏破していく3人だが、『異変』は着実に忍び寄っていた。


 遂に市長室がある最上階のフロアに辿り着いた3人は、ドアを開けて一気にフロアへ躍り出た。そこで気付いた。


「……ジェシー? セネムさん?」


 いつの間にか2人の姿が消えていた。ヴェロニカは戸惑って名前を呼ぶが返事はない。それどころか、たった今潜ってきたはずのドアが跡形もなく消え去って、ただの壁と化していたのだ。


「……!」

 脳にチラつくような微かな違和感。


(空間が……歪められている!?)


 恐らく入ってきたドアがその境界線だったのだろう。何らかの手段によって3人は一瞬にして分断させられた。今頃はジェシカもセネムも同じように単身になっている事だろう。


「…………」


 閉じ込められた事を認識したヴェロニカだが、どの道後に引く気はない。先へ進むのみだ。廊下も曲がり角が入り組んだ複雑な迷宮へと変化していた。


 途上の部屋や曲がり角の先からジャーンが襲い掛かってくるが、この程度の数ならヴェロニカ1人でも対処は可能だ。『衝撃』や『弾丸』を使って排除しながら先へ進んでいくと、やがて広めのスペースに行き当たった。部屋ではなく、いくつかの廊下が重なり合って出来た間隙のようであった。


「……!」



「やあやあ、よくここまで来たね。大したものだ」



 そのスペースの中央に一人の男が佇んでいた。。ジョフレイ市長ではない。もう少し若い……20代後半から30前半くらいの年代の、崩れたスーツ姿で軽薄そうな印象の男であった。


「皆美人だけど、特に君が好みだったんだ。市長も粋な計らいをしてくれるね」


 男は外見通りの軽薄そうな口調で、舐めまわすような視線をヴェロニカの顔や身体に向けてきた。


「……何ですか、あなたは? 私は急いでるんです。そこを通してもらえませんか?」


 男の視線に鳥肌が立つようなおぞましさを覚えながら、ヴェロニカは気付かれないように『力』を溜める。



「おっと、これは失礼。僕はここの総務部の行政管理係、デリック・アンダーウッドだ。市長から君をもてなす・・・・よう仰せつかったんだ。以後お見知りおきを」



 男――デリックそう言って慇懃にお辞儀をした。やはり市長の部下であるのは間違いないようだ。この局面で出てくる事、そしてこの男から感じる邪悪な気からして、セネムが言っていた霊魔シャイターンとやらだろう。


 であるなら遠慮する必要などない。ヴェロニカは問答無用で『衝撃』を放った。


「おほう!? いや、積極的な女性は嫌いじゃないよ、うん!」


 デリックは珍妙な叫びを上げながら、しかし余裕を持って『衝撃』を躱した。


「く……!」

 ヴェロニカは追撃の『衝撃』を放つと今度はヒットした。デリックはそのままスペースの壁際まで吹き飛んだ。しかしそこで奇妙な事が起こった。


 壁に激突したデリックはそのまま崩れ落ちたりバウンドする事もなく、何と壁にくっついたまま身体が壁に飲み込まれていくではないか!


「なっ!?」

 ヴェロニカが目を瞠る前で、デリックの身体は完全に廊下の壁に埋没してしまった。


(倒した!? いや、それはあり得ない!)


 この場に満ちる『陰の気』はいささかも減じていない。間違いなくデリックは何のダメージも負っていない。という事は……



『んー……君は髪型をアップにした方が似合うね。君の綺麗なうなじが良く引き立つ』



「……っ!?」


 後頭部のすぐ間近で視線のような物を感じ、ヴェロニカは慌てて振り向いた。そして更に驚愕に顔を歪める事になった。


 ――壁から巨大な『目』が生えていた・・・・・。黒っぽい触手のような物が壁から生えて、その先端に人間そっくりの目が備わっていたのだ。


「くっ!」

 ヴェロニカは咄嗟に『衝撃』を叩きつけると、『目』はすぐに壁に引っ込んだ。そして……


『ほぅほぅ……スカートの中は意外と大胆な下着だな。色は赤か』


「な……」


『バストも申し分ない大きさだ。張りがあって型崩れしていない理想的なライン。素晴らしい』


「!?」


 床からも他の壁からも『目』が伸びていた。いや、それだけではない。天井からもだ。あちこちから無数の『目』が突き出して、その全てがヴェロニカに好色な視線を向けてくるのだ。


「ひっ……!?」

 思わず息を呑んで後ずさってしまう。『目』が距離を詰めてくる。



『ああ、いいね。その恐怖の表情、最高だよ』

『怯えて泣く時はどんな声で啼いてくれるのかな?』

『君の程よく引き締まった脚に見惚れてしまったよ』

『何かスポーツをやってるのかい?』

『そう言えばバストも上向きで均整が取れて……』

『中々感度が良さそうだ……』



 ノイズとなって迫る目の怪物の声がヴェロニカを精神的に追い詰める。


「や、や、やめてぇぇぇっ!!」


 広範囲の『衝撃』を放つ。『目』が一斉に仰け反る。その隙を突いて一気に駆け出すヴェロニカ。こんな気持ち悪い奴に一秒でも関わりたくない。だが迷宮と化した廊下は走れど走れど終わりが見えない。そして……


『酷いなぁ。いきなり引っ叩いて逃げ出すなんて』

『そう言えば君の名前を聞いてなかったね?』

『電話番号とメールアドレスも教えてよ』


「……ッ!!」


 行く手の壁に複数の『目』が生えてきた。ヴェロニカは咄嗟に『衝撃』を叩きつけようとして……


「うっ……!?」


 走っている足を急に何かに捕まれて、思わずつんのめるようにして転倒してしまう。足に触手が巻き付いていた。勿論先端には『目』が付いていて、ヴェロニカの顔を見つめてくる。


(し、しまった……!)


 身体に完全に密着されると『障壁』で弾く事が出来ない。勿論自分の身体に向かって『衝撃』も放てない。彼女は咄嗟に念動力で触手を外そうと試みるが、


「くぅ……!」


 床から他にも触手が生えてきて、彼女の手足を全て拘束してしまう。締め付けの苦痛で集中力が乱され、念力を発動できない。そのまま四肢を広げられ中空に磔にされる。


『んんー……やっと捕まえたよ、お姫様?』


「……!」



 言葉と共に……床からせり上がってくるものがあった。それは一見すると黒っぽい色の巨大なボールに見えた。だが、違う。そのボールの前面には恐ろしく巨大な一つ目が付いていたのだ。黒いひび割れた皮膚――瞼に覆われた巨大な一つ目……。それがデリックの変身した霊魔シャイターンとしての姿であったのだ。



(ビ、ビボルダー……!?)


 それは某TRPGに登場する有名モンスターに酷似した姿だった。


 目の怪物の直径・・は10フィート(3メートル以上)はありそうだ。その不気味な目の怪物が低空浮遊している。黒い皮膚から同じ色の無数の触手が生えており、その触手の一つ一つに『目』が付いていて、全てがヴェロニカに注目していた。


『僕は好みの女を見つけてストーキングするのが趣味でね。如何にもって怪しい外見よりも、ああやって軟派な雰囲気の外見の方が却って女は気付かないものなのさ』


「……!」

 この姿はストーカー男の願望が肥大化した物という訳だ。そう思うとこの無数の視線が尚更におぞましく感じた。


「ぐ……うぅぅぅ……!」


 ヴェロニカは必死に意識を集中させて『力』を発動しようとするが、


『ああ、ダメダメ』

「あがぁっ!?」


 宙吊りにされた四肢を思い切り牽引されて、その苦痛で集中力が途切れてしまう。


「ぅ……」


 呻き声が漏れる。為す術も無く囚われてしまった事が悔しかった。情けなかった。能力を開花させて訓練して強くなった気でいた。いや、実際に強くはなった。


 しかしセネムの話を聞く限り、そして自らが感知する限り、霊魔シャイターンはミラーカやジョンのような吸血鬼や、カルロス達メネスの〈従者〉などと同格レベルの怪物だ。多少強くなったとはいえ、ヴェロニカが単身で勝てるような甘い相手ではなかったのだ。


 彼女の力は後方支援向きだ。ジェシカやセネムのような前衛・・がいて初めて真価を発揮できる類いの力であった。雑魚相手ならともかく、同等以上の相手と単身で戦うのは無謀以外の何者でもなかった。


『ははは、絶望しちゃったかな? 可愛いね。それじゃ君は中途脱落だ。僕と一緒に楽しい夢の世界で遊ぼうか』


 目の怪物はヴェロニカを嘲笑うと、そのまま彼女を自身ごと床の中へと引きずり込み始めた!


「ひ……!? い、いや、やめて! いやぁ! 離してぇぇぇっ!!」


『はははは……』


 必死にもがくヴェロニカだが、無情にもその身体は床の中に沈み込んでいく。まるで液体と化したような床に沈み込んでいく不可解な感触にヴェロニカは恐怖から硬直した。目の怪物の嗤い声と共に、その身体が完全に床の中に埋没した! 


 そして同時にヴェロニカは意識を失った。

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