Case6:『ディザイアシンドローム』

Prologue:邪霊の城

 LA市庁舎。ロサンゼルス市内にあって、カリフォルニア州管轄の下部組織として市内の行政を担当している組織である。


 庁舎内にある市長室。今、市長の椅子に座るマイケル・ジョフレイ市長・・の前には、何人かの人物が床に這いつくばっていた。


 彼等はこの市庁舎で役職に就く職員であったり、また市議会の議員であったりと様々だ。だが這いつくばる彼等に共通する特徴があった。それは……皆一様に恐怖の表情を浮かべている事だ。

 


 市長室の部屋には先程・・までは無かった額縁付きの絵画が飾られていた。その絵は……やはり恐怖の表情を浮かべながら必死に窓――絵の表面を叩いているかのような姿の人物が大きく描かれていた。 


 描かれている男性の顔や服装は、つい先程・・までこの部屋で、議会を無視した独断専行の決定を行う市長を糾弾しようとやってきた市議会の議長と全く同じ物であった。



「彼は確か油絵が趣味だったかな? 本望だろう。自分が絵の一部になれたんだから」

「……!」


 その絵を眺めながらニッコリと笑って呟く市長。這いつくばっている人間達は一様にビクッと肩を震わせる。


 彼等は見てしまったのだ。人間が絵に変わる・・・・・・・・という、悪夢のような光景の一部始終を。ジョフレイ市長が彼等を見下ろす。


「さて、まだ僕に意見のある人はいるかな?」


 誰も声を上げる者は居なかった。ただひたすら自分の番が来ない事と、早くここから無事に逃げ出せる事だけを祈っていた。


「ふむ、納得してくれたようで何よりだ。それじゃ、マリード・・。彼等にも頼めるかい?」


『ああ』


 這いつくばる彼等のから、人間の物とは思えないような恐ろしい声が降ってくる。議長が絵に変えられた時、何故誰もこの部屋から悲鳴を上げて逃げ出さなかったのか。


 それはこのマリードと名乗る奇怪な外観をした謎の存在が突如として現れ、入り口のドアを消して・・・しまったからだ。今この部屋は文字通りの完全な密室と化していたのだ。


『お前達はこれから契約者の手足となって働くのだ。もし逆らったり、ここであった事を誰かに話そうとすれば……お前達もあの絵のように、自分の望みを叶える・・・・・・事になる』


「ひっ……」

 女性の議員が悲鳴を押し殺す。


「僕だってこんな事はしたくなかったんだ。君達とは今後とも上手くやっていければと思っている。宜しく頼むよ?」


 ジョフレイが白々しく悲し気にかぶりを振りながらその実釘を刺す。



 その後マリードが再び出現させた出入口から、全員が逃げるように立ち去って行った。その姿を見送ってジョフレイが溜息を吐く。


「やれやれ……ま、いつかは来ると分かっていたから驚かなかったけどね。あの中の何人が残ると思う?」


 ジョフレイの問いに部屋の中空に浮かぶマリードが顎に手を当てる。


『誰か一人見せしめになって望みを叶える者がいれば、後の連中は皆押し黙るだろう』


「なるほど。でもその瞬間・・・・を周囲の人間にも見られるんじゃ?」


 マリードは肩を竦めるような動作をする。


『構わん。我が力は人間の法で裁く事は出来ん。あの中の誰かが望みを叶えたとして……それがわれやお前のやった事だとどうやって証明できる? この絵にしても同じだ。この国の警察にお前を逮捕する事は出来ん』


「確かにね……」

 ジョフレイは苦笑した。凶器・・殺害方法・・・・を立証できないのであれば、その犯罪を立件する事もまた出来ないのだ。それは自然史博物館の館長が証明してくれていた。


『念の為、連中にはジャーン・・・・共を監視に付けておこう。無いとは思うが、小うるさい蝿が纏わり付かんとも限らぬからな』


「ああ、そうだね。頼むよ」



 とりあえずこれで煩い連中は黙らせた。手始めに・・・・この街を自分の物に出来る。


 ジョフレイは部屋の窓際に立って、外に見えるLAの風景を見下ろした。彼はマリードの助言に従って合衆国上院議員への出馬を自ら取り下げた。


 ヴァンサント州議員からの繰り上げ・・・・で当選するのはイメージが悪い上に、ヴァンサントの死が未だに彼の仕業であるとネット上などで噂されている現状を鑑みての判断であった。


 またマリードはこのアメリカ合衆国という国では各州が大きな権限を持った独立行政組織である点に目を付け、上院議員として歯車の一部になるよりは州知事として自らの明確なテリトリー・・・・・を築いた方が都合が良いと助言していた。


 いきなりこの巨大国家の大統領を目指すよりは、まずはこのカリフォルニア州を我が物とし、テストケース・・・・・・とするべきだと助言したのだ。


 ジョフレイも勿論最終目的は大統領になる事であったが、マリードの力を得た今、焦る必要は無くなっていた。じっくりと自らの地盤を築き力を蓄えるには、確かに州知事という地位は都合が良かった。


 そこで実績作りの為に、まずはこのロサンゼルスの市長という職を目指したのだ。マリードの力と助言を受けていた彼は容易く市長に当選した。だがこれは所詮足掛かりにすぎない。ここから次は州知事のポストを狙っていく。その為の計画は既に出来ていた。



 ――コンッ コンッ



 とその時、ドアをノックする音が聞こえた。


「おや、丁度いいタイミングだね。入り給え」


 ジョフレイが入室の許可を出すと、入ってきたのは1人のトルコ人の男性だった。トルコ政府の役人であるムスタファ・ケマルだ。現在ジョフレイの手足・・となって、彼が表立っては動きづらい『裏』での仕事を任せていた。


「やあ、ミスター・ケマル。頼んでおいた件の進捗状況の報告かな?」


 ムスタファは未だに中空に浮かんだままのマリードの姿に畏怖の視線を向けてから答えた。


「は、はい。姉妹都市・・・・の提携について、アンカラ側は興味を示しています。提携会議の日程を教えて頂ければ都合を付けて代表を派遣するとの事です」


 その返答にジョフレイは満足そうに頷いた。


「ふふふ、そうか。橋渡しご苦労だったね、ミスター・ケマル。これを成功させれば、条件次第では僕の大きな実績になる。そしてそれだけではなく……」


『ああ。会議には州知事も出席する事になる。管轄下で最大の都市の問題だからな。そしてこのロサンゼルスとトルコの首都アンカラという2つの巨大都市の提携だ。互いの条件の擦り合わせや調整等で何かと日数が掛かるであろうな』


「そうだね。そしてその会議が続く間は、州知事はこのLAに滞在する事になる……」


『そう……。吾とお前の領域・・であるこの街に、な』


 計画の詳細までは知らされていないムスタファにも、ジョフレイ達がその会議の期間中に州知事に何か良からぬ事を企んでいる事くらいは解った。


「だ、大丈夫でしょうか? アンカラからの使節が滞在中に何か事件が起こるとなると……」 


 恐る恐る懸念を口に出してみる。そうなればその仲介を行った自分の責任問題にもなってくる。


「ははは、その懸念は尤もだね、ミスター・ケマル。でも大丈夫だよ。知事はこのLAに滞在中に偶然・・不慮の事故・・・・・に遭うだけの事だからね。僕達はただそれに深い哀悼の意を示すだけで良いのさ」


「……!」


「そして僕はアンカラとの提携の実績を手土産に、新たな州知事選に出馬を表明という寸法さ。僕が州知事になった暁には君にも大きなリベートを用意するつもりだから期待してくれていいよ?」


「……!! は、はい!」


 色々と思う所はあったが、大きなリベートという言葉に疑問や不満は吹き飛んだ。何と言っても人外の力を有するジョフレイの事。どんな手段を用いてでも必ず州知事の椅子を手に入れるだろう。


 その時にジョフレイと太いパイプを持っている事が本国での出世にも役立つかもしれない。今回の姉妹都市提携を成功させれば尚の事だ。そんな打算がありありと彼の顔に浮かんでいた。


 その後ジョフレイがアンカラ側の細かい日程の調整などを頼むと、ムスタファは入ってきた時とは打って変わって尻尾でも振らんばかりの様相で、意気込みながら退室していった。



 それを見送ったジョフレイが苦笑する。


「中々欲望に忠実だね、彼は。思ったよりも使えそうだ」


『ああ。欲望に忠実な人間は吾の影響を及ぼしやすい。いざとなればシャイターン・・・・・・の容れ物としても使えるだろう』


「へぇ……それはいいね。他にもそういう人間はいそうかな? 手駒・・はなるべくなら多い方がいいからね」


『先程脅した連中の中にも欲望に忠実でモラルの低い人間がいるかもな。あるいはこの市庁舎の職員の中にも……。お前自身の目で探してみるがいい』


「ふむ……この市庁舎を文字通り僕達の『城』に変える訳か。それも面白そうだね」


 ジョフレイは再び窓から街を見下ろした。


(さて……これからだ。今はこの街だけだが、まずは州知事となってこの街を含むカリフォルニア州全土を手に入れる。そこで実績を作り力を蓄えたら……いよいよ大統領選だ。その為に従わない者や邪魔になった者はどんな手段・・・・・を使っても排除する。市民も州知事も……いずれは大統領でさえもな!)


 マリードから与えられた力を持ってすれば決して不可能な事ではない。ジョフレイはそう遠くない未来に確実に訪れるであろう情景を想像しながら、過剰な欲望に身を焦がすのであった……





 同日。ロサンゼルス市議会の議員であるドナルド・パターソンが自宅で謎の失踪を遂げた。


 娘であるキンバリーの通報によって駆け付けた警察が発見した物は、1枚のベースボールカード・・・・・・・・・であった。奇妙な事にそのカードには野球選手ではなく、ドジャースのユニフォームを着て打席に立っているドナルド自身の姿が映っていた。


 更に奇妙な事にそのカードの中のドナルドは、どう見ても恐怖としか思えない歪んだ表情を浮かべていたのだ。


 ドナルドの妻セルマは半狂乱になって夫がそのカードになってしまったと訴えたが、勿論滑稽無糖な上にセルマの様子もどう見ても正常では無かった事から妄言として扱われ、ドナルドは失踪として処理された。


 カードに関してはタチの悪いイタズラと判断され、むしろセルマが何か工作したのではないかと疑われ、ドナルド失踪の被疑者・・・として扱われる事となってしまった。


 誰も気付かないままに、LA全体を静かに暗雲が覆いつつあった……

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