File3:魔の残滓

 LA自然史博物館の後任の館長は、パトリシア・ハックマンという女性であった。元は副館長だったようだ。


「ええ、そうですよ。ご家族が捜索願を出しましたが、結局ウィリアムが見つかる事はありませんでした。その辺の事情は私よりもそちらの方が詳しいのではないですか?」


 館長室で応対してくれたパトリシアも若干冷めた目でこちらを見てきた。ただ所詮は赤の他人。キムの時ほどの敵意は無いようだ。純粋な疑問という感じである。


「仰る通りです。ただ状況が変わってきまして、当時の様子を詳しく知る必要が出てきたんです。ワインバーグさんが失踪される前に何か変わった様子などはありませんでしたか? 誰か訪ねてきたなどの事でも構いません」


 ローラの質問にパトリシアはかぶりを振る。


「それも以前に警察の方に聞かれましたよ。残念ながら思い当たる節はありませんね。ウィリアムは前日も全くいつもと変わらない様子に見えました。特にトラブルの噂なども聞いていません」


「そうですか……」


 ウィリアムの失踪は〈信徒〉達のテロ事件が起きた時と重なる。当然警察の方でも真っ先に巻き込まれを疑って調べたが、あのテロ事件での犠牲者は全員確認されており、その中にウィリアムの姿は無かった。〈信徒〉達は殺すばかりで、誰かを誘拐したというケースも報告はされていなかった。


 その後も捜索は続けられたが、成果なしという事で結局捜索は打ち切られた。ウィリアムは未だに謎の失踪を遂げたままだ。



「……つかぬ事をお伺いしますが、ワインバーグさんが失踪した当時、博物館に彼に酷似した陶人形のような物が残されていたとか?」


「……!」

 パトリシアが冷めた表情から一転して驚いたようにローラを見る。


「それは……誰から聞いたの?」


 口調と様子からナターシャの話が本当であった事を悟る。


「物知りの友人がいるんです。そのご様子だと真実のようですね。警察には言っていなかったようですが?」


 そんなオカルトチックな事情があれば今回のドナルドと同じく、もっと世間の耳目を集めていたはずだ。ローラも記憶に留めていただろう。そうならなかったという事はつまり、ウィリアムの陶人形に関しては秘匿されていたという事だ。


「……っ! あ、あれは……その……。余りにも滑稽無糖な気がして……。そんな話を警察にしたら正気を疑われるか、最悪犯人扱いされかねないと思って……」


「…………」


 今のセルマの扱いを見れば、パトリシアの懸念はあながち的外れではない。それで彼女は関係者にも口止めしていたのだ。だが関わる者が多い程、秘密にしておくのは難しくなる。ナターシャは関係者の一人が僅かに漏らした噂話程度の情報から辿っていったのだろう。全く彼女には頭が下がる思いだった。


 意図的に情報を隠蔽したパトリシアだが、ローラにもそれを責める事は出来なかった。替わりに話を進める。


「その陶人形……今はどちらに?」


 まさか壊したり捨てたりはしていないだろうと思いつつも、若干不安になる。だがその懸念は杞憂であった。


「え、ええ……倉庫の奥に厳重に保管・・してあるわ」


「見せて頂く事は?」


「……はぁ。解ったわ。こっちよ」


 元々意図的に隠し事をしていたという後ろめたさからか、彼女は溜息を吐きながらも倉庫に案内してくれた。



「……これよ」


 倉庫の奥に丈夫そうな箱に入れられて保管されていた人形を慎重な手付きで取り出し、ローラ達に見せる。


「……!」

「せ、先輩、これって……」


 ローラとリンファは揃って息を呑んだ。それは一見すると大昔の工芸品のように見えたが、なるほど確かに写真で見たウィリアムの特徴を真似て子供が作ったような……何とも背筋がゾッと寒くなる代物であった。


 2人はドナルドの野球カードも見た事があったが、それと同じような不気味さをこの人形から感じた。


「も、もういいかしら?」


 不気味さを感じているのはパトリシアも同じのようで、一刻も早く手放したそうである。


「解りました、ハックマンさん。もう結構ですよ。ありがとうございました」


 そう言うとパトリシアはホッとしたように、人形を箱の中に戻しその蓋を閉じ鍵を掛けた。


「捨てたり壊したりも考えたんだけど、実際にやるのは怖くて……。かと言って他に置いておく当てもないし……」


 パトリシアは心底困り果てた様子だった。ローラはクリスチャンなので、そういった祟り的な物を怖れる気持ちは良く解った。


 しかしローラの感覚では、これは確かにドナルドのケースと同一犯・・・の可能性が高くなった。となると気になる事は……



「……これも確認なんですが、ワインバーグさんは失踪前・・・に、マイケル・ジョフレイ現市長と何か関わる事はありませんでしたか?」


「あ……そ、それは……」


 即座に反応があった。ローラは確信した。


「関わりがあったんですね?」


「え、ええ、まあ……。関わりという程の物かは解りませんが」


 ウィリアムがトルコ政府を通して借り受けたある展示品・・・・・のPRを、当時は州議員だったジョフレイに頼んでいたらしい。


「……アラジンの魔法のランプ?」


 それが件の展示品で、実際にPRを撮影する所まではいったらしいのだが、そこで例のテロ事件が起きてウィリアムが失踪。契約していたムスタファ・ケマルというトルコの役人が、責任者の館長が失踪した上、このような治安の悪い危険な街に自国の文化財を置いてはおけないと、そのランプを国に持ち帰ってしまったらしい。


 それで当然PRの話も立ち消えになってしまった。



(……2人の被害者・・・に間接的にジョフレイ市長が関わっている。これは、偶然?)


 ローラのこれまでの経験から培われた勘は、偶然ではないと告げていた。どのようにしてかは皆目不明だが、ウィリアムとドナルドの変死・・にはジョフレイが関与している。それを半ば確信していた。


 だが勿論問題はある。単にジョフレイを問い詰めた所で白を切られて終わりだ。まずもって証拠・・がない。凶器や殺害方法の特定は愚か、今回に限っては被害者の死体・・すらないのだ。これでは逮捕も立件も出来ない。


(……当初の予定通り他の議員や議長に話を聞いて、間接的に状況証拠を固めていくしかなさそうね)


 そうした所でジョフレイの犯罪を立証できる訳では無いが、他に手段が無かった。




 そしてローラ達がパトリシアに礼を言って別れ、展示物が置かれているメインホールに足を踏み入れると、丁度その中央……以前に件の『魔法のランプ』が展示予定だった場所に、1人の女性が難しい顔をして佇んでいるのに気付いた。


「……!」

 何故その女性がローラ達の目を惹いたのか……。一つには余りにも彼女が美しかったからだ。


 服装こそシックで身体のラインが出にくい物だったが、それでも尚その女性が素晴らしいスタイルの持ち主である事が見て取れた。


 頭には淡い色合いのスカーフを巻いていたが、ひっつめてはおらず隙間が空いており、そのアラブかペルシア系と思われる堀の深い美貌と艶のある黒い髪が覗いていた。


 どうやらイスラム教徒のようだが、余り戒律の厳しい地域の出身ではないようだ。


 そしてローラ達の注意が向いたもう一つの理由。それは……



「あなた達はこの街の刑事か? ここで起きた事件について調べているのか?」


 その女性が向こうからローラ達の方に声を掛けながら歩いてきたのだ。流暢な英語だったが、どういう学習方法だったのか男性に近い口調になっていた。


 こうなると無視するという訳にもいかない。ローラはバッジを取り出して提示する。


「ええ、その通りよ。悪いけど興味本位の質問には答えられないわ。仕事中なの。行くわよ、リンファ」


 余りそうは見えないがマスコミ関係という事もあり得る。迂闊な事を喋る訳には行かない。殊更そっけない口調で話を遮るようにリンファを促す。だが……


「やめた方がいいと忠告しておく。これはあなた達の手に負える類いの事件ではない」


「……何ですって?」


 思わず足を止めて女性の方を振り向いていた。今の言い方は明らかに何か知っている口ぶりだった。


「あなた誰? 何を知っているの?」


「この事件には邪悪な悪霊が絡んでいる。悪霊の力をあなた達の法で裁く事は出来ない。勿論逮捕も出来ない」


「悪霊?」


 女性は真面目な口調でふざけている様子はない。ローラは確信を強めた。


「その悪霊とやらがここの館長や議員を殺したの? そいつの能力は何?」


 ローラが聞くと、女性は意外そうに目を瞬かせた。


「……悪霊と聞いてまともに取り合おうとするとは意外だな。鼻で笑い飛ばすのが普通の反応だが」


「お生憎様。こっちもそれなり・・・・の経験をしてきているの。世の中には人知の及ばない存在がいる事も嫌という程知っているわ」


「……!」

 女性は若干興味深そうな表情になってローラに探るような視線を送る。


「へぇ……あなた……。これは、残り香・・・? 興味深いな。今までに何を・・見てきた?」


「色々よ。さあ、あなたは何を知っているの? 悪霊とは何の事? そいつが館長や議員をあんな姿にしたの?」


 ローラの問いに、だが女性はかぶりを振った。


「理解があるのなら尚更危険だ。確信を持って嗅ぎ回れば、悪霊ジンはあなたの事を目障りだと思うかも知れない」


「ジン? 今、ジンって言ったの?」


「……しゃべり過ぎたな。とにかく今私から言える事はそれだけだ。事件を探ればあなたの身にも超常の危険が及ぶ。警察の他のお仲間達のように目を逸らし、耳を塞いでいるがいい。そうすれば少なくとも安全・・だ」


 それだけ告げると女性は踵を返した。ローラとしてはもう少し詳しい話が聞きたかったが、あの様子ではこれ以上は無駄だろう。


 女性を引き留める為の法的根拠を持っていなかったので、博物館を立ち去っていくその背中を見送る以外に選択肢はなかった。





「せ、先輩、いいんですか?」


「どうしようもないわよ。今の時点では任意同行も出来ないし」


 悪霊がどうのこうのと言う女性を任意同行した日には、ローラ達が白い目で見られるだけだ。


「そ、それもありますけど……どうするんですか、この後は? ……正直、あの女性が言うように得体の知れない危険はあると思うんです。あの人形を見て私はそれを確信しました」


 ウィリアムの人形を思い出したらしいリンファはブルッと身体を震わせる。確かにアレは今まで多くの人外と接してきたローラをして、ゾッとするような不気味さがあった。だが……


「確かにそうね。でも何もしなければ危険は向こうからやってくる。それにこの街で人々が知らない所で何か良からぬ事が起きているなら、それを見過ごす事なんて出来ない」



 それは過去に路地裏でグールに襲われてミラーカに助けられたあの時から何も変わっていない、ローラの基本的行動理念であった。



「でもそれは私だけの都合。あなたがそれに巻き込まれていい道理はないわ。危険だと思うなら私の相棒を降りてくれて構わないわ。誰もそれを責める人なんていない。私を含めてね」


「……そしてあの女性が言うように、目を閉じ耳を塞いで過ごせと言うんですか? 危険の只中に赴く先輩を放って?」


「リンファ?」


 見ると彼女はワナワナと肩を震わせていた。そして睨むような目でローラを見上げてくる。


「見くびらないで下さい! 私は誰が何と言おうと先輩の相棒をやめる気はありません! 例え先輩自身にそう言われてもです!」


「リ、リンファ、でもね……」


「でもは無しです! それに私だっていざという時に足手まといにならないくらいの力はあるって、この前の事件で証明しましたよね!? だから私も付いていきます!」


「……!」

 確かに人間でありながら、独力でしかも素手で〈信徒〉を倒すという離れ業をやってのけた彼女だ。荒事になれば足手まといどころか、むしろローラよりも強いくらいだろう。


 それを抜きにしても絶対にローラの相棒を降りないという強い意志を感じた。それを認めてローラはフッと破顔した。


「ありがとう、リンファ。あなたの覚悟は解ったわ。じゃあありがたく頼りにさせてもらうわね?」


「せ、先輩……はい! 宜しくお願いします!」


 改めてあの女性のいう超常の危険とやらに立ち向かう決意を固めた2人は、そのまま博物館を後にするのだった……

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