File19:意外な救援者

 そこはLAから東寄りの地区にある郊外の一角だった。ゾーイが辺鄙な場所というだけあって、夜になると殆ど人通りも途絶える寂しい区画だ。ダンカンの家はその区画の更に奥まった場所にポツンと建っていた。


 中流家庭の一般住宅よりやや大きい程度だろうか。零細学部の教授であればこんな物だったのだろう。だが1人暮らしには十分すぎる程の広さだ。


 ダンカンは死体が発見されず失踪扱いだったのもあって、警察の捜査で立ち入った後はまだ家財が整理や処分される事もなく手付かずの状態だったようだ。


 家人が失踪して警察の捜査が入った家など、犯罪に巻き込まれる危険も考慮されて誰も近寄らないのが普通だ。まして事情を知らない人間であれば、家人がいつ戻ってくるとも知れないのだ。


 電気や水道などを極力使わないようにして隠れ潜んでいれば、なるほどいい隠れ家かも知れない。ゾーイの話では非常用の物資や水まであったようだから、最低限の生活は出来る。



 時刻は既に夜だった事もあって殆ど人気はなかった。ジェイソンは家が見える場所に車を停めた。


「…………」


 家はカーテンが閉め切られていて中の様子は見えない。隠れ住んでいたなら当然の措置だろう。


「……よし、行け。逃げたり逃がしたりなど馬鹿な事は考えるなよ? あのヴェロニカって女の命が惜しいならな」


「くっ……」


 ローラが罪悪感に駆られてゾーイに警告したりすれば、ヴェロニカは無事では済まない。そう脅しているのだ。


 ローラは唇を噛み締めながら車を降りた。そして手を広げながらゆっくりと家に近付いていく。事前にLINEでもうすぐ着く事は伝えてある。



 果たしてダンカンの家の正面玄関のドアが開いた。


「ローラ……! 本当に来てくれたのね!? ありがとう……!」


 駆け寄ってきたのは間違いなくローラの旧友、ゾーイ・ギルモア本人であった。


 潜伏生活をしていた割には意外と血色が良い。恐らくダンカンが地下室に貯蔵していたという非常用物資のお陰だろう。ただ服は着替えなどは持っていなかったらしく、かなり着古され薄汚れたグレーの半袖ジャケットとショートパンツ姿のままであったが。


「ゾーイ……久しぶりね……」


 何年かぶりに会う旧友の姿。本来であればどこかのバーで一杯やりながら、互いの近況や仕事の苦労話、プライベートでの浮いた話などで盛り上がった事だろう。


 だが今の残酷な現状がそれを許さなかった。


「ローラ、良かった……! あなたに――」


「ゾーイ、ごめんなさい……。本当にごめんなさい……!」

「……!?」


 ローラの台詞とその歪めた表情からある程度の事態を察したらしいゾーイは、立ち止まると顔面を蒼白にさせる。そして後退って、急いできびすを返そうとするが……



「……やあやあ、ようやく再会できましたねぇ、ギルモア助教授? エジプト以来ですか」

「……ッ!」



 一体あの一瞬でいつの間に回り込んだのか……。家に駆け戻ろうとしたゾーイの前にジェイソンが立ち塞がっていた。青ざめた表情のまま足を止めるゾーイ。


「くくく……どんな気分です? 見下していた黒人の……そして自分の過失で死なせた学生に追い詰められるというのは?」


「あ……ま、待って! あれは、不幸な行き違いだったのよ! 落ち着いたらあなた達にはきちんと報いるつもりで――」


「――どんなつもりだろうが関係ありませんよ。今のこの状況が全てです」


 ジェイソンの掌から砂が沸き上がり、それは一振りの剣を形作った。ゾーイの細い首など一撃で両断できそうな厚みのある剣だ。それを見たゾーイが後ずさる。


「さあ、あなたが死ぬ前にそのお友達が、あなたの懺悔を聞きたいそうですよ? 教えてやったらどうですか? エジプトで実際に何があったのかをねぇ?」


「……ッ! そ、それは……」


 ゾーイが逡巡する様子を見せる。ローラはその様子と先程までの会話で、恐らくゾーイが何らかの過失・・でジェイソン達を死なせたのは事実なのだろうと悟った。そして恐らくその隠蔽を図ったというのも……


 だがローラにはそれを糾弾する資格は無かった。彼女もまたヴェロニカと天秤にかけてゾーイを切り捨てたという負い目があった。


 あくまで罪悪感に苛まれているローラの様子にジェイソンは鼻を鳴らす。


「……と思いましたが、どうやらお友達は自分の事で精一杯のようです。あなたもどうやら反省する気はないようですし、もう見ているだけで不快です。今すぐ冥府へと送ってあげましょう。そこで精々自分の愚かさと罪深さを悔いるといいでしょう」


「……!」


 興が醒めたと言わんばかりの態度で、ジェイソンが剣を振りかぶってゾーイに飛び掛かる。自分で言っていたように、確かに彼女を殺す事に何の躊躇いもない様子だった。


 ローラは思わず目を瞑った。数瞬後にはジェイソンの刃がゾーイの首を刎ねるだろう。その光景を想像し心の中で彼女に謝罪し続けた。だが……



「ギャウゥゥゥゥゥッ!!!」

「何……!?」



 ジェイソンの驚愕と……獣のような唸り声。ローラはこの声を知っていた。あり得ないと思いながら目を開くと、そこには……


「な、あ……ジェ、ジェシカ・・・・……?」 


 紛れもなく、ローラが良く知る半人半獣の少女ジェシカ・マイヤーズが、ゾーイを庇いながらジェイソンを激しく威嚇している姿があった!




「あ、あなた……何故……」

「何だぁ、貴様は? 邪魔するな!!」


 ローラの呆然とした問いを遮り、激昂したジェイソンが突然現れた闖入者を排除しようと斬りかかる。


「ガウゥッ!!」


 ジェシカは素早い挙動でジェイソンの剣を掻い潜り、逆にその鋭い爪でジェイソンの肩を引っ掻く。


「……!」


 反撃を受けたジェイソンが一歩引く。奇妙な事に、切り裂かれた肩からは血が一滴も流れていなかった。


「お前……何だ? 人間ではないようだが、何故その女を守る?」


「グゥゥ……ガァッ!!」


 ジェイソンの疑問には構わず、ジェシカが再び攻勢を掛ける。だが……


「図に乗るな!」


 飛び掛かってきたジェシカの両手の爪を剣一本で受け止めたジェイソンは、そのまま脚を振り上げて蹴りを叩き込む。


「グゥ……!!」

「ジェシカ……!」


 蹴りをまともに喰らったジェシカは数ヤードほども吹き飛ばされて地面に倒れ込む。すぐに起き上がるが、若干足がふらついている。今の一撃だけでダメージを受けたのだ。


 既に変身しているジェシカ相手にこの威力……。ヴェロニカをあっさりと攫ったのも頷ける強さだ。


 だが相手の強さを認識しても尚引かずに戦闘態勢を取るジェシカに、ジェイソンは煩わしそうな様子で顔を顰めた。


「ち……逃げる気がないというなら仕方ない。長引いて騒ぎが大きくなるのも面倒だ。……一気に片付けてやる」


 次の瞬間、ジェイソンの姿が変わった・・・・


「ひっ……!?」


 ローラは思わず押し殺した悲鳴を上げてしまう。ゾーイも息を呑んでいる。



 ジェイソンの皮膚がボロボロになり目が崩れ落ちる。鼻がもげて唇が風化する。そこに居たのは一瞬前までジェイソンだった、一体の恐ろし気なミイラ・・・であった。



 何も映していないはずの虚ろな眼窩が確かにジェシカを射抜いた。人間であるローラにも解る程にジェイソンから発せられるプレッシャーのようなもの(恐らくミラーカが言う所の『陰の気』)が膨れ上がった。それに押されるようにジェシカが一歩後ずさる。しかしそれでも逃げようとはしなかった。


『下等な獣風情が……消え失せろ!』


 ミイラ化した事でその声も奇怪に変貌していた。ジェイソンは砂で形作るのではなく、自身の腕から直接剣を生やした・・・・。そして恐ろしい勢いでジェシカに斬りかかった!


 そのスピードも突進力も「人間状態」の時とはケタ違いだ。一瞬でジェシカの眼前まで到達したジェイソンは容赦なく剣を振り下ろす。


「グゥ……!!」


 辛うじて躱すが、左の肩口を斬り付けられてしまう。ジェイソンは容赦なく追撃。瞬く間に防戦一方になってしまうジェシカ。それすら完全には躱しきれずどんどん傷が増えていく。


「ジェシカ……!!」


 ローラは唇を噛んだ。


 駄目だ。ジェシカでは勝てない。


 『ルーガルー』のような圧倒的なパワーでもあれば強引にねじ伏せてしまう事も出来るだろうが、パワーもスピードも、そして恐らく耐久力も全て相手の方が上だ。


「ガァ……!」


 それでもこのままではマズいと思ったのか、ジェシカが無事な右腕を振り回して必死に反撃する。だが……


『ふん……』

「……!」


 ジェイソンは振るわれた腕をあっさりと掴み取ってしまった。どれほどの握力か、ジェシカが全く振りほどけないようだ。


「グ……ガァ……」


 そのまま掴まれた右腕を高く吊り上げられてしまう。左肩は切り裂かれていて動かせない。


『愚かな獣が……。死ぬがいい』


 吊り上げられ無防備な体勢となったジェシカに、ジェイソンが無情にも宣告する。そして空いている右腕の剣を後方に引き絞る。後は全力で突き刺すだけだ。


「ジェシカッ!! く……!」


 ローラは咄嗟に懐の銃を抜いた。こんな物が効く相手ではないが、それでもむざむざジェシカを見殺しには出来ない。決死の覚悟で銃の引き金を絞ろうとした時――




 ――一陣の風が舞った。




『何……!?』


 その黒っぽい風・・・・・は、今まさにジェシカに止めを刺さんとしていたジェイソンにぶつかるようにして、その巨体を弾き飛ばした!


 そして崩れ落ちるジェシカの身体を横抱きにキャッチして、そのままローラ達の眼前に降り立つ・・・・



(え……ミ、ミラーカ…………じゃない!?)



 一瞬愛しい恋人の姿を幻想したローラだが、その黒い影のシルエットは明らかにミラーカ……というか女性の物ではなかった。


「ふぅ……この姿・・・になるのは初めてだが……確かに凄いな、これは」



「…………ジョ、ジョン・・・……?」



「よう、ローラ。遅くなって済まなかったな。ま、積もる話は後だ。今はアレ・・を片付けるぞ」


 そう言ってジェイソンの方を睨み付けるのは……背から黒い皮膜翼・・・・・を生やし、牙やカギ爪が備わり、髪が逆立ち目が紅く光ってはいたが……紛れもなく、ローラの現上司ジョン・ストックトンその人であった!

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